たまにはいいじゃない。
温泉、懐石、本町、夢の街。
興奮気味に話す彼。
ゲイカップルで泊まっても大丈夫な旅館ってあるかな。
あの人、僕を誘ってくれた。
陰キャな僕だけど、あの人の背中を見ていると、笑顔になれるんだ。
その日は雨だった。
雨の日鉄輪。
湯の町別府。
隙間に猫がいた。
夢を描くような猫がいた。
虹色だった。
駄菓子屋にいるような猫だ。
福福しい猫で、手を招いていた。
僕も思わず笑顔になった。
「同情なんていらないわ」
とシンディーは言った。
安っぽい言葉だったが、酒場のシンガーをしていた女だった。
ぐずぐずと酒に溺れ、男に溺れた。
ピンヒールの高いエナメルの靴を履いていた。
それで踏まれた男肌数知れず。
友人は言った
「シンディーの言うことは当てにならないよ。あのクソ女、いいシンガーだからって、たかを括ってる」
ある日、シンディーが僕に電話で相談をしてきたことがあった。
「あの、フレッド? 私。どうかしてるのかしら。ただ、涙が溢れて止まらないの。酒場から追放されて、歌えなくなったあの日から」
シンディーは、もともとアルコール中毒だったが、それは酷く悪くなるばかりだった。
僕はこう返した。
「一週間でも、旅行に出るといい。気晴らしに、どこか……、美味しく酒が飲める場所に。そう、フランスなんかどうだろう?」
フランスは旅立つにはいい場所だ。
ブルゴーニュの、ワインで乾杯をしよう。ハムとチーズを肴に。
質に入れた、好みの小袖がなくなってしまってから、琴子は茂太のことを、しょうのないような、情けない目で見るようになった。
秋分の節分の頃のことだった。
夜もすがら、お座敷に出る琴子は、白粉の肌を光らせながら舞を舞う。
扇子で、顔を隠しながら舞う舞踊は、どこか艶かしい。
手拍子で、それを見つめるご贔屓に、琴子は秋波を送った。
座敷の奥では、志乃さんが三味線を弾いている。
その音に合わせて舞う琴子の足運びは、洗練されていた。
もう、舞子になって十年は経つ。
年季の入った、古年増の琴子の顔には丹念に紅が刺してあった。
誰よりも深い絆で、二人は繋がってた。
それは、親愛とも、友愛とも違う。親子の愛だった。
彼はおじさんの養子だった。
彼とおじさんは、まったくもってあたりまえが、別の容姿をしていた。
でも、奇しくも瞳の色だけが同じだった。
鳶色の目。
そして、二人は最初から仲が良かったわけじゃない。
彼は「お父さん、なんで僕のことを理解してくれないんだ!」って、憤ったことが何回もあった。
それに対しておじさんは、
「落ち着いて聞いてくれ、ボブ。君は癇癪の持ち主だね」と、なだめたが、彼は譲らなかった。
でも最後まで、二人が仲違いしなかった理由。
それは、愛という名の斥力が働いたからに違いない。
ホグワーツから大学に通うまで、彼はおじさんから離れて暮らしていた。
その間、おじさんはずっと彼に手紙を出し続けた。
その手紙の最後には、必ずこう書いてあったという。
『親愛なる僕の勇敢なる息子、ボブ。君はきっと偉大な魔法使いになるよ。おじさんより』ってね。
十年後の私から届いた手紙は、タヒチからの手紙たった。
写真付きの絵葉書で、英語で小難しい辞書で調べなきゃならないような単語が綴ってあった。
『拝啓私へ
今、十年後からメールを送っています。タヒチにいる理由はさまざまありますが、いつかあなたは、一生のパートナーに出会います。(中略)幸せの時は自信で掴み取れ。もう既にわかりかけていると思うけれど。 私より』
そうして送られてきたその絵葉書に、私は今でも思いを馳せている。
その十年後と同じ道筋を辿っているのかは、今の私にはわからない。
でも、もし彼女が辿ってきた道を、私も寄り添うことが出来たなら、幸せはもうすぐ掴み取れるはずだ。
だってもう既に、切手はハガキに貼ってあるのだから。