『善悪』
気まぐれに蜘蛛を助けた悪人が地獄に堕ちたとき、善神は気まぐれに救いの手を差し伸べた。かぼそい蜘蛛の糸に群れた亡者を蹴落としてしまったがために悪人は善神から見放され、地獄に舞い戻る羽目になった。
悪人は亡者たちと話し合う。
「あの仏様ほんとに俺を助ける気があったんだろうか」
「亡者が群がるのが想定の範囲外とは考えにくいな」
「いろんな力を持ってる仏様が見積もり悪いとかちょっとがっかりだよな」
チラとかつて蜘蛛の糸が降りてきていた箇所を見つめてみるが特段変わりない。揃ってため息を吐く悪人たち。
しかしその日の地獄のおつとめは獄卒たちが少しだけ手を緩めてくれていた気がする、とのちに悪人は述懐した。
『流れ星に願いを』
まだ凍えることさえもある春の夜にレジャーシートを敷いた寝袋に包まって星空を見ている。流星群が来るというのに今夜は満月。月より明るい流れ星はそうそうあるものではない。
「流れ星に願いごとしたことある?」
「あるよぉ。けど基本全然お願いできないねぇ」
ゆったりした口調を聞くにそうだろうなと内心思いながら明るい月とひそやかに輝く星を眺める。
「お願いできなかったけど叶ったことはあってね、だから流れ星にお願いするのはけっこうご利益あるのかもしれないなぁ」
「ふぅん。どんな願いごと?」
しばらく返事が聞こえないので視線を隣にやると、もじもじしている同級生と目が合った。
「一緒に星を見てくれる友達ができたらな、って」
照れ笑いにこちらが照れくさくなってきて互いに空の方を向いた。月より明るい光が一条、軌跡を描いて消えていくのが見えた。
「火球だ!」
興奮の抑えきれない大きな声が隣で響く。寝袋から這い出てカバンをかき回し、時間や場所を慌ただしくメモする横であんなものがあるのかと星の世界への驚きをまた新たにする。
「すごいね!すごかったね!」
「ああ、びっくりした」
「すごかったし、君と見られたことがすごくうれしいよ!」
照れも何もなく本当に嬉しそうな笑顔を見てこちらも嬉しくなる。スマートフォンを取り出して火球の目撃情報を探す傍ら、空を見上げればささやかに流れる星がひとつ。見て!と声を上げて手招きするので願いごとは半端になってしまったけれど、いずれまた叶うだろうとスマートフォンを共に見ることにした。
『ルール』
横断歩道の白いところだけ渡れるルールに、灰色のレンガしか踏んではいけないルール。こどもは歩いているだけでたくさんのルールを創り、遊びに変えていく。
「ルールを破るとどうなるの」
「しぬけど生き返るから大丈夫」
影しか踏めないルールに挑戦する子の前に街路樹から木漏れ日が差して手助けをする。影一つない道を渡るときには影を踏まないルールに切り替えて楽しげに先を行く。
「いつまで経ってもしなないね」
「だってルール破ってないから!」
自慢げにこちらを振り返る子の前を車が走る。ぶつかるかと思われたこどもの姿を車は素通りして走り去っていく。
「ちゃんと前見て」
「はぁい」
血の一つも流れないこどもは遊びに夢中で、もうずっと昔に私と自分が死んだことにも気づかない。創られたたくさんのルールに囲まれながら、死なないこどもと歩き続けている。
『今日の心模様』
四月の始め、入学早々に一目惚れした先輩に猛アタックして振られた。
「ごめん、付き合ってる人いるから」
それからというもの心はずっと雨模様。
「付き合ってる人いるかどうかは確認するでしょ普通」
「昔から惚れっぽいの変わってないね」
「入学一ヶ月未満でさっそく人生が濃いな」
お弁当を一緒に食べる中学からの友達はあまり心配をしてくれない。
「もうちょっと心配してくれてもよくない?」
「振られてから一週間はちやほやしたよ。早く立ち直りな?」
「いつまでもくよくよされてるといつまでもメシマズだ」
「そうだそうだ」
けれど確かに失恋気分に浸っているのも時間がもったいないと思えてきた。曇り模様ぐらいにはなってきたのだろうか。彼女たちのおかげで。
「わかった。失恋期間終わります」
「突然の復活宣言」
「やればできる子!」
「新しい恋が君を待ってる!」
そうだ。いつまでも失恋していたら新しい恋が始まりやしない。俄然前向きな気持ちが湧いてきた。
「みんな今までありがとう!みんなも新しい恋始まったら教えてね!応援するから!」
私の門出を祝う祝砲のようにも聞こえる午後の授業の予鈴が鳴り響く。友達は呆れた顔で、けれど笑顔で小言を言う。
「いいからお弁当早く食べちゃいなさい」
『たとえ間違いだったとしても』
デジタルな画面上に麻雀の牌が並び、九種九牌の表示とともに流局するかしないかの選択肢が出る。強い雀士なら迷わず次の局に進むのだろうけれど、頭に国士無双の四文字がチラついて離れない。
四人打ちの中で得点は最下位。親のターンはもう過ぎてしまったので起死回生は望めないと思っていたところにこの配牌である。麻雀の神様が役満を狙えと語りかけているに違いない。役満は浪漫であり夢と希望。この選択がたとえ間違いだったとしても後悔しない。
流局するかしないかの問いにいいえと答え、国士無双ロードを歩もうと不要な牌を流した次の瞬間。
「カン」
下家のプレイヤーが暗槓を宣言して場に現れたのは發4つ。国士無双ロードは瞬く間に脆くも崩れ去った。聴牌を果たしてもこの局での役満は未来永劫完成しない。虚無の塊とともに目の前を流れていく牌を見つめることしかできなかった。