『風に乗って』
グラウンドに集まったこどもたちの手には赤、黃、緑の風船が握られていて、繋がった糸の先には手紙と花の種が付けられている。先生の号令で一斉に手放された色とりどりの風船たちは浮き上がり、ひとつどころからそれぞれバラバラに空の高くへと舞い上がる。いつまでも風船を見つめていたこどもたちはやがて見えなくなるほどに昇っていった風船に想いを馳せ続けた。
風に流れる船たちは大いなる気流に乗ってどこまでも行く。山へ行きたいものは山へ、海へ行きたいものは海へ。宇宙へ行きたいものは宇宙へ。もう一度人に会いたいと願った船はその通りに遠く離れた街へ。
「どうしたの?何か見つけたの?」
長い旅の果てに柔らかな芝生に横たわっていた船は犬に見つかり、そして人にも見つかった。船は満足しながらその身を委ねていた。
『刹那』
相手は構えていた刀を納めると長く息を吐いた。居合の構えだ。初手さえ間合いから外れれば勝機はある、と自分を鼓舞するが、僅かに鯉口を切る音が聴こえて汗が吹き出る。刀が抜かれるときを見逃してはならない、と目を皿のようにしてじりじりと相手の出方をひたすらに待つ。
しかし瞬きひとつの後に急激な寒気に襲われて視界がぐらついた。刀の振られる音に目をやると居合はすでに抜かれ、鞘に納められようとしている。地を踏みしめる感覚がない。ぐらついた体がいやに軽い音を立てて地面に転がっていく。あの刹那の間に一刀両断されていたのかと理解し、身から出る血が顔を浸していくのを感じとった。
『生きる意味』
テレビの向こうで同い年の人たちが活躍している。自分と同じ年月を生きているのに自分と何が違うのだろうと羨ましさ半分妬ましさ半分の目で見てしまう。意識的にあるいは無意識的に無数にあった選択肢を選び続けてきた結果が今なのだとしたら選択の機会が不公平だと思ってしまう。
「私の今がなんか冴えないのはぜんぶ神様のせいじゃないですか?」
テレビの街頭インタビューをたまたま目にしていたらそんな事をいう人がいた。頭の悪そうな答え方に薄ら笑いの気持ち悪い表情。端的に言ってくそダサい。けれど自分が言葉にせずとも薄々思っていた答えとまるで同じで、まるで自分が映されているかのようだった。
自分のせいだと思いたくないけれどすべて自分のせいだと結果が物を言っている。テレビやラジオやネットの向こうが輝いて見えるのは自分が輝いていないからだった。
こんな自分に生きる意味があるだろうか。誰かにあると言ってほしいけれど言ってくれる人はおそらく自分しかいない。誰かに殴られてでも励ましてほしいけれど叱ってくれる人もおそらく自分しかいない。
「せいっ!」
自分で自分に平手を打つと、思っていたより痛かった。痛みとともにぼんやりと思う。まずは先ほど見かけたくそダサい人間から卒業したい。
「早く人間になりたいなぁ」
道のりは遠そうだ。のろまな亀が歩み始めるイメージが頭をよぎった。
『善悪』
気まぐれに蜘蛛を助けた悪人が地獄に堕ちたとき、善神は気まぐれに救いの手を差し伸べた。かぼそい蜘蛛の糸に群れた亡者を蹴落としてしまったがために悪人は善神から見放され、地獄に舞い戻る羽目になった。
悪人は亡者たちと話し合う。
「あの仏様ほんとに俺を助ける気があったんだろうか」
「亡者が群がるのが想定の範囲外とは考えにくいな」
「いろんな力を持ってる仏様が見積もり悪いとかちょっとがっかりだよな」
チラとかつて蜘蛛の糸が降りてきていた箇所を見つめてみるが特段変わりない。揃ってため息を吐く悪人たち。
しかしその日の地獄のおつとめは獄卒たちが少しだけ手を緩めてくれていた気がする、とのちに悪人は述懐した。
『流れ星に願いを』
まだ凍えることさえもある春の夜にレジャーシートを敷いた寝袋に包まって星空を見ている。流星群が来るというのに今夜は満月。月より明るい流れ星はそうそうあるものではない。
「流れ星に願いごとしたことある?」
「あるよぉ。けど基本全然お願いできないねぇ」
ゆったりした口調を聞くにそうだろうなと内心思いながら明るい月とひそやかに輝く星を眺める。
「お願いできなかったけど叶ったことはあってね、だから流れ星にお願いするのはけっこうご利益あるのかもしれないなぁ」
「ふぅん。どんな願いごと?」
しばらく返事が聞こえないので視線を隣にやると、もじもじしている同級生と目が合った。
「一緒に星を見てくれる友達ができたらな、って」
照れ笑いにこちらが照れくさくなってきて互いに空の方を向いた。月より明るい光が一条、軌跡を描いて消えていくのが見えた。
「火球だ!」
興奮の抑えきれない大きな声が隣で響く。寝袋から這い出てカバンをかき回し、時間や場所を慌ただしくメモする横であんなものがあるのかと星の世界への驚きをまた新たにする。
「すごいね!すごかったね!」
「ああ、びっくりした」
「すごかったし、君と見られたことがすごくうれしいよ!」
照れも何もなく本当に嬉しそうな笑顔を見てこちらも嬉しくなる。スマートフォンを取り出して火球の目撃情報を探す傍ら、空を見上げればささやかに流れる星がひとつ。見て!と声を上げて手招きするので願いごとは半端になってしまったけれど、いずれまた叶うだろうとスマートフォンを共に見ることにした。