『木枯らし』
穏やかな秋の陽だまりに、どこからともなく冷たい風が吹いてきた。道端に落ちた茶色の葉はカラカラ舞うと一瞬ふわりと浮き上がり、そのまま勢い良く風に連れられていく。
連れて行くのも気ままな風は置いていくのも気ままなもので、しばらくすると遊びに飽きてしまった子供のように枯れ葉たちを置き去りにして、また違う街へとさすらった。
風は通りすがりの人々に冬の訪れを告げて周り、人々はその知らせに顔をしかめたり、足取りが軽くなったりといろいろだ。
街を進むごとに大きくなった風は、やがてその盛りを迎える。怖いものなどないと街中を巻き込んでいく勢いは、今が盛りと知ってだろうか知らずだろうか。
風はその役目を終えるその時まで、こうして旅を続ける。
最期は吐いた白い息が空に消えるように、そっと一生を終えるのだ。
イヤフォンを耳につけると、もの寂し気なメロディを奏でるピアノの音が聴こえてきた。
淡々と前に進むような印象的なメロディの低音と急き立てるように動き回る3連符の高音が、短調の暗い印象の中でより胸に迫ってくるようで、どことなく心がざわめくように感じた。
ショパンが作曲したピアノ練習曲集、練習曲作品25の第11番は別名「木枯らし」という名がつけられている。
これは彼、ショパンがつけた名前ではないらしいが、これは木枯らしという曲だと思いながらこの曲を聴くと、晩秋の風に舞う落ち葉、ひいては木枯らしが旅をしながら一生を終える様まで想像できてしまうのだから、人間とは単純な生き物だ。
何故に持ち主はこの1曲だけを好んで聴いていたのだろうかと考えを巡らせながら、私は手のひらの中の古い音楽プレーヤーを眺める。ついさっき道端で拾ったものだ。
興味本位で画面を開くと、この曲がたった一つだけ保存されていた。
小さい頃に少しクラシックピアノをかじったおかげで木枯らしという曲名はだけは聞いたことがあったが、その曲がどんなものか私は知らなかった。
1曲およそ3分半という表示を目にした私は近くの交番まで歩く間の暇つぶしにと、持っていた自分のイヤホンをプレーヤーにさしこみ、再生ボタンを押したのだ。
正直、どちらかというと明るい曲調が好きな私にとって、この曲はお世辞にも好みとは言えず、きっとこのプレーヤーの持ち主とは音楽の趣味が合わないだろうなと余計な考えが頭を巡った。
私は顔を上げて、何となく辺りを見渡す。
冬の街に並ぶ木は足元まで寒々しく、風に吹かれて舞うような葉っぱはもうどこにも見当たらない。
だが、曲の中の木枯らしが巡り巡って私の胸の中を掻き乱したような余韻は、まだどこかに残ったままだ。
季節外れの木枯らしは確かに、私の中を通り過ぎた。
1/17/2024, 4:47:24 PM