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11/22/2023, 10:47:01 AM

いい夫婦の日だ。
そういう書き出しをする人も多かろう。
ある朝妻が、死んでいるのを見た。
途端、彼は誰が殺したのかと、思った。
ひきつった、苦しみの表情。手は、床板を引っ掻いて、爪が割れていた。
床に仰向けになっており、口は開きっぱなし。
外傷はないようだ。見るに、誤飲をしたようであった。
検察のように検分した訳では無いのだが、彼はその妻の死体を、食い入るようにして見た。
これが、昨日共にテレビを見、夕食を共にした、妻であろうかと、男は疑い深く、注目した。
見れば見るほど、それは妻ではない気がしてくるのだった。
それは、驚愕だった。人の死を目前にして、こんなに観察している彼は、自身が怯えていないことに、疑問を抱いた。
なぜ、彼はこんなにも人が亡くなるを恐れていなかったのだろう。
昨日の今日で、しかも八十過ぎの老夫婦である。
明日死んでもおかしくないくらいの、覚悟はあった。
だが、目前にしてみると、何かおかしい。
長年連れ添った妻が、亡くなった姿は、悲しくも美しさもなかった。
棺に入った妻は、美しかろうか。葬儀屋は、死化粧を施すだろう。
そのとき、男は初めて、悲しみを見出す。
老妻の死は、男の胸を引き裂いた。

11/21/2023, 10:27:10 AM

どうすれば抜け出せる?
攻撃のない世界から。
防波堤のように立ちはだかるあなた。
必ず帰ってくるよと言って、去っていったあなた。挙げたサヨナラの手の、下ろし方がわからなかったあの日。
ポートアイランドの空港から、一機の戦闘機が飛び立った。アフターバーナーは火を噴き、コックピットの機器が、高度の上昇を告げていた。
パイロットは、操縦桿を握り、ブレーキの効きを確かめるように、ジェットエンジンの推力を確かめた。
パイロットの名前は、エマ・スミス飛行軍曹。
マッハ1.6で飛ぶ、F2A-3戦闘機、通称テンバーは、対戦闘中の帝国機、暁月にも勝るとも劣らぬ機体である。
実際のところ、撃墜数で数を押されようとしていた公国軍が、最近この新型機の導入によって、帝国機を押し返しているのは、目に見えてわかった。
敵機が30マイル先にレーダーに映し出された。
1万フィート上空を、通り過ぎようとしている、敵戦闘機は、恐らく暁月であろう。
それは、愛しているあの人の、胸の内に飛び込んでいくような、自殺行為であった。
エマは結局、あの人に追いつきたかったのだ。
そう、去っていったあの人も、パイロットだった。空の果てに消えたあの人を、自身の翼で追いかけたかった、そんな曇り空から、晴れ間の差していたあの日。

11/18/2023, 10:21:53 AM

思い出の中に一つだけ、小さなアルバムがある。
もちろん、アルバムとは、思い出を思い出すためにあるのだがそうではない。
思い出の中のアルバムは、幅二十センチぐらいの、分厚いアルバムである。
かけられていた紐は、もう茶色くなってしまって、切れかけているのだ。このアルバムは、サチコ生まれた頃から、二十代前半の大学生時代までを、明確に記したアルバムである。
一枚目の写真は、ベビーベッドで横になっている、生まれたての写真。1989.06.07と印字がある。
サチコの父が撮ったもので、サチコはこの写真を見た時、なんて祖母に似ているんだろう、と思った。
妙な話であるが、祖母の鼻は、まるでジャネット・ジャクソンに似ている。燃え盛る炎のように、なんて歌があって、サチコは祖母の顔を思い出すと、その歌が必ず脳裏に流れ出すのだった。
二枚目の写真は、七五三だろうか。
三歳ぐらいのサチコが、赤い着物を着て父と母と並んで写っている。
すこし、紅を引かれた口元が明るい。
父と母の顔は、若々しい。父の顔ほはつらつとした、気が漲っているかのようだ。バブル崩壊後のことだろう。さほど、景気も良くなかったはずである。
三枚目の写真は、幼稚園の入学式の写真だ。
サチコだけが、黄色いスモックと、緑色の帽子を被って、地面にペタリと体育座りしている。
思い出の中のアルバムは、いつも繊細に思い出せる。

11/14/2023, 10:15:10 AM

秋風に吹かれて、三千里。
峠を越え、山際に沿って稜線を下りると、野分峠という峠がある。
天然の切通しが大穴を開けており、そこを通る風が、山まで吹き上げるため、野分峠と名付けられたらしい。
一本松の生えているところを、右に折り、石段を下る。麓まで降りる緩い坂を降りていくと、人里が見える。緩やかに、たわんだ電柱の点々と立ち並んだ海べりまでの街並みが一望できる。
漁師町として栄えた大神灘の風景は、現在では路面電車が、海沿いの道なりに一本走る。
このあたりも、随分文明化されたものだ、と感ずる。
私は山道を、踏みしめながら、旅籠はもうすぐそこだ、と精を出した。

11/12/2023, 10:34:02 AM

ホラーな夢を見た。
ドラキュラに噛まれる夢を。
狂おしい、恐怖。それから、憂鬱な悪夢。
男はそばに立って、耳元で囁きさやく。
「殺しはしない。ただ洗礼を受けるだけだ」
血がほとばしる。
黒衣がたなびいて、弓のようにしなる。
そして、喉元に噛み付いた男は、静かなため息をさせて、口を離す。
ドラキュラは、人を眷属にするという。
吸われた女は、叫び声を上げて、壁に走りよる。
男はそれを、眺めては、忍び笑いをあげて消えた。

ああ、変な夢だった。
日常に戻ってくると、それは実はトマトジュースを飲みたいという欲求だったということがわかる。
リコピンを摂取したら、憂鬱な気は、たちまちなくなったのだが、はたして吸血鬼は、実際にトマトジュースを飲むのだろうか。輸血パックで満足するのだろうか。はたまた、血液製剤。
ふうむ。と、私は頭を捻る。
私だったら、輸血パックよりも、したたるレアのステーキがいい。生肉の飽食! 吸血の王に幸あれ!

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