今宵

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1/17/2024, 4:47:24 PM

『木枯らし』


 穏やかな秋の陽だまりに、どこからともなく冷たい風が吹いてきた。道端に落ちた茶色の葉はカラカラ舞うと一瞬ふわりと浮き上がり、そのまま勢い良く風に連れられていく。
 連れて行くのも気ままな風は置いていくのも気ままなもので、しばらくすると遊びに飽きてしまった子供のように枯れ葉たちを置き去りにして、また違う街へとさすらった。
 風は通りすがりの人々に冬の訪れを告げて周り、人々はその知らせに顔をしかめたり、足取りが軽くなったりといろいろだ。
 街を進むごとに大きくなった風は、やがてその盛りを迎える。怖いものなどないと街中を巻き込んでいく勢いは、今が盛りと知ってだろうか知らずだろうか。
 風はその役目を終えるその時まで、こうして旅を続ける。
 最期は吐いた白い息が空に消えるように、そっと一生を終えるのだ。


 イヤフォンを耳につけると、もの寂し気なメロディを奏でるピアノの音が聴こえてきた。
 淡々と前に進むような印象的なメロディの低音と急き立てるように動き回る3連符の高音が、短調の暗い印象の中でより胸に迫ってくるようで、どことなく心がざわめくように感じた。
 ショパンが作曲したピアノ練習曲集、練習曲作品25の第11番は別名「木枯らし」という名がつけられている。
 これは彼、ショパンがつけた名前ではないらしいが、これは木枯らしという曲だと思いながらこの曲を聴くと、晩秋の風に舞う落ち葉、ひいては木枯らしが旅をしながら一生を終える様まで想像できてしまうのだから、人間とは単純な生き物だ。

 何故に持ち主はこの1曲だけを好んで聴いていたのだろうかと考えを巡らせながら、私は手のひらの中の古い音楽プレーヤーを眺める。ついさっき道端で拾ったものだ。
 興味本位で画面を開くと、この曲がたった一つだけ保存されていた。
 小さい頃に少しクラシックピアノをかじったおかげで木枯らしという曲名はだけは聞いたことがあったが、その曲がどんなものか私は知らなかった。
 1曲およそ3分半という表示を目にした私は近くの交番まで歩く間の暇つぶしにと、持っていた自分のイヤホンをプレーヤーにさしこみ、再生ボタンを押したのだ。

 正直、どちらかというと明るい曲調が好きな私にとって、この曲はお世辞にも好みとは言えず、きっとこのプレーヤーの持ち主とは音楽の趣味が合わないだろうなと余計な考えが頭を巡った。
 私は顔を上げて、何となく辺りを見渡す。
 冬の街に並ぶ木は足元まで寒々しく、風に吹かれて舞うような葉っぱはもうどこにも見当たらない。
 だが、曲の中の木枯らしが巡り巡って私の胸の中を掻き乱したような余韻は、まだどこかに残ったままだ。
 季節外れの木枯らしは確かに、私の中を通り過ぎた。

1/16/2024, 4:53:58 PM

『美しい』


 私が彼女に惹かれたのは、1通の手紙がきっかけだった。

 その手紙によると、彼女は教師をしていた母の教え子で、仕事で海外に赴任していたために、その手紙が届いた1年ほど前に亡くなった母の葬儀に参列できなかったという。まだ50代半ばだった母は逝くには早く、多くの教え子や同僚が母の死を悼みに葬儀に参列してくれた。
「手を合わせに伺ってもよろしいでしょうか」という申し出をありがたく受けた私は、多少散らかっていた仏間を片付け、来客用の菓子を買ってその日を迎えた。
 正直に言うと、その時の私は不謹慎にも少し浮ついていた。彼女の手紙を見たときから、私は彼女の丁寧な言葉遣いと、そしてそれ以上に彼女の書く美しい字に心を奪われていたのだ。
 一目惚れなんてものを自分はしないと思っていたにも関わらず、私は彼女の姿すら知らずに、ただ彼女の書く字に一目惚れをしてしまった。そう、あれはまさに一目惚れだったと思う。
 そういうわけなので、あれほど美しい字を書く女性は一体どのような人なのだろうかと、当日の私は緊張半分、好奇心半分の落ち着かない気持ちで、約束の時間よりずっと前から居間と玄関を行ったり来たりしていたのだ。

「ごめんください」
「はい、今開けます」
 玄関の引き戸を開けた私は驚いた。文字には書いた人の人となりが出るとどこかで聞いたことがあったが、彼女はまさに手紙の字のまま。それに1歩も引けを取らない美しい女性だった。
 美人という括りにしてしまうのは心底勿体無い。ただ外見が良いというわけでなく、些細な所作や洋服の着こなし方などに内面から滲み出る美しさが表れていたのだった。
 そのとき私は、2度目の一目惚れをした。

