セイ

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6/15/2024, 11:36:56 AM

【好きな本】 

小さい頃、僕は病気で耳が聞こえなくなった。

それは突然の事で、さっきまで騒いでいた友達の声も、それを注意する先生の声も、五月蝿いぐらいに鳴いていたセミの声も、全部全部聞こえなくなった。
視界は、匂いは、味は、感触は、ある。
なのに聞こえない。
そんな状況がひたすら怖くて僕は泣いてしまった。

異変を察知した先生たちによって僕は早退することになり、母と一緒に病院へ。
そのまま僕は入院することになった。

手術しないといけないと言われ、僕は不安の海に溺れた。
でも、母や父、友達の前ではそんな不安を顔に出せる訳もなく、ヘラヘラと「余裕だよ」と笑って見せ、面会時間を過ぎてからは1人でひたすら泣く日々が続いた。

手術前日。
ある看護師さんから1冊の本を渡された。
表紙には「勇者コウの冒険記」というタイトルと僕によく似た男の子のイラスト。
「コウスケ君のためだけに描いていたんだ、皆には内緒だぞー?」と言う看護師さん。

「僕の、僕だけの本…!!」

内容は王道の冒険モノで主人公は耳が不自由な男の子「コウ」。
ある日、コウは森の奥に封印されていた剣を引き抜いてしまったことで勇者に選ばれた。
そんな勇者コウが世界を支配する悪いドラゴンを倒すために旅の途中で出会う仲間と共に世界を冒険する…ってストーリー。

色々あって手元にはもう無いが、この本のお陰で元気を貰えたのは、救われたのは確かだ。
名前も知らない看護師さんが描いた、たった1冊の本。
未だにどんな有名著者の書いた本より僕は大好きで、15年以上経った今でもずっと心に残っている。

こんなことがキッカケで僕は「作家」を夢見た。
色んな小説投稿サイトで、色んな名前で、色んなジャンルで書いてきた。

頑張って書きあげて投稿した話も心無い人の声が突き刺さっては自分の文才の無さに絶望し、何度も筆を折ろうとした。
でも、それでも筆を折らなかったのは少なからず、どの投稿サイトでも読んでくれる人がいたから。
そういう人たちは毎日から2,3日に1回、週1回、月1回…と更新頻度が下がっても必ず読んでくれた。
イイネや優しいコメントをくれた。
僕に、世界を描く理由をくれた。

だから僕は今日も誰かのための文を綴る。

いつか自分の綴った文章が誰かのためになると信じて。

6/15/2024, 7:53:11 AM

【あいまいな空】

晴れてる訳でも、雨が降っている訳でもない曖昧な空の朝。
僕は君の世界から静かに去った。

いつもの7時のアラームで起きた君は動かなくなった僕に気づくと、これでもかってぐらい強く抱き締めて泣いてくれた。
もう振れない尻尾を千切れるぐらいブンブン振り回すぐらいには嬉しかった。

多分怒ってるよね。
ごめんね、ちゃんとお別れできなくて。
でも、最期まで見守られたら君のことが心配でちゃんと逝けなくなっちゃうからさ。
恥ずかしくってあんまりやらなかった添い寝をしてあげたんだからこれくらい許してよ。

僕が居なくても、もう君は大丈夫。

僕が子どもの頃より何十倍、何千倍、何万倍も君は強くなった。

君と過ごした12年、僕は幸せだったよ。

曖昧な空だけど、今ならずっと遠くに飛べそうだ。

…次も、その次も、またその次も、大好きな君と一緒に過ごせたら良いのにな。

6/13/2024, 11:19:37 AM

【あじさい】

僕は「あじさい」が好きだ。
梅雨の時期に咲き誇る姿は僕を魅了する。

「あじさい」は育った土壌によって色が変化する不思議な花。
同じ株の花が青やピンクなど違う色へ姿を変える様子は何とも神秘的で美しい。
この神秘的な特徴から「七変化」という別名まで付けられているらしい。

そんな話を幼い頃に聞いて僕は「あじさい」に強く憧れた。
幼い僕の大きな夢は「俳優」だったから。
…まぁ、色々あってその夢は叶わなくなってしまったけど。

叶わなくなってしまった今、僕は「あじさい」という名で配信活動している。
なんとなくでアップしたアニメキャラの声真似が何故かめちゃくちゃバズって、今では登録者100万人超えの有名人。
ネットニュースには一瞬で全くの別人に変わる演技が評価されて「変幻自在のあじさい」なんて書かれるようになった。
配信内容は気分によって変えることが多いので本当に様々だが、朗読やゲーム実況は割と人気がある。
最近は「お題」を出して、お題に沿った短編の物語を期間内にリスナーに作って貰い、送られてきた物語からいくつか選んで演じる、そんな配信をしている。
独学で身につけた演技力がここまで求められるなんて思わなかったから今、凄く楽しい。

