『どうして』
物音で目が覚めた。
ガサゴソと何かを探すような音が、寝室と扉一枚で隔たれたリビングの方から聞こえてくる。
ベッドに伏せていたスマホを裏返すと、画面の時刻はちょうど深夜2時。スマホを握りしめた俺は、音を立てないように気をつけながらベッドから起き上がった。
数時間前に暖房の切れた寝室のフローリングは氷のように冷たく、かと言ってスリッパを履いては音を立ててしまいそうなので、俺は裸足のまま忍び足で扉に近づく。
普段なら静まり返ったはずのこの時間に、不審な物音と暴走機関車のように速い自分の鼓動だけが響いている。
安月給でボロアパートに独り暮らしのこんな部屋に入った泥棒はどんな奴だろうか。
俺はそれを確かめようと、勢い良く扉を開けた。
「誰だ!」
俺がそう声を上げると、リビングの引き出しの中をあさっていた人物が振り返った。
ひどく驚いたようなその顔に俺の方が仰天した。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
驚いた表情も束の間。彼女はそうあっけらかんと言い放ち、いたずらな笑みを浮かべた。
「起こしちゃった? じゃないだろ」
「じゃあ、何て言えばいいの?」
彼女がそう頭を少し傾けると、肩にかかった長い髪がゆっくりとすべり落ちた。そこに悪びれる様子はなくて、むしろ楽しそうに見える。
「そりゃいろいろあるだろ。そもそもこんな時間に不法侵入しておいて」
俺がそう言うと彼女は「いろいろありすぎてどれから話せばいいか分からない」と肩をすくめた。
そんな彼女を見かねた俺が何から質問しようか考えていると、彼女はふいに部屋の時計を見上げた。
「あ、ごめん。そろそろ行かなきゃ」
「行かなきゃってどこに? てか何しに来たんだよ。何探してたんだよ。いや、なんで、なんで……」
彼女に聞きたいことが次から次に溢れてくる。
「なにそんなに必死な顔して。泣くなんて悠斗らしくないよ。涙腺がゆるい私のこといつも笑ってたくせに」
「それとこれとは違うだろ。だって……お前は……」
「悠斗」
真っ直ぐな瞳がこっちを見つめる。
「聞きたいこと、1つ答えるから」
「……なんで1つなんだよ」
「その質問でいいの?」
俺が慌てて否定すると彼女が笑った。
「じゃあ次は本当に答えちゃうからね」
聞きたいことは山ほどあった。ずっとこの時を待っていたはずなのに、いざ彼女を前にすると上手く言葉にならなかった。
「ちとせ」
「うん」
あぁ、ずっとこう答えて欲しかったんだ。何度呼びかけても、何度名前を呼んでも、何も答えてくれなかった彼女に。
「どうして……どうして、俺をおいて死んだんだ……」
掠れた声を絞り出した。
彼女は寂し気な目を少し伏せると、微かに微笑んだ。
「いつかはみんな死ぬんだよ。悠斗だってそう。私はそれが少し早かっただけ。それに」
彼女と再び目が合う。
「それに俺より先に死ぬな、なんてのは自分勝手過ぎるでしょ? 私だって悠斗が先にいなくなるなんて嫌だもん」
昔と変わらないままの彼女は、あの頃のように口をとがらせた。
「でも俺はもっと、ちとせと生きたかった」
俺がそう言うと、彼女は俺に背を向けて窓の外を眺めた。
「うん、そうだね」
月明かりがさす窓辺に彼女の髪が透けた。
「ねぇ、これ持っていっていい?」
振り返った彼女の手には引き出しに仕舞っていた、彼女の髪留め。
「それ……」
その髪留めは俺が彼女にプレゼントしたものだったが、彼女が亡くなる少し前、この部屋に来た彼女はそれを忘れていったのだ。
「実はね、これを忘れていったのを思い出して取りに来たんだ。本当はこっそり持って行こうと思ってたのに、見つかっちゃった」
「不法侵入に窃盗まで。幽霊には法律ってもんがないんだな」
俺がそう言うと彼女は声を上げて笑った。
「それ、ちとせのだから」
「え?」
「だから、それは俺がお前にあげたやつだから、ちとせの自由にしていいって」
それを聞いた彼女は嬉しそうに髪を耳にかけると、その髪をとめるように耳の上にそれをつけた。
「どう?」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「その……似合ってる」
「ありがと」
スマホのアラームで目が覚めた俺は、いつも通りの朝を迎えた。
ただ、昨日みた夢の続きを探しているような心地だけは、どこかいつもと違っていた。
ベッドから起き上がった俺は、リビングに続く扉を開けた。
そこは見慣れたはずの、いつも通りの温もりのない部屋。
「あれ……」
なぜか、ここ数年触ることのなかったはずの引き出しがほんの少し開いていた。
モヤのかかった景色の中に、ぼんやりと影が揺れる。
俺はその光景を抱きしめるように、そっとその引き出しの取っ手を引いた。
1/14/2024, 1:16:59 PM