 それから私は彼女に猛アプローチをした。あとにも先にもあんなに必死になったことはない。何せ、その時の私達の関係はただの知人以下、ほとんど他人のようなものだったので、私はあれやこれやと理由をつけて彼女に会うための口実を作った。
 彼女はというと、最初は戸惑っていたものの次第に私の押しに負け、数ヶ月後には彼女の趣味である古本屋巡りに彼女の方から誘ってくれるまでになった。

 時が経つのは早いもので、彼女と結婚してから40年近くの月日が過ぎた。授かった3人の娘達はそれぞれ家庭をもってこの家を出て、今は彼女と2人きりの生活となった。
 ふと思い立った私は、タンスの奥から古い文箱を引っ張りだした。
 最近は手紙のやり取りなどめっきり減ってしまい、友人との連絡ももっぱらスマートフォン1つで済んでしまうようになった。それは彼女の方も同じで、彼女の書く美しい字を見る機会はほとんどなくなった。
 数年ぶりに見るあの手紙は全体的に色褪せていて、その色の濃さに過ぎた年月がうかがえる。
 だが、手紙の字の美しさはやはりあの時のままだ。
 彼女自身を表すような繊細で滑らかな字は、例えるなら春の小川の流れのようで、一方私の書く字は角張っていて、いかにもお堅いという感じがするのだから、やはりそれは私をよく表しているように思える。

「まあ、懐かしいわ」
 気づかぬ間に後ろに立っていたらしい彼女が、私の手元を覗き込んでそう呟いた。
「あぁ」
「まだそんな物を持っていらしたんですね」
「そりゃあ捨てられないさ」
「お手紙なら他にもたくさんあったでしょうに」
「もちろん他のも全部取ってある。だけどこれは特別なんだよ」
 私は彼女の文字をそっと指でなぞった。
「特別?」
「あぁ、特別さ」
 彼女は未だに、私達が最初に会ったあの時に、私が一目惚れをしたと思っている。あの手紙に書かれた彼女の字を見たとき、すでに私が彼女に好意を寄せていたとは知る由もないだろう。「あなたの美しい字に惚れた」なんて言われても彼女を困らせるだけだと思い、出会った頃に言いそびれたままなのだ。
 ふと右上に寄せられた彼女の顔を見上げると、そこには年相応のシワが見受けられ、若い頃にはなかった深みがでてきたようだった。
「何ですかそんなにまじまじと見て。顔に何かついてますか」
そう言いながら頬に当てようとした彼女の手を私はとった。
「君と結婚できて私は幸せだ」
「また何ですか。まるで新婚の頃みたいでなんだか懐かしいわ。私はもうすっかりおばあさんなのに」
 照れくさそうな彼女の頬が微かに色づいた。
「いや、君は美しい。あの頃も、今も」
「私の書く文字が美しいだけじゃなくてですか?」
「え!?」
 驚いた私を見て、彼女がクスッと笑った。
「知っていたのか」
「はい。まだ付き合って間もない頃に、あなたがご友人と話しているのを偶然聞いてしまって」
 確かに友人にはこの話をしたことがあったような気がする。それにしてもそんなに前から知っていたとは。てっきり彼女にはバレていないものとばかり思っていた。
「その……あれだ……」
「ありがとうございます」
 何か取り繕う言葉を探していた私に彼女がそう言った。
「気に障ってはないのかい?」
「ええ。むしろ私は嬉しかったんです。それまで何度か容姿を褒めて頂くことはあっても、私の字を見て私に好意を寄せてくれた方はいませんでしたから。それを聞いて私は、あなたと一緒に歩んでいきたいと思うようになりました」
 知らなかった。これほど長い間一緒に過ごしてきたのに、まだ知らないことがあったのだ。

「お茶でも淹れてきましょうか」
 そう言って台所へと向かう彼女の背中に私は声をかける。
「その……昔のように、また君に手紙を書いてもいいだろうか……」
 突然の提案に彼女が驚いた顔で振り返った。
 そして、それはすぐに優しい笑みに変わった。
「はい、お待ちしてます」

 不格好な文字でも構わないから、ちゃんと彼女に伝えよう。
 私は君の美しさ全てに惚れたのだと。

1/15/2024, 3:58:28 PM

『この世界は』


 だれなんだ、まったく。学校の本に落書きをするなんて。
 ぼくは筆箱からちっちゃくなった消しゴムを出して、図書室で借りていた本の落書きを消した。
 でも鉛筆の落書きはまだいい方なんだ。なかには、ボールペンで書かれていて消せないものもある。そういう時はぼくにはどうすることもできないから、図書室の先生に気づいてもらえるようにメモを挟んで返却することにしている。

