『今日にさよなら』
朝から始まったデートはずっと楽しいままに夕暮れ時になった。手を繋いで帰り道を歩くふたりを夕焼けが照らしている。西日色に染まる雲を美しいとも思わず、ただ隣を歩く君のことを想って呟く。
「夕焼けを見てると寂しくなるのはなんでだろうね」
遠くの空を見ながら少し考えた君は言う。
「太陽の気持ちがうつっちゃうから、ですかね」
なるほどと思いながら地平線に沈みゆく太陽に別れを告げる。さよなら太陽。明日もきっと会えるよ。
駅に着いてしまったので帰り道はここで終わり。けれど繋いだ手を解く気が起きず、気の利いたことも言えないうちに乗る予定の電車が走り去ってゆく。
「太陽の気持ちがうつっちゃいましたね」
「うん、そうかも」
「でも、さよならしないとまた会えません」
繋いでいた手をするりと解いた君は小指を差し出した。
「約束、しましょう」
また今日みたいな楽しいデートができますように、と華奢な小指は私の小指を絡めて唱える。嘘をついたら針千本。
「……針千本はふたりで千本なのかな」
「それかふたりで二千本ですね」
うふふ、と笑いながら少し薄れた寂しさを抱えてデートを終わりにする。
「じゃあ、また」
「おやすみなさい」
手を振る君に手を振り返しながら、小指の感触を思い出していた。
『お気に入り』
星を渡る船の中でずっと彼女のことを考えていた。彼女の好きだった花。彼女の好きだった菓子。彼女の好きだった歌。船の向かう先にそれらは存在しない。
何気なく首元へと手をやったが、いつも身につけていた首飾りは彼女に贈ったのだった。未練が残ってしまいそうだったから彼女からは何も受け取らなかったというのに、心はずっとあの星に置き去りになっている。
彼女のお気に入りの歌を口ずさむ。彼女の声が重なって聞こえた気がした。
『誰よりも』
誰よりもあなたのことを愛していた。あなたも私のことを誰よりも愛していたけれど、あなたは私を置いて祖国へと行く。彼の祖国は宇宙を越えた遥かな星にあり、私のこの身はとても行き来できるものではない。
私よりも国が大事なのかと聞けばそうだと言われ、一生あなたのことを許さないと言えば許さなくてもいいと返ってきた。彼は別れの際にくちづけと、いつも肌身離さず身につけていた首飾りを残して行った。それが昨日のこととなり、一年前のこととなり、数十年も前のこととなった。数十年の間の一日ごとに彼のことを許したり許さなかったりしたけれど、私はやっぱりあなたのことを誰よりも愛していた。
もうすぐ私の命の火は尽きる。震える手で身につけた首飾りにそっと触れて、誰にも聞こえないほどの声でやっぱり許さないと呟いた。
『10年後の私から届いた手紙』
外から帰ってくると家の郵便受けの近くに所在無げな配達員さんが立っていた。よく見かける郵便局の制服とちょっと違うな、と見ているとこちらに気づいて会釈をされる。
「すいません、ちょっと、……いやかなり不審なこと言いますけど一旦聞いてください」
「は、はぁ」
「未来のあなたから手紙の配達を承ったので届けに来ましたが、どうされますか」
「なん、……え、未来から?」
「やっぱそうなりますよねぇ」
こちらは困惑しているし、配達員さんは胃に穴が空きそうな感じの困り方をしている。めちゃめちゃに不審ではあるのだが、放っておくにはかわいそうな気がする。
「未来から来たってことですか」
「ええ、そうなんです」
「いつ頃です?」
「10年後ですね」
「たったの10年で未来から手紙が届くようになるんですか」
「技術的にはそうなったんですけど、今テスト段階でして。過去の人に説明付きで配達しないといけなくてですね、」
「配達員さんたちに負担がかかりまくってるってことですか」
「そうなんです……」
配達員さんは胃のあたりを押さえている。心中察するに余りある。
「で、手紙なんですけど、受け取るか拒否するか選んで頂く形になってまして」
「未来のことがちょっとでもわかっちゃうからですか」
「そうです」
「……配達員さん的にはぶっちゃけどうしてほしいですか」
「今テスト配達中の受取りを全拒否してほしいです」
「ですよね~」
ということで受け取り拒否に同意する書類にサインをし、配達員さんはようやく未来へと帰ることができた。
未来の出来事に興味はあるにはあるが、10年は意外と早い。じきにこの目で見ることになるのだろう。
『バレンタイン』
バレンタインデーの前日から気合いを入れて手の込んだケーキを作り、色味を抑えたかわいいラッピングに手紙を添えて憧れの先輩に手渡ししに行ったけれど、受け取ってすらもらえなかった。
「付き合ってる人いるから、ごめんね」
付き合っている人がいることを知らなかったのでショックは一層大きい。学校からどうやって家まで帰り着いたのだったか。気がつくとダイニングの椅子にぼんやり座っていて母のただいま、という声で我に返った。
「……おかえり」
「バレンタインおつかれさま」
ぽんと肩を叩いた母は仕事着から部屋着に着替え、お湯を沸かしてコーヒーを入れ、これ貰うねと宣言した。
「……ダメ」
「えー、残念」
「私も、食べるし」
色味を抑えたかわいいラッピングは母の手によって開封され、チョココーティングされた小さめのケーキは一刀両断されて二切れに分けられた。手紙はそそくさと回収した。
「うん、おいしい!」
「うん、我ながらおいしい」
コーヒーとケーキをしばらく無言で交互に口に入れて食べ尽くしてしまうと気持ちが少し落ち着いた。
「ケーキ屋さん並みの出来でお母さんびっくりしちゃった」
いつの間にやらいろいろと作れるようになってたのねなどと言いながら母はフォークやケーキ皿を洗う。
「ねえ、いっそパティシエ目指したらいいんじゃない?」
そんな簡単にはなれないよ、とかなんとか言いつつも、その日褒められた記憶とパティシエを目指したら、という何気ない一言は胸に深く残り続けた。