『梅雨』
昨日も雨。今日も雨。明日も雨。週間天気予報を見ても雨の降らない日が見当たらないぐらい雨降りが続く。おかげで毎日前髪が定まらない。
「今日も髪型がいまいち決まらないよ~」
「わかる〜」
登校して話題になるのはこのところ髪型の話ばかり。けれど目の前でスタンドミラーを見つつ前髪をつまむ友人の全体的な仕上がりは梅雨じゃないときとあまり変わりがないように見える。自分も周りから見れば実は大差なかったりするのだろうかと手鏡を見るけれど、気になるところはやはり気になってしまい、そのせいで全体の評価が下がって見えてしまう。
窓の外は今日もどんよりとした曇り空。髪を触ってはため息を吐く私やみんなの心模様が表れまくっていた。
『無垢』
パパだよ、と夫が我が子に呼びかけるとパステルカラーのロンパースを纏った赤子はじっと声の主を見つめたあとに声を上げて笑った。
「うちの子がこんなにもかわいい……!」
「そうでしょうそうでしょう」
感動、と形容するしかない表情の夫はおそるおそる赤子の頬をつつき小さな手を大きな指に掴ませる。
「抱っこチャレンジはどうしますか」
「いやーまだ怖い!けど抱っこしたい……!」
「やりたいと思ったらやりどきです。レッツトライ!」
抱っこの経験値は抱くほど上がるという。産院の先生から習った方法を手取り足取り教えてみるが、どうにも危なっかしい。けれど自分もかつてはそうだったのだろうなぁと口出ししたくなる気持ちをぐっと抑えて見守ると、我が子は泣き出すでもなく大人しく夫の腕に抱かれてじっと顔を見つめていた。
「……私より抱っこ上手くない?」
「それはうれしい!けど緊張する!」
「緊張すると赤ちゃんにうつるよ〜。リラックス〜」
ゆらゆらと身体を揺らされる赤子は次第に眠たげな目をしてやがて穏やかに寝入ってしまった。夫婦で顔を見合わせて、そしてまた我が子を見つめる。
生まれたての無垢なる命は夫婦の宝。これからこの子は様々なことを見聞きしてやがてふたりの手を離れ、ひとりの人になっていくのだろう。
「世のお父さんお母さんがこどもの幸せを願う、って場面をテレビや映画で目にしてきたけど、これはほんとにそう思えるね」
「親になってわかることいっぱいあるねぇ」
いまだ眠る我が子からそろそろと離れてスマートフォンを持ち、自撮りモードにする。初めての家族写真はこの先ずっと胸に残り続けるように思えた。
『終わりなき旅』
戦場で目覚めて身を起こす。辺りに合戦の気配はすでになく、動いて見えるものは蝿と鴉と戦場漁りに勤しむ罰当たりどもだけだった。もはや物言わぬ見知ったものも見知らぬものも踏み越えて陣のあった場にたどり着くと、かつて仕えた主は首を持ち去られて体だけとなっていた。手を合わせて涙を流し思うだけ留まった後はここにいる意味を見失ってしまい、当てもなくふらふらとその場を離れて山を彷徨った。
どうして俺だけが生き残ってしまうのか。あの戦場で倒れたのは二度目だった。一度は敵方に討たれたとき。二度目は落ち武者狩りに遭ったとき。途中に見つけた沢で身を洗い検めてみると古傷はそのままに二度の致命傷は影も形も見当たらない。手元の刀を首元へやって水を赤く染めてもやがて傷口は塞がった。何の因果か、誰の気まぐれか、死ねないようになってしまった。
死なずとも腹は減る。金を稼ぐために武者から雇いの用心棒へ。賭場荒らしに腹を刺されるが生き残り、気味悪がられ、別の街へ。手に職を付けて町人に馴染み、好いたひともできたが盗賊の押し込みに遭って俺を除いてみな殺されてしまった。
長く座り込んでいたがそうするのにも飽きて立ち上がる。生きるのに疲れることもしばしば。けれど死ねないのなら生きるしかない。死んでからも仏への道が険しく続くと言うが、しぶとく生きている俺の前には如何なる道が続くというのだろうか。そんなことを思ってようやくその場から歩き始めた。
『「ごめんね」』
幼い頃、ボロアパートの一室のドアを蹴破った警察官に僕と妹は救け出された。母がごめんねとだけ言い残してこの部屋を去って数日経ってからのことだった。
ろくに食べ物を与えられていなかった僕たちは平均的な身長体重に育つまで長い時間を要した。その間に孤児院や行き遅れていた学校の世話になり、いろんな人の手を借りてどうにか大人になれた。グレずにここまで来れたのは妹の存在が大きかったし、妹もまた同じように感じていると思っている。
母の消息は未だにわからない。未だに、あのとき言われたごめんねの意味もわかりかねている。
「何がごめんねだったんだろうね」
「何回も考えたことあるけど、全然わかんないね」
母がよく吸っていたタバコを妹が吸っていたので1本もらって火を付ける。嗅ぎ慣れた臭いからは切り離せない思い出の香りがしていた。
『半袖』
教室でうちわや下敷きやハンディファンを見かけることが増えてきた。クラスには強めな女子が多いのでスカートの中に風を送ろうとはためかせるのを意図せず見てしまうことも増えてくる。もうちょっと周りの目を考えてほしい。
週が明けると衣替えとなるのでもはや暑苦しいぐらいの学ランやブレザーともしばらくお別れとなる。クラスの気になる子はいつも制服をぴっちり着るタイプだったので夏服はどんなふうに着こなすのだろうと内心楽しみにしていた。
週が明けて朝からよく晴れた暑い日。学ランを着てないだけでこんなに快適なのかと感動しつつ教室に入ると長袖カッターシャツやサマーニットなど昨日まで見かけなかった服装ばかりだった。気になる子の装いは半袖カッターシャツにベスト。むきだしの腕がスカートをはためかせられるよりも見ては失礼なものに思えて直視できない。なのにそんなときに限ってあいさつされる。
「おはよう。今日は暑いね」
「お、おはよう。……半袖、似合ってるね」
「ありがと。ちょっと早いかなと思ったけど、けっこう快適だね」
うふふと笑うその笑顔もまぶしい。見たい、けど見たくないと葛藤を繰り返す内に響き渡るチャイムが始業を知らせるのだった。