『また明日』
入学してからもうそろそろ2ヶ月。慣れたような慣れてないような感じだけれど友達はできたし、毎朝ちゃんと通えている。部活の仲間もできたし同性ながらもかっこいい先輩にも出会えた。
「じゃあ、また明日ね」
明日もがんばろうと思える成分はいろいろなもので構成されているけれど、先輩からの言葉がけっこうな割合を占めているように思える。
ある日に上級生の教室へ続く渡り廊下で制服姿の先輩が誰かと話しているのを見かけた。遠目にも険悪なムードを感じとったので隠れながら様子を見ていると、話していた相手がどこかへ去って取り残された先輩は泣いていた。その日の部活に先輩は来なかった。
次の日に部活に顔を出した先輩を見て、昨日の夜は先輩をずっと心配していた私は心から安心した。先輩がいれば昨日あまり楽しくなかった練習も筋トレもちゃんと楽しくなっていたことにも安心した。
部活を終えてそれぞれ帰路につくときに先輩のもとへと駆け寄った。
「先輩!」
「あら、おつかれさま」
「また明日!」
思ったより大きな声が出て注目の集まった中、先輩はなんだかいつもより微笑んでこう返してくれた。
「うん、また明日ね」
小さく手を振る先輩と、特に何も起こらなかったなという雰囲気の中で明日もがんばろうという気が湧いてくる。先輩にも同じような気が湧いていたらいいなと思いながら、遠ざかる背中を少しの間見つめていた。
『透明』
思いの丈を言葉にすることで勝手に涙が出てくるとは思わなかった。好きだと告白された方は言葉に驚いた上に目の前で泣かれておろおろと困っていたけれど、そろそろと私に近づくと小さく返事をくれた。滲む視界から相手の目元にきらりと光る雫が見える。頬を伝った涙は透明で美しく、顔をべしょべしょにして泣くこちらとの対比がおかしかった。
「なんで笑ってるの」
「なんでそんなにきれいに泣けるの」
ハンカチを持っていない私たちはそろそろと近づいて抱き合うと、互いの肩口に目元を寄せた。互いの涙の匂いが感じられるかのようだった。
『理想のあなた』
おふくろから薪集めを頼まれてのらりくらりとやる気なく拾っていたら足を滑らせて泉に落っこちた。すると泉の女神様とやらが現れた。
「あなたが落としたのは真面目な男?それともろくでもない男?」
「俺のこと言ってるのなら、ろくでもない方だな」
「あなたは正直者ですね。ではこちらの真面目な男をどうぞ」
残されたのはずぶ濡れになった俺と、ほとりに立つ俺とそっくりの男。ふと思いついて言ってみる。
「今日からお前は俺の代わりに働いてくれ。俺は俺でのんびり暮らすからよ」
俺と同じ声でわかったと返事をした男は俺の代わりに、薪を拾い集めると村へと帰っていった。これはいいものを寄越してくれたものだ。今ごろ家にいる親父もおふくろもいつもよりよく働く倅に驚いていることだろう。
働かなくてもいいのだから、都へ行こうとその日のうちに村を立った。都には村にはないきれいな人や物がわんさとあり、最初は華々しい都にいられるだけで心躍ったが、田舎者にはことごとく冷たい街ということが段々とわかって心は冷えてしまった。
数年ぶりに帰った家の戸を開け放つと中には親父とおふくろがいた。どちらからも怪訝な顔をされる。
「あんたは、どちらさまだい?」
「誰って、あんたの倅だろうがよ」
「倅は薪拾いに出ているが、俺の倅はあんたみてえな顔をしちゃいねえ。叩き出されたくなかったらとっとと出ていってくれねぇか」
有無を言わさず追い出され、村人からも不審な目を向けられる。もう一人の俺を探し出して問い詰めねばならぬ。あの泉のある山へと向かった。
泉へとたどり着いても薪拾いをしている男は見つからなかった。親父はどうして俺のことがわからなかったのだろう。そのことが気になって水面を覗くと、そこには見知らぬ男の顔があった。驚いてもっと近くで見ようと身を乗り出して、泉へと落っこちた。以前は難なく陸へと上がれたのにいつまでも岸に近づけない。
「おい!女神様!助けてくれねぇのか!」
呼べど騒げど助けは来ない。底へ底へと引っ張られているかのように体が重くなっていく。口に鼻にと流れ込む水で息ができず、声も出せない。朦朧とした視界に人影が映った気がして目を凝らすと、それは薪拾いの格好をした俺の姿だった。
「言われたとおりにあなたの代わりをしています。どうぞご心配なく」
『突然の別れ』
今日会うのがこれで最後になるかもしれない、とはお互いに思っていたことだろう。お互いに後ろ暗い仕事の同業で、助けられたり助けたりもする間柄だった。堅気だった頃を懐かしんで酒混じりに思い出を語り合ったこともある。荒んだ業界に於いて数少ない友と呼べる存在だった。
風の噂にそいつが消えたと耳にした。消えたの意味は様々だ。足抜けをしようとしてどこかへ高飛びしたか、どこかでしくじってやられてしまったか、それともついに嫌気が差して人知れず命を絶ったか。いずれそうなるだろうと分かっていたが、今だったのかと問い詰めてやりたかった。
別れは昨日のことになり、一月前のことになり、過去の物になっていく。胸にずっとわだかまっている言葉をもはや言う機会もないだろうにずっと手放せないでいる。
『恋物語』
おばあちゃんには推しがいる。
「この前デビュー20周年コンサートに行ってきてね、それが最前列だったのよぉ。お友達と一緒にきゃあきゃあ騒いで、これで長生きできるわねぇなんて言っちゃってねぇ」
もともと演歌が好きだったおばあちゃんはある日彗星のように現れた若手演歌歌手に心奪われる。おばあちゃん齢60の頃であった。
おばあちゃんの推し活動を見守っていたおじいちゃんはその演歌歌手に興味はなかったけれど、いい歌を唄う奴だと認めてはいたようだ。そんなおじいちゃんはデビュー20周年を見届ける前にこの世を去っている。先立たれて気落ちしていたおばあちゃんは推しのおかげで立ち直ったと言っても過言ではない。
「おじいちゃんがいなくなった年は悲しくてしかたなかったわねぇ。だからかしら、喪が明けてからのコンサートはそりゃもう骨身に染み渡ったのよぉ」
喪中の年を除いた19年、毎年欠かさずコンサートに足を運ぶおばあちゃんは齢80とは思えないほど若くてかわいらしい。
「最近思うのよ。私あの人に恋させてもらってるって」
20年に渡るおばあちゃんの恋物語はこれからも続いていく。
「この前コンサート会場でうちわ振ってる人見かけたの!私も真似してみようかしらねぇ」