 ぼくは背の順だと前から2番目で、残念ながら小さい方だ。
 だけど毎日トレーニングを欠かさないから、力はともかく体力は同級生に負けてない。それに毎朝牛乳をたくさん飲んでるから、これから誰よりも身長が伸びていくはずだ。
 ぼくはスポーツはそんなに得意じゃないけど、これだけはだれにも負けないということがある。
 実はぼく、みんなの知らないところでいろんな良い事をしてるんだ。
 朝、誰よりも早く学校に行って教室の机を並べて黒板消しをきれいにするし、校庭に乗り捨てられた一輪車をいつも置き場に戻しているのもぼくだし、だれもやりたがらない係も進んで引き受けている。
 学校の中だけじゃなくて、街でお年寄りの荷物を持つのを手伝ったり、バスで席を譲ったり、道にゴミが落ちてたらぼくのゴミじゃなくても拾うことにしている。
 でもそれを自慢したり、見せびらかしたりするのはなんかカッコ悪いって気がするんだ。ぼくは、あくまでも"さり気なく"を大事にしている。だれにも気づかれなくたっていい。むしろその方がカッコイイ。たぶん、だけどね。
 でもたまに。本当にたまになんだけど、ぼくはだれかに言いたくなっちゃうんだ。

 「この世界は、ぼくのこの手に守られてるんだ」ってね。

1/14/2024, 1:16:59 PM

『どうして』


 物音で目が覚めた。
 ガサゴソと何かを探すような音が、寝室と扉一枚で隔たれたリビングの方から聞こえてくる。
 ベッドに伏せていたスマホを裏返すと、画面の時刻はちょうど深夜2時。スマホを握りしめた俺は、音を立てないように気をつけながらベッドから起き上がった。

 数時間前に暖房の切れた寝室のフローリングは氷のように冷たく、かと言ってスリッパを履いては音を立ててしまいそうなので、俺は裸足のまま忍び足で扉に近づく。
 普段なら静まり返ったはずのこの時間に、不審な物音と暴走機関車のように速い自分の鼓動だけが響いている。
 安月給でボロアパートに独り暮らしのこんな部屋に入った泥棒はどんな奴だろうか。
 俺はそれを確かめようと、勢い良く扉を開けた。

「誰だ!」
 俺がそう声を上げると、リビングの引き出しの中をあさっていた人物が振り返った。
 ひどく驚いたようなその顔に俺の方が仰天した。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
 驚いた表情も束の間。彼女はそうあっけらかんと言い放ち、いたずらな笑みを浮かべた。
「起こしちゃった? じゃないだろ」
「じゃあ、何て言えばいいの?」
 彼女がそう頭を少し傾けると、肩にかかった長い髪がゆっくりとすべり落ちた。そこに悪びれる様子はなくて、むしろ楽しそうに見える。
「そりゃいろいろあるだろ。そもそもこんな時間に不法侵入しておいて」
俺がそう言うと彼女は「いろいろありすぎてどれから話せばいいか分からない」と肩をすくめた。
 そんな彼女を見かねた俺が何から質問しようか考えていると、彼女はふいに部屋の時計を見上げた。
「あ、ごめん。そろそろ行かなきゃ」
「行かなきゃってどこに? てか何しに来たんだよ。何探してたんだよ。いや、なんで、なんで……」
彼女に聞きたいことが次から次に溢れてくる。
「なにそんなに必死な顔して。泣くなんて悠斗らしくないよ。涙腺がゆるい私のこといつも笑ってたくせに」
「それとこれとは違うだろ。だって……お前は……」
「悠斗」
 真っ直ぐな瞳がこっちを見つめる。
「聞きたいこと、1つ答えるから」
「……なんで1つなんだよ」
「その質問でいいの?」
俺が慌てて否定すると彼女が笑った。
「じゃあ次は本当に答えちゃうからね」
 聞きたいことは山ほどあった。ずっとこの時を待っていたはずなのに、いざ彼女を前にすると上手く言葉にならなかった。
「ちとせ」
「うん」
 あぁ、ずっとこう答えて欲しかったんだ。何度呼びかけても、何度名前を呼んでも、何も答えてくれなかった彼女に。
「どうして……どうして、俺をおいて死んだんだ……」
 掠れた声を絞り出した。
 彼女は寂し気な目を少し伏せると、微かに微笑んだ。
「いつかはみんな死ぬんだよ。悠斗だってそう。私はそれが少し早かっただけ。それに」
 彼女と再び目が合う。
「それに俺より先に死ぬな、なんてのは自分勝手過ぎるでしょ? 私だって悠斗が先にいなくなるなんて嫌だもん」
 昔と変わらないままの彼女は、あの頃のように口をとがらせた。
「でも俺はもっと、ちとせと生きたかった」
俺がそう言うと、彼女は俺に背を向けて窓の外を眺めた。
「うん、そうだね」
 月明かりがさす窓辺に彼女の髪が透けた。
「ねぇ、これ持っていっていい?」
 振り返った彼女の手には引き出しに仕舞っていた、彼女の髪留め。
「それ……」
 その髪留めは俺が彼女にプレゼントしたものだったが、彼女が亡くなる少し前、この部屋に来た彼女はそれを忘れていったのだ。
「実はね、これを忘れていったのを思い出して取りに来たんだ。本当はこっそり持って行こうと思ってたのに、見つかっちゃった」
「不法侵入に窃盗まで。幽霊には法律ってもんがないんだな」
俺がそう言うと彼女は声を上げて笑った。
「それ、ちとせのだから」
「え?」
「だから、それは俺がお前にあげたやつだから、ちとせの自由にしていいって」
 それを聞いた彼女は嬉しそうに髪を耳にかけると、その髪をとめるように耳の上にそれをつけた。
「どう?」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「その……似合ってる」
「ありがと」


