『1件のLINE』
トークルームに元気?と打ったのはもう何年も前のこと。既読が付くことがないその一言を眺めては、もっと早くに送っていれば何か変えられたのではないかと根拠なく思い、そして後悔している。
現場には揃えられた靴とロックの外されたスマートフォンが置かれており、中には家族や知人に宛てたメモが多数残されていた。その中に私に宛てられたものは無かった。
会う機会が少なくなっていたけれど、学生生活の中では一番と言っていいほど仲が良いと思っていた。けれどそう思っていたのは私だけなのかもしれないと思わされて、埋められない疎外感を長く感じている。
忘れてしまえばいいのだろう。けれど知ってしまったことで傷ついたことを忘れるにはまだ時間がかかる気がした。
『目が覚めると』
いつものように布団に入りいつものように目が覚めると辺りはいつもの部屋ではなくなっていた。
ゲームやマンガでしか見たことのない中世のお城のような天井の高くて柱が立派な一室に、魔法使いのローブを纏った人や鎧を着込んで槍を持った兵士、王冠を頭に乗せた顔のいい若者が一様に驚いた顔をして、召喚が成功したとかなんとか言っている。
「あの、盛り上がってるところ悪いんだけど、何なの」
聞けば古から伝わるとされる世界を救う存在を喚ぶ儀式を執り行い、結果わたしが床に描かれた陣に突如として現れたということだった。
「なるりょ。お呼ばれされたらやらないわけにもいかないね」
世界を救うという言葉にはいろんな事象が含まれていると思う。それはあちら側からすれば平和を脅かす存在を打ち倒して平和を取り戻すという解釈なのだろうけど、それはわたしの得意分野ではない。そこに存在するものをすべて破壊しつくすことがわたしの得意とする世界の救済だ。
「来世が善きものでありますように」
綺麗さっぱりなくなってしまった世界に手を合わせて祈りを捧げる。そして新しい布団を敷き直したわたしは一仕事を追えた満足感とともに二度寝の体勢に入った。
『私の当たり前』
親が正しいのが当たり前だと思っていた。
その考えが変わったきっかけは小学生のころにとある友達を家に呼んだとき。男の子だけど女の子っぽい色味や格好が好きなその子とクラスのみんなはうまく馴染んでやっていたので、母もあたたかく出迎えてくれると信じていた。けれど母の視線も表情もいつもと違い、夕食のときの話題に出されたときには父も母も自分の友達に対する態度とは思えないようなことを口にして、大きなショックを受けた。
それから少し経ってクラスの先生に身近な大人が嫌いになりつつあるけれどどう接したらいいのかと訊ねたことがある。大人が誰とは言わなかったけれど察するところのあったらしい先生は少し困ったように笑った。
「人それぞれの当たり前ってやつだね」
価値感や固定概念、思い込みという言葉を使って先生が言う。身内は正しくあってほしいというのも家族ならではの当たり前のようなものだから、そうでなかったときの落差が激しいのは自然なことだと。
「その大人たちがちょっと残念てのがわかったことと、当たり前を見直す機会になったことが収穫と思えるといいね」
そうして先生は、長い付き合いになるだろうから反面教師として観察し続けるといいと教えてくれた。何をされたら、何を言われたら嫌だと思ったかを大人たちから学び、それを戒めとして自分はやらないように心がける。
「そうやって自分の当たり前をアップデートできるようになるといいかな」
先生のおかげで家族仲はちょっとだけ悪くなるに留まり、それから先にいろんな人と出会って偏見を自覚したり、それを取り払えるようになっていった。
家に呼んだあの子に母の態度が悪かったことを謝ったとき、よくあることだから気にしなくていいと笑っていたことはずっと忘れられない。あの子にとってよくあることが当たり前になっていたことはさらなるショックな出来事だった。
当たり前を見直したり、あるいは粉々に壊してもいい。そういうことを教えられる教師になれるように日々勉強の毎日を過ごしている。
『街の明かり』
田舎から都会へと向かう夜行バスの車内の灯りが落とされる。消灯時間を迎えたバスには寝息とエンジン音だけが響き渡っているけれど、集合時間ギリギリで乗り込んだせいか眠気がなかなか訪れなかった。
閉め切られたカーテンをチラと開けるとすでに高速道路へと合流しているバスからの景色は生活の灯りや寂れた農道を照らす街灯、昼夜を問わず稼働している工場のライトなどが暗闇のあちらこちらに点っていた。ぼんやりとしながら流れていく街の明かりを見るともなく見ていると時々ギアの切り替わる音や高速道路の段差を越えるときの振動などが妙に心地よくなって次第に眠気が訪れてくる。
カーテンの音が鳴らないように注意深く閉めて座席で二度三度と身じろぎをして目を閉じる。まぶたの裏に先程見た明かりがひとつふたつと思い浮かんだあとには意識を自然に手放していった。
『七夕』
星祭りの夜空を見上げるとどんよりとした雲に覆われている。一年に一度、この七夕のときにだけ会える夫婦が雲の上の星空では人目を気にせず仲睦まじく過ごしているらしい。年がら年中会おうと思えばいつでも会えるというのはありがたみのあることだ。
近所で大きめの夏祭りがあるということで待ち合わせ場所は人でごった返しており、浴衣を纏う人たちをちらほらと見かける。その中の一人がひときわ輝いて見えたのは気のせいではない。こちらにまだ気づいていない彼女ひとりを目指してまっすぐに進み声をかける。
「お待たせ」
「おつかれ〜。人多いのによく見つけられたね」
白地に青い朝顔柄の浴衣姿な彼女の、普段とは違うアップにした髪型を前にドキドキしながらも答える。
「だって、君は俺の織姫だから」
バチンと音がしそうなぐらいのウインクを決めると彼女は引きに引いていた。
「そのやり取り、さっきイタいカップルがやってた」
キマったと思っていたのが途端に恥ずかしく思えてきた自分に彼女が問う。
「それより、言ってほしいことあるんだけど?」
「……浴衣、すごい似合ってる」
「よろしい」
ふふと少し照れたように彼女が笑う。そして、差し出した手を取った彼女がやっぱり星のように輝いて見えたのだった。