『好きじゃないのに』
バレンタインデーに余ったチョコをいつもいつもちょっかい出してくる男子に渡した。
「これあげるから、ウザいことしてくるのやめてよね」
相手の反応を特に気にせずそのまま帰り、次の日には他の子の恋バナで盛り上がったのでいつものちょっかいが無くなっていたことにも気づかなかった。
そしてホワイトデーの朝。友チョコ入りの紙袋を手に下げて学校へと向かう途中にいつもちょっかいを出していた男子が立っているのに気付いた。
「おはよう。早いね」
住んでる地域はこの辺じゃなかったはずだけどな、と思っているとずい、と薄いブルーの紙袋を突き出される。
「これ、お返し」
受け取ると彼は何も言わずに学校の方向へと猛然と走り出していった。道の向こうに後ろ姿が見えなくなってから、家族以外から初めてお返しというものをもらったことに気がつく。
「しかも手作り……?」
かわいい紙袋から覗いているのはどうやら市販のものではない。今までなんとも思っていなかった彼のことが急に気になり始めた。
『ところにより雨』
「雨を降らせる魔法を習ってきた」
「まじで」
本日は晴天なり。しばらく春らしい陽気が続くでしょうという天気予報の通り、洗濯物がよく乾く日が続いていた。最近の魔法教室ではいろんなことを教えてくれるんだね、などとだべりながら、住宅街だと迷惑がかかりそうなので河川敷へと自転車で向かう。菜の花の黄色が揺れる川沿いには春休みに入ったこどもたち何人かが思い思いに遊んでいた。
「それでは張り切ってどうぞ」
「しゃっす」
雨とひとくちに言ってもいろんなものがある。にわか雨に土砂降りもあれば霧雨もゲリラ豪雨もある。どんな雨が降るのだろうと思いながら草地に佇んで習いたての魔法が発動する様子を眺めていると、ぽつり、またぽつりと顔にしずくが落ちてきた。その間およそ2秒ほど。
「あっした!」
「えっ、終わり?」
空はよく晴れたまま。けれど半径1メートルほどの範囲にはじょうろで水を垂らした程度に地面が湿っていたのだった。
「これ以上やると命が危ういから」
「おなかが減る程度でしょ」
けれどいいものを見させていただいた。名も知らぬ草花たちも心なしか喜んでいたように思う。
『特別な存在』
ステージの上で歌と踊りで疲労もものすごいはずなのにそれを一ミリも感じさせずに観客に手を振り、笑顔まで見せてくれるアイドルたち。その一員のひとりは私にとって特別な存在だ。がんばってと応援する気持ち、どうしてそこまで一生懸命なのかと感動する気持ち、そんな姿を見せてくれて感謝しかないという気持ちをペンライトに込めて両腕を振りに振り、気づけばステージを去っていく彼を号泣しながら見ていた。
週刊誌に私服姿の彼が写っていた。傍らには私服姿の女性アイドルがいて、熱愛という見出しが踊っている。アイドルの裏側なんか見たくないという気持ちと彼のことをもっと知りたいという気持ちをせめぎ合わせながらコンビニの雑誌コーナーでしばし立ち尽くしたあと、カップコーヒーだけを手に店を出る。指先はじんわりと温かいけれど心のどこかがひんやりとしていた。彼はいつかは誰かとお付き合いをするだろうしいつかは誰かと結婚もするのだろう。ぼんやりとわかっていたことだけれど、いざ目の当たりにすると予想していたよりも自分の足元がぐらついた。
それでも足が現場に向かってしまう。以前よりも顔見知りのファンが数を減らしていても、いつものようにステージは始まる。これまでと同じ気持ちで彼を見られないかもしれないと思っていたけれど、杞憂だった。彼は変わらず全力で歌って踊り、観客の声援に全身で応えていて、それを見る私は応援し、感動し、感謝を返した。号泣のさなかに思う。私ができることは応援と感動と感謝、そのぐらい。けれど彼にとっての特別な存在にはそれ以上のことができるのだろう。彼女の存在が彼のプラスになるのなら応援してあげたい。足元のぐらつきは収まり、冷えていた心も気にならなくなっていた。
『バカみたい』
他所の国で傭兵として従事していたことがある。重篤な犯罪者でない限りは雇うというスタンスのためか世の中にうまく適合できないハジキ者ならず者も多く、戦う以外に能のない不器用な人間が集っていた。
同僚たちは不器用すぎるがために生きるのも下手くそだった。いつ死んでもおかしくない死線を共にくぐり抜けてきたというのに些細なことのケンカの度が過ぎたり、彼女にフラレて失恋して立ち直れなくなったり、突然ビルから飛び降りたりとバカみたいな理由で命を落としていった。虚しさを感じないわけはなく、ほどなく除隊した。
自国の平和な生活の中に表立った戦いの日々はない。けれどバカみたいな理由で犯罪に手を染めたり命を落とす奴がいるのはあちらとそんなに変わりはない。何が分かれ目なのだろう。考えても答えの出ない問いを幾度となく思ってしまう。
『二人ぼっち』
海の向こうのきらびやかな祭典で世界的な賞を与えられた映画作品が近所の映画館でも上映されることになった。予告動画をたまたま見かけて興味があったのと、ネットの記事で映画を作った監督や俳優たちが喜びを爆発させていたのを見ていたので会社帰りに喜び勇んで映画館に行ってチケットを買い、レイトショーの上映を待った。私と同じように上映を心待ちにしていたひとがたくさんいるのだろうなと期待していたが、さりげなく辺りを見回してみると場内にいるのは私ともう一人だけ。照明が暗くなっていく。
世界的な賞を与えられた作品に周りの人たちはあまり興味がないのかと落胆したが、やがてそんなことはどうでもよくなるほどにスクリーンに釘付けになり夢中になっていった。私ともう一人のお客さんはエンドロールを最初から最後まで見届け、掃除をするスタッフさんに追い立てられるようにロビーに向かい、売店で列を作ってパンフレットを買った。出口に向かうエスカレーターではふたりとも無言だったけれど、言葉に表せない親近感をひしひしと感じ合っていたように思う。透明なビニール袋に入った大きなパンフレットはふたりの手元に揺れてそれぞれの家路を進んでいった。