 スマホのアラームで目が覚めた俺は、いつも通りの朝を迎えた。
 ただ、昨日みた夢の続きを探しているような心地だけは、どこかいつもと違っていた。
 ベッドから起き上がった俺は、リビングに続く扉を開けた。
 そこは見慣れたはずの、いつも通りの温もりのない部屋。
「あれ……」
 なぜか、ここ数年触ることのなかったはずの引き出しがほんの少し開いていた。
 モヤのかかった景色の中に、ぼんやりと影が揺れる。
 俺はその光景を抱きしめるように、そっとその引き出しの取っ手を引いた。

12/23/2023, 5:46:46 PM

『プレゼント』


 クリスマスの朝はまず、プレゼントを探すところから始まった。
 うちのサンタはなぜだかエンタメ性が高く、プレゼントの届く場所はその年ごとに違っていて、いつもなら眠くてなかなか起きない私も、その日だけはパチッと目を覚まして家中を探し回った。
 両親の寝室に父の書斎、物置部屋やリビングの窓の側……ここはさすがにないだろうと分かっていながらも、トイレのドアまで開けたりしてみたものだ。
 プレゼントをもらうのと同じくらい、プレゼントを探すことも私にとって大事なクリスマスの楽しみだった。

 大きくなると、サンタは私の元に来なくなった。
 大人になった今、誰かに形ばかりのプレゼントをもらうことはあっても、プレゼントを探す楽しみだけは味わうことができない。
 そもそも、独り暮らしの家の中にプレゼントが置かれていたらいたで、クリスマスの朝から恐ろしい気分になるに違いないのだ。

 クリスマス当日。心なしか部屋にはクリスマスの朝のあの空気が流れていて、私は朝からちょっぴり寂しい気持ちになった。
 そうは言っても、クリスマス休暇などないうちの会社にとって今日はただの平日なので、そろそろ出勤の用意を始めなくてはいけない。
 体温で温まっている布団に後ろ髪を引かれながらも、上着を一枚羽織った私は、意を決して布団から立ち上がった。

 支度を終えた私は、冷たい風が吹き込むことを覚悟して、首をすぼめながら玄関の扉を開けた。
 すると、玄関を出てすぐの場所に心当たりのない荷物が届いていた。
 不思議に思って宛名を確認すると、そこには確かに私の名前が書かれていたが、差出人の名前は見当たらない。
 だが、私はその癖のある手書きの文字に心当たりがあった。
 私は一旦部屋に戻り、玄関でその包みを開ける。
 ちゃんとラッピングが施された袋の中身は、上品であったかそうなチェックのマフラーだった。
 それと一緒にメッセージカードも入っている。

『メリークリスマス。寒いので風邪をひかないように。』

 やはりよく見慣れたその文字は、かつてうちに来ていたサンタの字と同じだ。
 久しぶりにプレゼントを持って来たかと思ったら、家の中じゃなくて玄関先に置いていくなんて、我が家のサンタはどれだけ変わったサンタなんだ。あの頃の私でも、さすがにそこにあるとは気づかないのではないだろうか。
 私はそう思いながらも笑みをこぼす。
 久しぶりにプレゼントを見つけた時のあのワクワクした感覚が蘇り、朝起きた時に感じた寂しさはいつの間にか消えていた。
 サンタにあとでちゃんとお礼を伝えないと。

 届いたばかりのマフラーを首に巻いた私は、早足で仕事へ向かった。


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