わをん

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3/16/2024, 12:54:12 AM

『星が溢れる』(Bloodborne)

柔らかな肉に瞳は宿る。宿る先、それは目であり、それは脳であり、それは命の揺り籠である。
目に見えぬものを感知できたのは唐突なことだった。脳裏に広がったぼんやりとしたもやは夜空の星雲のようにきらめいて美しく、涙が溢れ出て止まらなかった。
あのもやを見て以降、視力が失われていることに気がついたが、あなたは瞳を得たのだと周りの人たちは褒め称えた。もっとはっきりとその姿を見たいと思い、さらなる瞳を得た先に視えたのは柔らかな肉を纏い粘液に塗れた巨大な軟体生物。それを変わらず美しいとは思えなかった。
「私たちの追い求めていたものは、あんな化け物だったのですか……!」
周りの人たちのため息が聞こえる。
「あんなもののために、私の目は、」
何かが振り下ろされる音が聞こえる。

3/15/2024, 3:33:40 AM

『安らかな瞳』

猫を飼い始めてからわかったことがある。猫は犬に比べて表情が乏しいと言われたりするけれどそんなことはない。悪戯を咎められると気まずそうな顔をするし、被り物や服を着させると露骨に嫌そうな顔をする。
「きょうもかわいいね」
声を掛けるとそんなことはわかっていると尊大な顔をする。
猫がここに来た当初は怯えた顔の記憶しかない。元は野良猫として外で暮らしていた猫は知らない土地に連れてこられたという思いがあったのか、ケージの中で縮こまって何に対しても威嚇していた。噛み傷、引っ掻き傷が絶えない日が続いていたが、カリカリを出す人として顔を覚えられてからは少しずつケガも減り、猫の行動範囲も広がっていった。
日当たりのいい窓辺で猫がうつらうつらと微睡んでいる。三角の耳に細い目の生き物を脅かすものはここにはいない。
「最近あたたかくなってうれしいね」
安らかな瞳をした猫はまばたきをひとつするとまた午睡に戻っていった。

3/14/2024, 3:59:51 AM

『ずっと隣で』

こどもの頃からやっている柔道でライバルと思っている人がいる。県大会レベルでは敵なし状態だったので天狗になっていた私は地方大会で初対戦したときに負けを喫し、その人は優勝した。その人は同い年で、天才とかサラブレッドとか呼ばれている人だった。どうして表彰台に私はいないのか。そして、表彰台に乗ってメダルを受け取るその人にはどうして笑顔が無かったのか。そのふたつを強烈に覚えている。
負けてからはそれまでサボりがちだった基礎練習や筋トレをちゃんとやるようになった。負ける要素を少なくすれば勝てるようになる。勝てるようになれば、勝手にライバル認定したあの人にも勝てるかもしれない。次の年の地方大会にも出場し、再会できたのは決勝戦。無駄のない動き、判断の早さ。どれをとっても段違いだった。
表彰台に登る前、少し話をした。今日の試合はこれまでで一番楽しかったとその人は言った。
「実は去年も対戦してたんだけど、覚えてる?」
「ごめん、全然」
うふふ、と笑いあってから表彰台に登る。少しだけ笑顔になったその人を見て、なぜかとてもうれしかった。
あのときの試合を胸に、今日もまた練習に励んでいる。いつか勝てるかもしれないという思いもある。けれど、また楽しい試合をしたい。私が強くなればあの人を笑顔にできるとわかったから。

3/13/2024, 3:43:30 AM

『もっと知りたい』 (ストリートファイター6)

金をだまし取る方法は簡単だった。大人相手を遊びに誘い、乗ってきたところを哥哥が写真に収めて口止め料に金をせびる。そうやってなんとか生き延びてきた。
そんな生活が終わりを告げたのはいつもと同じことを兇手相手とは知らずに仕掛けたとき。哥哥が写真を撮って出てきたのにその人は狼狽えず、私達に選べと言って札束と短刀とを示した。どちらも今まで見たことのないものだった。私が惹かれてしまったのは短刀の方。美しく無駄のない形状の短刀に刻まれた紋様のようにも見える文字はなにを表しているのか、そればかりが気になった。選べと言われたが、見つめるだけで精一杯。手に触れることは畏れ多いことのように感じていた。
「そこに書かれた文字を教えてください」
文字を読むことが出来なかった私は跪きながらそう告げて、身の内から湧き上がる知りたいという気持ちを込めて縋った。私のすべてを棄ててでも知りたいと思ってしまった。
哥哥と最後に交わした言葉をもはや覚えていない。先生の教えてくれる知識と技術と体験、そして先生が今の私のすべてだった。

3/12/2024, 3:41:30 AM

『平穏な日常』

朝。犬の散歩にゆく。真冬に比べて日が昇るのが早くなったので、日の光を浴びながら歩いているとだんだんと目が覚めてくる。昨日降った雪は屋根の上や農地の土をまぶすように薄く積もっていた。小春日和に咲いていた小花のあたりを犬がしきりに匂いを嗅いで、鼻先に乗った雪はわずかに留まったあとに水となって消えていく。
「鼻冷たいね」
答える代わりにくしゃみをした犬は散歩の続きをずんずんと歩き出す。
昨日も今日も同じように思えてしまうけれど、犬を見ているとどうやらそうでもないらしいと思えてくる。昨日には無かった木の枝を咥えてみたり、昨日には無かった匂いを探り当てようとしたり。
風の中の匂いに神経を集中させているかのように佇んでいた犬はやがてまた歩き始めた。なにか新しいものを見つけにいく足取りは今日も軽やかだった。

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