『カラフル』
ガラスの足つき皿にディッパーで掬ったバニラアイスがポンと載せられてウエハースも添えられている。
「ねぇお母さん。これで終わり?」
続きがあると知っているから尋ねてみると、母はにんまりと笑って戸棚から魔法の粉を取りだした。チョコレートでできたカラースプレーに銀色のアラザンが振り掛けられておやつのアイスクリームが完成する。
「さぁ、召し上がれ」
「いただきます!」
母にはいろんなことを教えてもらった。魔法の粉を欲張って掛け過ぎるとアイスの味が台無しになるとか、おやつをもうちょっと食べたいと思うところで止めておくとお腹に優しいとか。
百円均一でも製菓材料が並ぶようになってから久しぶりに魔法の粉に遭遇した。懐かしさに釣られてスーパーでバケツサイズのバニラアイスとウエハースを買って帰る。カレースプーンで格闘しながら味気ない皿にアイスを載せ、正方形のシール付きウエハースを半分に割って添える。なんとも映えないアイスにカラフルな魔法の粉を振りかけてもおやつのアイスは映えないままだった。
「……でもおいしいな」
懐かしい味を望んで再現したそれは思い出の味がした。
『楽園』
あんまりにもひどくつらい俗世が厭で、浄土へ行くことばかりを考えていたある日にいい召し物を着たお坊様が村へとやってきた。
「補陀落渡海へ行くものは居らぬか。ゆけば浄土へと誘われよう」
ふだらくなんとかという言葉に聞き覚えはなかったが浄土という言葉は夢に出てくるぐらいに望んでいたものだった。同じような考えで手を上げる者が何人もあり、中には一家総出で付いて行く者たちもいた。
村から出てさんざ歩いて辿り着いたのは海辺の寂れた村。立派とは言い難い船に全員乗れと促され、不安とともに揺れる木船へと乗り込んだ。最後に乗り込んだのはあのお坊様。身につけていたいい召し物は浜に残った小坊主に預けられ、自身は襤褸と荒縄を纏うだけ。しかもそれにはいくつも石が括り付けられていた。
「では沖へと参ろう。浄土はすぐそこにある」
船を見渡せば老若男女みな合掌の形に手を合わせている。そうしていないのは自分だけだった。浜辺が遠くなっていく。嫌だと叫ぶ声は誰にも聞き届けられなかった。
『風に乗って』
グラウンドに集まったこどもたちの手には赤、黃、緑の風船が握られていて、繋がった糸の先には手紙と花の種が付けられている。先生の号令で一斉に手放された色とりどりの風船たちは浮き上がり、ひとつどころからそれぞれバラバラに空の高くへと舞い上がる。いつまでも風船を見つめていたこどもたちはやがて見えなくなるほどに昇っていった風船に想いを馳せ続けた。
風に流れる船たちは大いなる気流に乗ってどこまでも行く。山へ行きたいものは山へ、海へ行きたいものは海へ。宇宙へ行きたいものは宇宙へ。もう一度人に会いたいと願った船はその通りに遠く離れた街へ。
「どうしたの?何か見つけたの?」
長い旅の果てに柔らかな芝生に横たわっていた船は犬に見つかり、そして人にも見つかった。船は満足しながらその身を委ねていた。
『刹那』
相手は構えていた刀を納めると長く息を吐いた。居合の構えだ。初手さえ間合いから外れれば勝機はある、と自分を鼓舞するが、僅かに鯉口を切る音が聴こえて汗が吹き出る。刀が抜かれるときを見逃してはならない、と目を皿のようにしてじりじりと相手の出方をひたすらに待つ。
しかし瞬きひとつの後に急激な寒気に襲われて視界がぐらついた。刀の振られる音に目をやると居合はすでに抜かれ、鞘に納められようとしている。地を踏みしめる感覚がない。ぐらついた体がいやに軽い音を立てて地面に転がっていく。あの刹那の間に一刀両断されていたのかと理解し、身から出る血が顔を浸していくのを感じとった。
『生きる意味』
テレビの向こうで同い年の人たちが活躍している。自分と同じ年月を生きているのに自分と何が違うのだろうと羨ましさ半分妬ましさ半分の目で見てしまう。意識的にあるいは無意識的に無数にあった選択肢を選び続けてきた結果が今なのだとしたら選択の機会が不公平だと思ってしまう。
「私の今がなんか冴えないのはぜんぶ神様のせいじゃないですか?」
テレビの街頭インタビューをたまたま目にしていたらそんな事をいう人がいた。頭の悪そうな答え方に薄ら笑いの気持ち悪い表情。端的に言ってくそダサい。けれど自分が言葉にせずとも薄々思っていた答えとまるで同じで、まるで自分が映されているかのようだった。
自分のせいだと思いたくないけれどすべて自分のせいだと結果が物を言っている。テレビやラジオやネットの向こうが輝いて見えるのは自分が輝いていないからだった。
こんな自分に生きる意味があるだろうか。誰かにあると言ってほしいけれど言ってくれる人はおそらく自分しかいない。誰かに殴られてでも励ましてほしいけれど叱ってくれる人もおそらく自分しかいない。
「せいっ!」
自分で自分に平手を打つと、思っていたより痛かった。痛みとともにぼんやりと思う。まずは先ほど見かけたくそダサい人間から卒業したい。
「早く人間になりたいなぁ」
道のりは遠そうだ。のろまな亀が歩み始めるイメージが頭をよぎった。