わをん

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『理想のあなた』

おふくろから薪集めを頼まれてのらりくらりとやる気なく拾っていたら足を滑らせて泉に落っこちた。すると泉の女神様とやらが現れた。
「あなたが落としたのは真面目な男?それともろくでもない男?」
「俺のこと言ってるのなら、ろくでもない方だな」
「あなたは正直者ですね。ではこちらの真面目な男をどうぞ」
残されたのはずぶ濡れになった俺と、ほとりに立つ俺とそっくりの男。ふと思いついて言ってみる。
「今日からお前は俺の代わりに働いてくれ。俺は俺でのんびり暮らすからよ」
俺と同じ声でわかったと返事をした男は俺の代わりに、薪を拾い集めると村へと帰っていった。これはいいものを寄越してくれたものだ。今ごろ家にいる親父もおふくろもいつもよりよく働く倅に驚いていることだろう。
働かなくてもいいのだから、都へ行こうとその日のうちに村を立った。都には村にはないきれいな人や物がわんさとあり、最初は華々しい都にいられるだけで心躍ったが、田舎者にはことごとく冷たい街ということが段々とわかって心は冷えてしまった。
数年ぶりに帰った家の戸を開け放つと中には親父とおふくろがいた。どちらからも怪訝な顔をされる。
「あんたは、どちらさまだい?」
「誰って、あんたの倅だろうがよ」
「倅は薪拾いに出ているが、俺の倅はあんたみてえな顔をしちゃいねえ。叩き出されたくなかったらとっとと出ていってくれねぇか」
有無を言わさず追い出され、村人からも不審な目を向けられる。もう一人の俺を探し出して問い詰めねばならぬ。あの泉のある山へと向かった。
泉へとたどり着いても薪拾いをしている男は見つからなかった。親父はどうして俺のことがわからなかったのだろう。そのことが気になって水面を覗くと、そこには見知らぬ男の顔があった。驚いてもっと近くで見ようと身を乗り出して、泉へと落っこちた。以前は難なく陸へと上がれたのにいつまでも岸に近づけない。
「おい!女神様!助けてくれねぇのか!」
呼べど騒げど助けは来ない。底へ底へと引っ張られているかのように体が重くなっていく。口に鼻にと流れ込む水で息ができず、声も出せない。朦朧とした視界に人影が映った気がして目を凝らすと、それは薪拾いの格好をした俺の姿だった。
「言われたとおりにあなたの代わりをしています。どうぞご心配なく」

5/21/2024, 6:01:00 AM