『街の明かり』
田舎から都会へと向かう夜行バスの車内の灯りが落とされる。消灯時間を迎えたバスには寝息とエンジン音だけが響き渡っているけれど、集合時間ギリギリで乗り込んだせいか眠気がなかなか訪れなかった。
閉め切られたカーテンをチラと開けるとすでに高速道路へと合流しているバスからの景色は生活の灯りや寂れた農道を照らす街灯、昼夜を問わず稼働している工場のライトなどが暗闇のあちらこちらに点っていた。ぼんやりとしながら流れていく街の明かりを見るともなく見ていると時々ギアの切り替わる音や高速道路の段差を越えるときの振動などが妙に心地よくなって次第に眠気が訪れてくる。
カーテンの音が鳴らないように注意深く閉めて座席で二度三度と身じろぎをして目を閉じる。まぶたの裏に先程見た明かりがひとつふたつと思い浮かんだあとには意識を自然に手放していった。
『七夕』
星祭りの夜空を見上げるとどんよりとした雲に覆われている。一年に一度、この七夕のときにだけ会える夫婦が雲の上の星空では人目を気にせず仲睦まじく過ごしているらしい。年がら年中会おうと思えばいつでも会えるというのはありがたみのあることだ。
近所で大きめの夏祭りがあるということで待ち合わせ場所は人でごった返しており、浴衣を纏う人たちをちらほらと見かける。その中の一人がひときわ輝いて見えたのは気のせいではない。こちらにまだ気づいていない彼女ひとりを目指してまっすぐに進み声をかける。
「お待たせ」
「おつかれ〜。人多いのによく見つけられたね」
白地に青い朝顔柄の浴衣姿な彼女の、普段とは違うアップにした髪型を前にドキドキしながらも答える。
「だって、君は俺の織姫だから」
バチンと音がしそうなぐらいのウインクを決めると彼女は引きに引いていた。
「そのやり取り、さっきイタいカップルがやってた」
キマったと思っていたのが途端に恥ずかしく思えてきた自分に彼女が問う。
「それより、言ってほしいことあるんだけど?」
「……浴衣、すごい似合ってる」
「よろしい」
ふふと少し照れたように彼女が笑う。そして、差し出した手を取った彼女がやっぱり星のように輝いて見えたのだった。
『友だちの思い出』
毎日のように顔を合わせていた同級生とは進路が分かれたことで会う約束をしていても年に2回ほどしか会わなくなった。夏はこちらから、冬はあちらからと連絡をすると分担を決めて、会えば積もる話と何度話したかもわからないふたりの思い出話をしてはあの頃と本質が変わっていないことに少し安心する。そんな仲だった。学生だった期間より社会人になった期間のほうが長くなったにもかかわらず、いまだに同じようなやり取りを続けている。
今年も夏の盆休みが近づいて、家族や同僚にどこかいい店を知らないかと聞いて回る。その人のこと、だいぶ好きなんですね、と後輩からはからかわれ、私とのデートより気合い入ってるよね、と妻からは呆れられる。言われたことをそれぞれ改めて考えてみると実際そうかと自分の行動に少し驚く。
「うん、けっこう好きかもだな」
「だって、君より長い付き合いだから」
後輩からはちょっと引かれ、少し機嫌の悪くなった妻からはさらに呆れられた。
暑い日の続くさなかに同級生に店が決まったとメッセージを送る。ほどなく返ってきた短い返信とスタンプにその日を心待ちにする胸がそわそわとし始めた
『星空』
夏の天体観測は暑さと虫との戦いだ。川辺に近い土手で携帯蚊取り線香を腰に下げ、煙に燻されているような気持ちで望遠鏡のファインダーを覗き込む。滲んでくる汗を首から下げたタオルで拭い、またファインダーを覗き込む。冬の寒い時期とはまた違った苦労もあるけれど、それを苦労とも思わないのはやはり星を見ることが好きだからだろう。
首から下げたペットボトルのお茶を飲んで一息ついていると、ふと辺りの草むらにかすかな緑色の光が明滅するのが見えた。星ではないそれは水辺に住まうホタルの光。草むらにじっと目を凝らしていると数十匹のホタルが淡い光を放ちながら飛び回っているのが見て取れたのは、普段から星ばかり見ているせいなのかもしれない。などと思いつつ地上の星空を眺めてペットボトルのお茶を飲む。そしてまた汗を拭い、ファインダーを覗き込むのを再開した。
『神様だけが知っている』
生まれて1ヶ月経つか経たないかの頃のわが子の写真が遺影として写真立てに収まっている。誰の手によるでもなく眠るようにしてまた神様の元へと帰っていったあの子のことと、普段はいるかどうかすら思ってもいなかった神様のことをいろいろと、ほんとうにいろいろと考えて、うちの子があんまりにもかわいいから神様は手放すのが惜しくなったのだろう、と私と妻は結論づけた。そうでもしなければ、前に進めないほどにふたりとも悲しみで疲れ果てていた。
誰のせいでもないことの理由は神様だけが知っている。遺影に向かってこっちもなんとか元気でやっている、と呟くと遠くに無邪気な笑い声が聞こえた気がした。