『夢が醒める前に』 (夢をみる島)
いつからあるのかわからない島に私がいつからいたのかわからない。誰に教えられたわけでもないのに知っているお気に入りの歌を歌って過ごす変わらない毎日は、誰も来たことのなかった島にやってきた剣士によって少しずつ変わっていった。それまで知ることのなかった島の外の話は彼から初めて聞いたときから何度も思い出している。海の向こうに想いを馳せて、空を自由に飛ぶカモメに憧れるようになった。
島の一番高いところにあるタマゴからかすかに、けれど確かに歌が聞こえてくる。夢も悪夢も目覚めの時が訪れるとすべて忘れてしまうけれど、彼は私のことを覚えていてくれるだろうか。私の思い出や願いや想いはどこへいってしまうのだろうか。
いつものように空は青く雲は白く、風は穏やかに吹いている。もう少しだけ、彼と話がしたかった。
『胸が高鳴る』
秋の文化祭でクラスの男子たちによる女装カフェという模擬店があった。体育会系のいかついウェイトレスもいれば、仕草がサマになっているウェイトレスもいたが、一番人気はなんと俺の親友。元々中性的な容姿がクラスの女子たちの化粧によってとんでもない美人になり、一部の同性たちをそれはそれは惑わせていた。俺もその一部のうちのひとり。スマートフォンに収められたツーショット写真を見返すことがたまに、いやけっこうある。
「あのときのお前、めちゃくちゃかわいかったな……」
「その話もう何回目よ」
春休みで家に遊びに来た親友は部屋で寝転びスマートフォンを眺めながら笑う。普通にしてたら別にときめかないのになぁと少し不思議な気持ちになる。
「でももうやりたくないかな」
「えっ、なんで」
「あの後けっこうな数告白されたから」
「えっ、」
「全部男ね」
「ええっ、」
初耳の話だった。
「魔性の女じゃん!」
「魔性の女装子さんね」
おもむろに身を起こした親友は身を正してこちらに向き合うと、謝りたいことがある、と切り出した。
「お前がよく見てる僕とのツーショット写真あるじゃん」
「ある。今も見てた」
「あれをね、告白してきたやつらに見せて僕の彼氏ですって断ってたのよ」
「ええっ、」
そういえば文化祭の後から視線を感じることがあったような気がする。ちょっとしたインネンつけられたり嫌がらせがあったようななかったような。
「僕のせいでなんか嫌な思いしてたらごめん。あと勝手に彼氏とか言ってごめん」
そう言って親友は頭を下げた。その下げた頭を人差し指で押してこちらを向かせる。
「1個目については、俺は気にしてないからお前も気にしなくていい」
「……わかった」
「2個目については、聞きたいことがある」
「はい」
「俺いま告白された?」
部屋の空気が少し変わっていた。短いようでやたらと長い時間が流れて手には汗が滲み、心臓がじわじわと存在感を増してきていた。ときめきに少し似ているかもと思っていたところに小さな小さな声で親友がはい、と言ったのが聞こえてくる。文化祭のあのとき以来に胸が高鳴り始めていた。
『不条理』
不条理演劇というものを見た。幕が上がったときからすでに舞台の上では問題が起こっており、演者たちはあれこれと手を尽くし、議論を交わすがなにも解決しない。そういうものだとわかってはいたが面白みを見つけられないまま幕が降りてしまった。
観客たちはなぜかスタンディングオベーション。つられて立ち上がり周りを見ると涙を流している者もいる。内心首を傾げて舞台を見れば晴れやかな顔をした役者が手を振り袖に戻りカーテンコールにまた応えた。いつまで経っても拍手が止まない。いつまで経っても劇場から外に出られない。
『泣かないよ』
4月から始まる大学生活の準備はやることがやたらと多くて大変だったが、なんとかひと区切りついた。寝転がってスマートフォンを触っているとメッセージが届く。
『明日遊ぼう』
同級生からの手短なメッセージにおけまると返信し、スマートフォンを胸に天井を見上げた。
小学生の頃から付き合いのある彼女とはなんやかんやで十年以上ほぼ毎日顔を合わせていたことになる。お互いの進学でそれが無くなるという事実が唐突に胸に湧いてきて、涙腺を緩ませ始めた。明日会うというのに寂しいなんて気が早すぎる。
寝返りを打ってスマートフォンに文字を打ち込む。
『明後日から私と会えなくなっても泣くんじゃないぞ』
送信ボタンを押して瞬きをすると涙がこぼれた。
『泣くわけねーし』
返ってきたメッセージにはこう書かれていたけれど、届いたタイミングはいつもよりちょっとだけ遅い気がした。
『怖がり』
サークルの旅行で立ち寄った宿で、近くに心霊スポットがあるらしいという話を小耳に挟んだ。男ばかりの5人中、盛り上がったのは3人。俺を含めて2人は絶対行かないという派閥に分かれた。
ノリが悪いだの、協調性がないだの、日和ってんじゃねぇだのと冗談交じりの悪口を言う3人をあしらい、部屋に戻る。
「あいつら迷惑掛けずに戻ってくるといいけど」
「そだね。生きて戻ってくるといいよね」
「その言い換え怖くない?」
「までも、そのときは自業自得ってやつだね」
残ったうちのもう一人は部屋飲みで買い込んだ缶チューハイを傾けながら聞いてくる。
「そいえば、君はなんで行かなかったの」
「うーん。行っても良いことなんもないし、」
俺も缶ビールに手を伸ばしてつまみもついでに取る。
「まぁ、俺がただの怖がりってのもあるかな」
照れ隠しに笑ってビールを傾ける。
「僕は行っても良いことない、って考えは賢いと思うよ」
缶チューハイを一気に飲み干した彼はため息交じりにゲップを吐くと、にわかに声の調子を低くした。酔っ払いの戯言として聞いてほしいんだけど、と前置きをして。
「今夜もし3人が戻ってこなくてもそれは君のせいじゃない。僕らは怖がりで、あの3人はそうじゃなかった。それだけだから」
酔っ払いにしては真剣味を帯びた話に笑うことはできず、わかったと頷いた。
日付を越えても3人が戻ってくることはなかった。