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12/4/2023, 10:14:07 AM

夢と現実の狭間で。
悲しみの色に染まる、悲しみの音を聞いた。
苦しさのうちにある、懊悩を知った。
彼は、ただ一人立っていた。
これは、素晴らしい出来事になると思った。
フラスコの中の、三角形の石は、フラスコ画のような深い色をたたえていた。
その色は、紫がかって茶色が、濃く底に残っているような、悲しみの色だった。
体から力が抜けていく。
弛緩する心は、時間を知らない。
夢の終わりはここにある。
現実の始まりではない。
現実は永遠に見なくていいものを。
それは、このままいけば、凝結してしまいそうな、悲しみのカケラだった。
悲しみのカケラは、三角形で、フレスコ画ような色をしていた。
べーセルという男は、それを見て笑った。
「あはは! あなたが探していたのはそれですか。少し、様子がおかしいですね」
カケラは、多層の結石になって、ピカピカ光りながら、フラスコの中で大きくなる。
ストックホルムの夏は暑かった。
ただ、この場にいる、男とべーセルの間には、ストックホルムの黒い夏が陽炎のように立ち上っていた。

12/3/2023, 10:48:58 AM

さよならだけは言わないで。
どうかその言葉は、私に禍根を残すから。
さよならだけは、どうか言わないで。
あなただけを見ていた。
目が合った瞬間、別れの言葉が私の耳朶に響いた。
「さよなら」
ああ、やっぱり。
逝ってしまうんだ、彼は。
手を伸ばす。精一杯伸ばす。
そして、叫んだ言葉は。
「行くのね、私を置いて、そんな遠いところに?」
「ああ、行くともさ。僕が行かずして誰が行くって言うんだ?」
「なんでよ!?」
「義務感からさ」と彼は言った。
馬鹿だと、女は思った
そんな、馬鹿な話があるだろうか。
死にゆくのに、義務もへったくれもないではないか。
死ぬって言うことは、もう無くなってしまうということだ。
この世から、一片残らず。
だが、男は笑った。
「弟が残る! 俺の弟を大切にしてやってくれ!」
「縁起でもないことを!」
弟とは大体、口も聞かない仲だった。嫌いではなかったが、接点が薄いのだ。
彼の弟は、珍奇な性格をしていた。
鮮やかな服が好きで、髪の毛は茶髪で、いかにもヤンキーみたいな。
そんな弟に、何を託して逝こうというのか。
そうしてその弟は、きっとこの報告を受ければ、笑うだろうと、男だけが知っていた。
「三千万の小切手が、金庫に入っている。暗証番号は……!」
「待ちなさいよ、私一人にそんなこと!?」

11/27/2023, 1:35:05 PM

愛情のありやなしやを問うには、機は短すぎた。
鳴り物なりの出世で、一世を風靡した俳優、東堂寺剛憲は、戦後の映画界を牽引する役者だった。
こなす役は、二枚目の主役級の登場人物が多かったが、たまに二枚目半の、助演をやらせると、特に光った。
必ずや、帰ってくると言って、五十五の時に、大企業の社長に就任した。
結婚は三回。離婚は二回。
最後の妻は、二十五歳年下の若妻で、彼の死ぬ間際、こう言った。
「あなた、愛とは如何程のもので、ございましょう。私のために死ねと言えばあなたは死んで下さいますか」
剛憲は、病床に臥せっていた。
なんのことはない、妻の可愛いわがままだと思い、彼は高血圧と低血圧のの薬を飲んで死んでしまった。
残された妻は泣いた。
「こんなつもりでは、なかったのに……!」
それは、彼の葬式で、沢山のファンや同業者に囲まれて亡くなった彼にとって、いかばかりの気持ちを込めた自殺であったのだろうか。
余命幾ばくかも分からぬ男の、最後の遺影は、やはりニヒルに笑った看板役者の笑みであったという。

11/24/2023, 10:35:24 AM

セーターの縦縞。
よくよく見ると、青い糸と白い糸が絡まって出来てる。
太めのウールで編まれたそれは、所々錦糸が入っていて、キラキラと滲む。
今どき手編みのセーターなんて、と思うけれど、母は編み物が好きなので、せっかくだから、ドール用のセーターを編んでもらった。
青い色が似合う、彼を彩る、縦縞のセーター。
大きなリボンを頭に着けた女性のドールには、ニットのマフラーを。
それは赤いクリスマスカラー。どうせだから、ドレスは私が縫った。
青とピンクのラメ入りのステージ用衣装みたいな、華やかなドレスを。
二人をそれぞれ写真に収めて、日記アプリに添付した。
十二月はもうすぐ。
私用のプレゼントは、トイカメラ。
二眼レフの、小さなカメラ。
小さな幸せを収めるために、今日も頑張ろうと私は思った。

11/23/2023, 10:59:41 AM

落ちていく、落ちていく。
うさぎの穴を、落ちていく。
アリスは上を見上げて、青いスカートに泥がついたと言って怒る。
たどり着いたのは野うさぎの巣。
ハンチング帽を被った猟師が、ミートパイにしようと、野うさぎの巣の前で待ってる。
さよならうさぎ。
アリスはミートパイが好きじゃなかったので、なおさらうさぎが、可愛そうになってきて、泣いちゃった!
後からやってきた白うさぎは、山高帽を頭に被って、
「コノヤロウ! 薄汚い人間め!」
と言って、チクタクチクタク言う時計を叩きながら、人間に向かって唾を吐く。
「お嬢さん、あいつを懲らしめてやりましょう」
「どうすればいいの?」
泣いているアリスは、思わず首を傾げた。
「爆竹です。罠にかけてやるのです。私共は、人間をミートパイにしてやりたいと、長いこと思いあぐねていたのです。もちろん私共は、草食ですから、そんな卑しいものは、口に致しません。ですから、あなたの犬のおやつにでもして差しあげなさい!」
「なんですって!? 犬のおやつに? 冗談じゃないわ」
アリスは憤慨して、もう平手を上げて、白うさぎに殴りかからんばかり。

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