わをん

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『私の当たり前』

親が正しいのが当たり前だと思っていた。
その考えが変わったきっかけは小学生のころにとある友達を家に呼んだとき。男の子だけど女の子っぽい色味や格好が好きなその子とクラスのみんなはうまく馴染んでやっていたので、母もあたたかく出迎えてくれると信じていた。けれど母の視線も表情もいつもと違い、夕食のときの話題に出されたときには父も母も自分の友達に対する態度とは思えないようなことを口にして、大きなショックを受けた。
それから少し経ってクラスの先生に身近な大人が嫌いになりつつあるけれどどう接したらいいのかと訊ねたことがある。大人が誰とは言わなかったけれど察するところのあったらしい先生は少し困ったように笑った。
「人それぞれの当たり前ってやつだね」
価値感や固定概念、思い込みという言葉を使って先生が言う。身内は正しくあってほしいというのも家族ならではの当たり前のようなものだから、そうでなかったときの落差が激しいのは自然なことだと。
「その大人たちがちょっと残念てのがわかったことと、当たり前を見直す機会になったことが収穫と思えるといいね」
そうして先生は、長い付き合いになるだろうから反面教師として観察し続けるといいと教えてくれた。何をされたら、何を言われたら嫌だと思ったかを大人たちから学び、それを戒めとして自分はやらないように心がける。
「そうやって自分の当たり前をアップデートできるようになるといいかな」
先生のおかげで家族仲はちょっとだけ悪くなるに留まり、それから先にいろんな人と出会って偏見を自覚したり、それを取り払えるようになっていった。
家に呼んだあの子に母の態度が悪かったことを謝ったとき、よくあることだから気にしなくていいと笑っていたことはずっと忘れられない。あの子にとってよくあることが当たり前になっていたことはさらなるショックな出来事だった。
当たり前を見直したり、あるいは粉々に壊してもいい。そういうことを教えられる教師になれるように日々勉強の毎日を過ごしている。

7/10/2024, 6:45:58 AM