リスナーから送られてきたたくさんの「物語」を1つ1つ、じっくり丁寧に読むこの時間がワクワクして好きだ。
若者から老人、色々な種族や職業を体験できるから。

…さて、今日は何色に染まってみようか。

6/13/2024, 8:46:38 AM

【好き嫌い】

同性の子を好きになった。
名前はえなちゃん。黒髪ショートでちょっと天然な所があるクラスメイト。
趣味が似ていたのもあって、すぐに「親友」に近い存在になった。

ある日、えーちゃんから相談があると放課後、誰もいない教室に呼び出された。

「あたし…告白された。返事はまだ、してない」

聞けば相手は「王子」と呼ばれるバスケ部のエース。
超がつくほどのイケメンだし、強豪バスケの大学からも推薦を貰っている。
性格も神のような人だから本当は応援してあげたい。
だけど…だけど…。

「私は…えーちゃんが後悔しないなら、付き合えばいいと思う」
悩んだ末、当たり障りのない返事をした。

「…分かった、ありがとう」
えーちゃんは少しだけ寂しそうな、どこか悲しそうな表情を浮かべながら教室を足早に出て行った。
一方で私はというと、色々な感情がぐちゃぐちゃに渦巻いてその場から動けなくなった。
「…ごめん、えーちゃん。私…応援できないや」

この件以降、えーちゃんとは段々と疎遠になり、卒業後は自然と連絡を取らなくなった。


―――数年後。

仕事から帰ると家電にえーちゃんの母親から留守番電話が入っていた。
なんだろう、珍しいなと思いながら再生ボタンをポチッと押した。

十秒程の沈黙。重々しい雰囲気が電話越しに伝わってくる。
「…えなの母です。突然ですが先日、えなが…死にました。…自殺、です」
「遺書とは別に、あなた宛の封筒があったので昨日送りました。内容は読んでません。近い内に届くと思うのでどうか読んであげてください。葬儀については…また連絡します」

数日後、「さっちゃんへ」というえーちゃんの字で書かれた封筒が届いた。
中には数枚の手紙が入っていて、所々文字がじんわりと滲んでいた。

内容は感謝の言葉や謝罪の言葉、疎遠になってしまって悲しかったことなど、私に対するえーちゃんの想いがぎっちり詰まっていた。

そして最後の1行。
何度も悩んで消したような跡。

「さっちゃんのことが本気で好きだった」

手紙を読み終える頃には涙が溢れて止まらなくなっていた。
あの日、ちゃんと伝えていれば。ちゃんと連絡を取っていれば。
何か、変わっていたのかもしれない。


…私は、自分の心に正直になれなかった自分が嫌いだ。

6/12/2024, 2:18:43 AM

【街】

「フリーダムハーツ」。又の名を「ユートピア」。
この街は人間にとってまさに理想郷と言える場所だ。
詳しいことは知らないが、数十年前にある天才たちによって科学が急激に発展したお陰でこの街が作られ、歴史の渦に消え失せたモノから最新のモノまで、とにかくなんでも揃ったんだとか。
絶対的ルールはいくつか存在するものの、基本自由に過ごすことができる。
ここには女、酒、煙草、ギャンブルなどのあらゆる欲望を抱えた者たちが溢れかえり、昼夜問わずゾンビのように街を彷徨っている。

僕は正直この街には興味なかったのだが、数年前に偶然出会ったこの街のお偉いさんに気に入られて、この街の「掃除屋」として働くことになった。
仕事内容は至って簡単。ただ、「街のゴミを捨てる」だけ。
コレだけで1日4,5万貰える。
1番楽なのはゴミがない時で、街をブラブラと歩いてるだけで3万近く貰える。
だからやめられない。

「…あ、ゴミ発見」
目線の先にはコソコソと飲食店のゴミ箱に火を付けようとしている男がいた。
あらゆる犯罪はこの街のルールによって規制されている。
つまり、この男がやろうとしていることは立派なルール違反。
ルール違反者は「住民」から「街のゴミ」にランクダウンし、掃除の対象となるのだ。

音を消して一気に近づき、簡易拘束具で男に声も手足も出させないようにしたら人気のない場所まで連れて行く。
そして街に入る際に与えられたリストバンドの識別番号で捨てて良いかの確認を取って、もし「街のゴミ」を欲している者がいたならそこへ流す。例えば新薬の実験体とかね。

「該当なし…廃棄、だな」
昨日研いだばかりのナイフで男の首を掻っ切ると傷口から勢い良く血が噴射され、暫くするとピクピクと動いていた体も止まった。
確認後、処理班へ電話を掛けるとすぐに黒で身を包んだ動物の仮面の人物が数人現れて死体と共に消えた。

…僕らのような汚れ役がいなければこの街は成り立たない。
裏の「ディストピア」があるからこそ、表の「ユートピア」は存在できる。

僕らのような「殺人欲求」がある者にとって、「ディストピア」は自分を解放できる唯一の「ユートピア」。
まぁ、僕らにだけ与えられたルールを破れば他と同様に「街のゴミ」になるんだけどね。
殺人欲求のある異常者にも健常者と同等に扱ってくれる。存在を認めてくれる。
だから僕はこの街の虜になったんだ。

―――今日も街は、僕らの「ユートピア」は守られた。

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