わをん

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12/9/2023, 8:30:51 AM

『ありがとう、ごめんね』

彼にしては殊勝な言葉が出たものだと丸くした目で観察する。引き結んだ口元には自分の不甲斐なさを恥じているのだろう苦々しさがとてもよく表れている。眉間のしわは深く刻まれ、小突きがいがありそうだった。
彼がやらかしたへまは大したものではなかったのだが、それを他人のせいにするでもなく、愚痴をこぼすでもなく、八つ当たりするでもなかったので説教の必要はなさそうだ。気持ち丸まった彼の背中をばしと叩いてやった。

12/8/2023, 3:02:51 AM

『部屋の片隅で』

部屋の隅に半分透けたような人影が見えた気がして目を凝らすと、確かになにかがそこにいた。おまえはなんだと尋ねるとそれは死神だと言った。私に引導を渡しに来たのだという。死神とあろうものがそんな部屋の隅っこからなにができるのかとひとしきり笑った次の日、死神は部屋の隅から離れたところに現れた。その距離わずか一歩ほど。気の長い話だとまた笑って、これは無害なものだと位置づけたのがずいぶんと前のこと。
そういえばあれはどうなったのかと部屋を見回してみる。半分透けたような人影が見えた気がして目を凝らすと、それは数を増やして私を四方から取り囲んでいた。眼の前にいたそれに肩を掴まれてようやく理解する。なるほど確かに死神だったと。

12/7/2023, 3:05:13 AM

『逆さま』

眼前に広がる湖とその先に遥か高くにそびえる山。カメラと三脚の用意を済ませたのは日の出の一時間も前。缶コーヒーはすでにぬるく、かじかんだ指先に息を吹きかけながらカイロを持ってくればよかったと後悔する。スマートフォンが知らせる天気予報と風速表示はおおむね正確だったが、頬に感じる冷たい風に不安を少しあおられていた。
薄明かりを先触れに太陽の気配が訪れて、ファインダーと対峙する。風よ吹くなと祈り続けていた。

12/6/2023, 3:05:35 AM

『眠れないほど』

呼び止める声は聞こえるがこの脚を止める枷にはなってくれない。扉を開けるごとにあたたかな寝床は遠ざかり寒風の吹く冬の夜へと近づいていく。空にはきらめくオリオン。さえざえとした空気が星をふるわせ光を瞬かせる。靴も履けず外套さえ身につけられず、私はあらがうすべもなく姿の見えぬ誘いに踊らされている。

12/5/2023, 3:25:50 AM

『夢と現実』

そろそろと訪れる夜明けは夢のその身を端からくずおれさせていく。夢は夜明けに食われることを当たり前のように受け入れて、いやむしろうれしそうでさえある。
「終わりの見えぬ私など、この世にあっていいはずはない」
一夜のまぼろしは一夜であるからこそなのだ。

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