『桜散る』(桜の森の満開の下)
ずっと探しものをしている。桜の花びらを掻き分け、腐った落ち葉の混じる土を掻き分けると好いた女の死に顔に行き着くのだが、瞬きをすればまた目の前の地面は花びらで埋め尽くされている。
冷たい風に頬を撫でられて顔を上げるとおれ自身が花びらに変じ、気づいたときにはまた地面を掻き分けている。手を止めて爪の間に入った土を眺めていると遠い昔のことを思い出しそうになるのだが、落ちてくる花びらに気を取られてまた地面を掻き分けることになる。
ずっと同じことの繰り返し。気が狂う間もないほどに満開の桜から花びらが散り続けている。
『夢見る心』
私は生き人形として造られた。人の姿に似せられ、人と同じぐらいの大きさの私に血は通わないけれど、胸には心を模したモチーフが埋め込まれている。どうして私はひとりでに動けるのか。どうして私は心を持っているのか。彷徨い歩くうちに書物と出会い、時には話をしてくれる人とも出会い、いろんな知識を得ていった。叶いそうもない何かを願うことを夢を見ると形容するのだと知ったときに、私を造った人は私をほんとうに生かそうと夢見て心を埋めたのかもしれないと思い至った。
造った人は今はお墓の下に眠っている。私は時折お墓に訪れ、花を手向けて語りかける。
「私の夢は叶うでしょうか」
答えを教えてくれる存在がこの世界のどこにもいないことは人形でも人でも同じらしい。堅い手のひらと節くれた関節をじっと見つめて、いつの日にか人に成れることを想いながらそれを隠す手袋を身につける。
『届かぬ想い』
初めてこの家に執事見習いとして来たとき、お嬢様は奥さまの後ろに隠れてこちらをじっと見つめていた。あいさつを促されてようやく一人で向き合った小さなレディは照れながらも美しい所作でごきげんようと小さく言った。お嬢様と十以上年の離れた私はその時に恋に落ちていたのだと思う。
淑女たれとお嬢様に課せられる教育は庶民の出の自分からすれば次元の違う世界だった。泣き言をこぼし不満を貯めることもあれば課題に楽しげに取り組み、時には年ごろのこどもらしく遊ばれて、お嬢様は成長していった。
お嬢様の学生生活が終わりに差し掛かった頃、庭先でのティータイムでお嬢様がふと口を開く。
「あなた、好きな人はいるの?」
よもやいち執事にそんなことを尋ねられるとは思わず、けれど本心を伝えることも叶わない。
「いいえ、おりません」
「あら、そう」
物憂げにも、深く思案しているようにも思える眼差しは一瞬のこと。お嬢様の縁談が決まったことを聞いたのはそれから間もなくのことだった。
『神様へ』
毎月一度は近所の神社の神様へ会いに行く。このあたりではわりと大きい神社には初詣や季節ごとの祭りにも観光客が観光バスに乗ってやってきたりするのだけれど、平日の朝はあまりひと気もなく神主さんたちもまだ出揃っていない。
「よう」
「どうも」
神様は意外と気さくに声をかけてくれる。
「きょうは何持ってきた」
「今年のたけのこですけど、まだ手洗ってないんで定位置で神様らしくしててくださいよ」
「はいはい」
気さく過ぎるのも考えものだなぁと思いながら手水舎で手を洗い口をゆすぐ。拝殿の賽銭箱の前にたけのこを供え小銭を入れ、二礼二拍手一礼。その間にたけのこから何かしらが持っていかれる。
「なかなかいいたけのこだ。いつもありがとよ」
「お世話になっておりますので」
お供えのお下がりであるたけのこは行きよりも帰りのほうが少しだけ軽い気がする。
『快晴』
外はよく晴れている。冬に着ていた服のどれもが今の気候に適していないけれどまだ衣替えが済んでいないのでどうしたものか。薄手のカットソーをどうにか探し当て、仕方なく厚手のデニムを履いて暑いぐらいの気温を感じながら恋人との待ち合わせ場所へ向かう。
半袖半ズボンの人もいれば春めいた色のコートを頑張って羽織っている人もいる街中に、先に来ていた恋人は小さく手を振る。
「今日あっついね」
「ほんとに」
ソフトクリームの看板に外国の観光客が列を成すのを見ながら、日傘とサングラスで防御力高めの人たちとすれ違い、デートを始める。
「どこ行こうか」
「服屋見よ。今家に着る服全然ないの」
「わかる〜」
今着ている服をなんとか掘り出したものだと力説する恋人の話にうんうん相槌を打ちながら手を繋ぐタイミングを計りかねている。外はよく晴れて、手には汗が滲んでいる。