『冬は一緒に』
雪しかない山のふもとっぱらに一人立ってスコップをざんと突き刺す。
「今年も来ました」
山のてっぺんに向かってお辞儀をし、雪中キャンプの設営を始める。地ならしをし、ペグを埋めてポールを立ててとひとり忙しく動いていると、視界にひとつふたつ鹿の姿が映る。鹿からの視線に若干の監視のような雰囲気を感じながらも作業はしばらく続き、今夜の寝床が完成する頃には鹿の数は両手では足りないほど集まっていた。コーヒーでも入れて一息つこうと思っていたがそれどころではなさそうだ。荷物の中から日本酒の入った一升瓶を取り出すと同時に、鹿の群れが割れてひときわ大きくて白い鹿が現れた。
「どうぞ、お納めください」
のしのしと近づく白鹿は雪の上に置いた紐を結わえた一升瓶をあらためるとふんと鼻息一つを鳴らして口に咥える。そして踵を返すと鹿たちを引き連れて山の奥へと消えていった。今年も満足していただけたようだとほっと胸を撫で下ろし、荷物の中から同じ酒が入った半升瓶を取り出してぐい呑みにとくとくと注ぐ。
「ご相伴させていただきます」
山のてっぺんか、それとも森の奥深くかで開かれているかもしれない酒盛りをほんのりと想像して、一息にぐいと飲み干した。
『とりとめのない話』
けたたましい銃声と耳をつんざくような爆発音の後、敵軍に向かって地上を走っていたはずが塹壕の中で目が覚めた。上から銃撃の音は聞こえない。俺の下敷きになっている奴や、周りに見える奴らに息があるようには思えなかったが、たまらず無事なやつはいないかと呼びかける。
「うるせえな。静かにしろ」
応えた声の主は少し離れた場所に壁に背を預けて座っていた。腹に布を当てており、その布は赤く染まって重たげだった。男が手招きをするので若干ためらったが傍へと近寄る。
「腹が痛くてたまんねぇんだ。なんか気が紛れるように話してくれよ」
近づいた男の顔中に脂汗が垂れており、そして顔色は失われつつあった。衛生兵を呼んだほうがいいのではないかという考えは過ぎったが、俺は話をした。自分がどこから来たのか。家族がなんの仕事をしていて兄弟は何人いるのか。自分の町では何が有名で何が美味いのか。男は最初わずかに相槌を打っていたように見えたが途中から聞いているのかどうかわからなくなった。痛みにしかめられていた顔は少しだけ安らかになったように思えた。
『風邪』
ドラッグストアでのアルバイトははちゃめちゃに忙しいけど、生活に関わるものばかり売っているので買っていくひとの生活も見え隠れするのがわりと好きだ。レジ打ちのときにはエナドリ飲み過ぎはだめですよとか、これからエッチなことするんですかとか、そのリップめっちゃいいですよねとか勝手ながら相槌を打たせていただいている。
客入りもまばらな閉店間際の22時半前。見るからに具合の悪そうな人が入ってきた。パンの人だ。夜の今ぐらいの時間に割引されたパンと野菜ジュースを買っていくのでいつも不健康そうな顔色をしているその人が、きょうはマスクを付けて咳とくしゃみを連発していた。レジに運ばれてきたのは割引シール付きのパンと野菜ジュースと、風邪薬の錠剤。いつも通りのレジ打ちとタッチ決済のやり取りのあとに軽く会釈をされる。これもいつものこと。
「あの、お大事に」
とっさに出た自分の言葉に自分で驚き、言われた方はもっと驚いたようで、どもりながらのありがとうございますをいただいた。歩き去りながらまた会釈をされたのでこちらもありがとうございましたと言って見送る。
いつも通りではなかったあのやり取りをなんとなく思い出すことの多かった何日かが過ぎて、また同じ時間のシフトに入った。パンの人の風邪は治ったのだろうかと思いながら迎えた閉店間際の22時半前。その人がやってきた。レジに運ばれてきたのは割引シール付きのパンと野菜ジュース。もう風邪は治ったんですか、と頭で思ったことがすぐに口をついて出てしまう。
「まだちょっと調子が悪いですけど、おかげさまで」
いつものレジ打ちの間にその人は調子が悪そうながらも、不健康そうながらも、はにかんだような笑顔で答えた。ぎゅむとなにかに胸を掴まれた感じがする。
「わたしも、風邪かもしれません」
「えっ、僕のせいだったりしますかね……」
「たぶん、そうですね……」
ごめんなさい僕のせいで、とかあなたもお大事に、とか言われたはずなのだけど自分が何をどう答えたのか思い出せない。ふと我に返ってバックルームでシフト表を確認する。次のバイトは明日。うれしいような恥ずかしいような気持ちで胸がざわついていく。
「店長!」
「なに騒々しい」
「明日のバイト、わたしがんばりますね!」
「わかったから掃除したら早く帰って」
早めの葛根湯や、早めのパブロンが教えてくれている。風邪はひき始めが大事だ。モップを持つ手に力が入る。
「風邪には早めの、告白っしょ!」
『雪を待つ』
れっきとした殺意を持って山深い場所へその人を呼び出し、背中を見せたときに急所を狙って包丁をえぐりこんだ。血泡を吐いて息絶えたその人を見てすうと胸がすく。
平野では霜も降りず、氷も張らなかった今年の冬は際の際になって雪を降らせるという。急激に下がった気温は土を凍らせ、倒れるその人の体温も同化を始めている。あとは降るのを待つばかりだ。この山ならひと足早く雪も積もるだろう。
「春が来たら見つけてもらえるといいな」
『イルミネーション』
夜明けの近づく無人の公園をスミノフや缶チューハイを片手にふたりでふらふら歩いて目的地を目指す。LEDで隙間なくみっちり飾ったどこぞのテーマパークが世間では人気なようだが、ここにはご近所の自治会が手ずから飾ったチープなイルミネーションがあり、それが自分の中では断トツの人気だった。
「よくね?」
「センスあるねぇ」
連れてきた友人も似たような感性の持ち主なので気に入ってくれたようだ。まばらに輝くぼんやりとした明かりはやがて朝日に照らされて白々しく暴かれる。いたるところに絡まる黒い配線コードを見た友人は今日一エモいと言ってスマートフォンで連写を始めた。いい友人を持ったなぁと眠気の混じる頭でしみじみと思う。