『三日月』
新月に執り行うべき魔術の儀式を諸事情(魔女トモとの夜通しの遠距離会話)により次の日の三日月の夜に執り行った。何食わぬ顔で村長に報告して家へと帰ってくると軒先に白い鳥が佇んでいる。師匠の使い魔だ、と認識した瞬間に冷や汗が吹き出しはじめた。鳴り響く心音を意識しながら近づき、鳥の足首に付けられた手紙を外そうとするが汗で冷たくなった指がうまく動かない。いつもの数倍の時間をかけてようやく手紙を外すと白い鳥は舌打ちするかのようにこちらを一瞥して空へ飛び立っていった。
手紙の内容はただひとこと。
「おまえを三日月の魔女と呼び広めてやろうか」
心臓がヒュッと縮み上がった。
『色とりどり』
砂浜を歩くことに憧れている。海からいろんなものが流れ着く砂浜にはきれいな貝殻や角の取れたガラスの欠片につるつるになった流木、外国のボトルなんかもあるらしい。しなびたクラゲも見てみたいけれどそれは置いておいて、流れ着いたきれいなものばかりを集めてみたい。自分だけの色とりどりの宝物があればほんの少し心の支えができて、ほんの少し勇気を持てそうな気がする。今の自分には動かない脚と気弱な心と成功するかわからない手術への恐れがある。真っ白な病室から見ることのできない海は私を待ってくれているのだろう。けれどたくさんの言い訳をしているせいでまだたどり着くことができない。
『雪』
雪国の朝は早い。まだ暗い早朝に黄色いパトランプの光と重機の轟音が家の前の道を通り過ぎてゆく。車道に積もりに積もった雪を空けるために早くから働いている除雪車の人たちに心のなかで頭を下げ、来たる家の前の雪かきのために気合いをいれてえいやと起き出す。ポストに新聞はすでに届いていた。除雪が行き届かず申し訳ないと新聞屋さんにもまた心のなかで頭を下げて黙々と目の前の雪をスコップでどかしていく。汗ばむぐらいに雪をかいて一息ついた頃に晴れ間が見えて朝日が差してきた。雪国に暮らしていると雪にいろいろと困らされることが多い。隣近所の同級生の中には雪国に見切りをつけて遠くに越してしまった人もいる。けれど、照り返す雪の眩しさや新雪に残る動物の足跡、そして遠くの山に青く映る木々と白のコントラストを見るたびに美しいと思う。雪のことを嫌いにはなりきれない。ふうとひとつ息を吐くと白い靄がきらめいて消えていく。気合いを入れ直して残る雪かきを再開することにした。
『君と一緒に』
生涯を共にしたいと思っていた相手が香の焚かれた部屋に眠っている。もう目を覚ますことはない。白い祭壇に置かれた可憐な婚約指輪は僕が彼女に贈ったもので、持ち主のことを想ってか寂しげに煌めいている。明日になれば火葬となる夜に彼女の両親は僕に寝ずの番を託してくれた。ふたりきりの長い夜に泣き言や情けないこと、懺悔のようなことが口をついて止まらない。彼女はただ聞くばかり。
「僕もそっちへ行きたいよ」
ぽつりとつぶやいた言葉を彼女はどう思ったのだろう。うつらうつらと眠ってしまった僕の前に彼女が笑顔で現れて、僕の顔を渾身の力を込めた拳でぶん殴った。
「そんなことばっかり言ってるあなたとは一緒にいたくない」
はたと目覚めたときに頬を押さえたが痛みはないし腫れてもいない。けれどもうこれまでのようなことを言おうとは思わなくなっていた。祭壇に置かれた婚約指輪に手を伸ばし、眠る彼女に問いかける。
「僕がまた今日みたいなことを言ったら、また殴ってくれる?」
蝋燭が揺れて、指輪が煌めいたように思えた。
『冬晴れ』
抜けるように青い空の高いところに風がよく吹いて凧がぐんぐんと揚がっていく。小さな軍手をはめて糸を操り、空を見つめている息子の横顔のなんとりりしいことか。ほっぺたは赤く、口はちょっと開いていて、瞳がとてつもなく輝いている。無我夢中を体現したようなこの姿は後世に残すべきだ。スマートフォンのカメラがいつものようにフル稼働して画像フォルダは画面いっぱいに息子のサムネイルで埋め尽くされる。けれどスマートフォンを降ろした瞬間にパパ!と呼びかけられたときの、自分の眼にしか映らなかった笑顔のかわいさたるや、言葉には言い尽くせない。筆舌にも尽くしがたい。逃したシャッターチャンスを悔やんで見上げた空はとてもとても青かった。