わをん

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4/5/2024, 4:17:51 AM

『それでいい』

近所の自治会の剣道教室に通っていたことがある。講師を勤めていた先生は普段はまあまあ優しそうに見えるけれど、道着と袴を身に着けるときは厳しい先生だった。竹刀を雑に扱ったり、試合ではないときに竹刀でチャンバラごっこをやった時には泣くほど怒られたものだ。
剣道は物に対する姿勢、所作に対する姿勢、そして相手に対する姿勢に気を配るものだ。剣の振りがおろそかになっていることをよく叱られていたが、竹刀の扱いにも慣れてくると耳にタコができるほどに聞かされていたことがある日にわかるようになった。竹刀の振り方も蹲踞も礼も身を入れるとまったく違うものになる。
「それでいい」
初めてそれを実践できたとき、先生が満面の笑みで褒めてくれたことが今でも忘れられない。

4/4/2024, 4:11:39 AM

『1つだけ』

給食に出てくるシュウマイと八宝菜には厳しい掟がある。それはシュウマイとグリンピースは必ずセットであること。そして、一人につき一つのうずらのたまごが入っていること。
「はい、全員自分のお皿確認してくださーい」
担任の教師の号令で各自のシュウマイと八宝菜のチェックが入る。配膳を担当した給食係たちは緊張感を漂わせながら自らの皿をチェックしていた。シュウマイは目視で確認できていたが、八宝菜は配膳係の技量が問われる。もし全員均一に配られていない場合は給食係にそのしわ寄せがいくのだ。
「先生」
一人の生徒が挙手をして、うずらのたまごが入っていないと主張した。悲壮感で怯えた目をする給食係たち。教師はその生徒のもとへと歩み寄り、優しげな目をして尋ねた。
「先生もチェックをするけど、いいかな?」
今度は挙手をした生徒が怯えた目になった。教師がマイ箸を取り出して皿をつつくと、ないはずのうずらのたまごが野菜の山から発見される。
「たまごはひとりにつき1つだけだからね」
項垂れる生徒。ほっと胸を撫で下ろす給食係たち。教師は颯爽と自席に戻り、声高らかに宣言する。
「それではみんなでいただきましょう。いただきます」
「「「いただきます」」」

4/3/2024, 4:10:25 AM

『大切なもの』

物であふれかえる部屋を鑑みて断捨離を決行することにした。二年着てない服、サイズが微妙な服、着るときに気になるところがあった服を捨てるとワンシーズン10着ぐらいになった。
何年も開いていない雑誌、買うのをやめてしまったマンガ、ダイエットの本を捨てると本棚には繰り返し読んだ本ばかりが並んだ。
昔使っていた電池切れの携帯やスマートフォンを充電しては中のデータを有線、無線を駆使して容量の大きいデータカードに移し替える。電気屋さんで売り払ったり回収してもらうと手持ちのスマートフォンだけになった。使ってないアプリもついでに消していく。
断捨離しきれないものももちろんある。卒業アルバム、部活仲間にもらった手作りのお守り、親から贈られた時計、おばあちゃんから譲られた指輪。ひとつずつ埃を払い、またもとの場所に戻す。
斯くして、部屋に残ったのはさながら歴戦の猛者たち。最初の出会いはなんてことのなかったものたちはいつしか私にとってかけがえのないものになっていた。心なしか風通しの良くなった部屋をこれからもよろしくお願いしますという気持ちでしみじみと眺めた。

4/2/2024, 6:30:59 AM

『エイプリルフール』

よく晴れた空の下、毎年いたずらやウソを仕込んでくる彼に今年は公園に呼び出された。
「まちがい探し5個見つけてね」
そういってポーズを取った彼の今年の仕込みはシンプルかつ簡単そうにみえる。
「靴の左右が違う!靴下も違う!メガネのレンズが入ってない!片目だけカラコン!それから、ピアスがイヤリング!」
「正解正解大正解〜〜!」
ふたりきりの公園にパチパチと彼ひとりぶんの拍手が響く。実をいうと公園にやってきて彼を見たときからわかっていたことだった。なんだかんだで長い付き合いだなぁと思っていると、彼はポケットをゴソゴソと探りだす。
「そんなあなたにこちらをプレゼント」
出てきたのはビロード張りの小さな青いジュエリーケース。開かれた中には透明に輝く小さな石があしらわれた指輪が収まっていた。
「結婚してください!」
「……告白、がウソ?」
「ほんとです!ガチです!」
「えっと、その指輪は実はイミテーションだったり?」
「残念、高級品です!」
「結婚する気が実はないとか……?」
「残念!めちゃめちゃにあります!」
腰を直角に曲げて指輪を差し出す彼。
「ウソみたいに幸せにします!よろしくお願いします!」
しばし呆然としたあとに湧き上がってきたのは嬉しさ。差し出されたままの指輪を両手で受け取るとへんてこな格好の彼は緊張から解き放たれたあとにガッツポーズとともに叫んだ。
「けど今日みたいな日をわざわざ選ばなくていいのに」
「こういう日じゃないと告白する勇気が出なくて……」
照れくさそうに笑った彼は恭しく私の左手を取る。指輪は薬指にウソみたいにぴったりと嵌まった。

4/1/2024, 4:18:43 AM

『幸せに』

お気に入りのパン屋さんの近くに開運ショップがある。スピリチュアル好きな人に受けのよさそうなパステルカラーな内装に開運!とか幸せを呼ぶ!とかワード強めなPOPとパワーストーンのブレスレットや置物、ドリームキャッチャーやナザールボンジュウなんかがいろいろと並んでいる。意外なことにそこそこ繁盛しているらしい。
「あそこはなんで人気なんですかね?」
「あぁ、なんか占い師さんがすごいらしいわよぉ」
パン屋のおかみさんが言うには店主の占いとアドバイスの評判がよく、予約がなかなか取れないそうだ。
「みんな幸せになりたくてああいうところに行くのかもしれないけど、幸せなんてそのへんにけっこう転がってるんじゃないかしらねぇ」
焼き立てのパンを紙袋に詰めながらおかみさんがしみじみと言うのでほんとですね、などと相槌を打つ。
焼き立てを今すぐ食べたい欲に駆られてしまったので開運ショップの前を通り過ぎ、近くの公園へ行く。紙袋からまだ熱いぐらいのバターロールを手に取ってそれを割り、湯気混じりのバターの香りに包まれながら小麦の味を噛み締める。
「……幸せ」
バターロールひとつで幸せになれるというのに、紙袋の中にはまだバターロールがある。もう一つ食べるかどうかを悩む時間もまた幸せだった。

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