この街のアーケードは、奥に進むにつれ、シャッターが下りた店が増える。
街の中心に近い部分は、ほとんど居酒屋で占められており、その隙間を塗りつぶすように、服屋や雑貨屋、美容室、駄菓子屋等が点在している。
「ねー、聞いた?」
レバーをガチャガチャと動かしながらのんびりとした口調でそう言った。
話しながらでもその手さばきにブレはない。
的確にコンボを繰り出して、相手の体力ゲージを減らしていく。
「何がです?」
「このゲーセン、来週潰れるって」
「あー」
「あれ、あんま驚かないじゃん。知ってたの?」
「いや、知らなかったですけど。なんか納得いっちゃって。俺たち以外に全然客いないし」
「困るなー、この筐体珍しいのに。あ、勝った。ねえ見て、10連勝目」
後ろでスマホを触っていた俺の方を振り向いて、画面を指さす。
「君は?もう挑んでこないの?」
「もう懲りごりっすよ。またボコられるだけですし」
「ハンデあげるからさ」
「手加減されるのもそれはそれでムカつくんですよ」
「んえー」
変な声を出して筐体に腕を投げ出した。
ドアを透かして外を見ると、夕焼けがやたらと近くて、急かされているような気分になった。
「そろそろ帰ろっか」
淡い黄色と水色のタイルの上をスニーカーが滑っていく。
何か言わなきゃいけない気がした。
「あの、名前。教えてくれませんか?」
キュッと音が鳴って、茶色がかった髪がふわりと舞った。
俺たちは互いの名前をまだ知らない。
寂れすぎたゲーセンで、自然と一緒にゲームをするようになっただけの関係だ。
「2年くらい前だっけ。初めて会ったの」
「多分そのくらい、と思います」
「考えたらヤバいよね。お互い名前も年齢すら知らないでこんだけ一緒にいたなんて」
「聞くのもなんか野暮な気がしてて、ゲームするだけだから不都合なかったし」
ゲーセンを出ればいつも、俺たちは思い出したように他人に戻る。
ドアを開けたら別々の方向に歩き出して、現実に溶けていくのが常だった。
だけど今日は、そうなることが少し気に入らなかった。
「分かった。それじゃあ教えてあげる。2年間勿体ぶったのに、普通すぎる名前だけれど」
そう言ってドアを開けて、手招きをした。
夕焼けの方に歩いていく背に、遅れないようついていく。
二つ隣のおもちゃ屋のウィンドウから、小さなクマが俺らを見つめていた。
少し寂しそうで、でも安らかな瞳だった。
本当は特別、仲が良いわけではなかった。
本好きの僕たちは委員決めでは毎回図書委員を選ぶから、一緒にいる時間が多いだけ。
それでいくらか話すようになったから、仲良しと思われて、入る曜日を一緒にされていただけ。
ずっと隣にいたけれど、僕は彼女のことをあまり知らない。
だから、どれだけ熱心に聞かれても、僕が答えられるはずもないのだ。
彼女が死んだ理由なんて。
図書室の受付は基本的に暇なもので、貸出の希望があるまでは、座って好きな本を読んでいることが多い。
私語は基本的に禁じられているので、話すことはほとんどない。
しかし、その日は1年生が集団宿泊に行っており、図書室内には僕たち以外、誰もいなかった。
いつもは静寂と呼んでいたものが、今日は沈黙として居るようで、お互い本を開いているだけの時間が気まずく思えた。
「何読んでるの?」
不意に聞いてみると、伊藤は本を開いたままで背表紙をこちらに向けた。
もう終盤に差し掛かっているようで、本の片側にはページはほとんど残っていない。
口遊んでみるが、タイトルも著者も聞き覚えがない。
「やっぱ知らないか」
伊藤は僕の表情を見て、残念そうに言う。
「聞いたことないな。何系?」
「恋愛、ミステリかな。あんまり読まないでしょ」
確かに僕は恋愛モノやミステリは読まない。
読むのはSFばかりだ。
「恋愛とミステリってなんか不穏な気配がするよな。見るからに縺れそうじゃん。痴情が」
「まあそれが一番動機になりやすいからね。でもこれは純愛だよ。出てくるのは両想いが一組だけ」
「ホント?そこからどうやってミステリになるのさ。動機と直接関係ないとか?」
「いや、めちゃめちゃ関係ある、と私は睨んでるけどね」
「えー、全然想像つかないな」
ふふ、となぜか得意気に笑って、伊藤は背表紙を撫でた。
「でも、私も少し共感できる気がするんだ」
「誰に?」
「犯人」
「ヤダちょっと怖いんですけど」
大袈裟に引いて見せると伊藤は、あはは、と体を曲げて笑った。
「興味持ってほしくなっちゃったから、ちょっとネタバレするね。この話、主人公の恋人の女の子は最初に死んじゃうの。その死に方がめちゃくちゃ不可解なんだ。犯人もその動機も方法ももう全然分からない。それで主人公はその真相を知るために手がかりを集めていくんだけど。証拠を集めれば集めるほど、犯人の候補が消えていくんだ」
「なるほど……」
聞きながら、色々な仮説を頭に組み上げてみるが、詳細が何も分からないので、手の打ちようがない。
それでも考えていると、伊藤がニヤニヤと僕の表情を覗いていた。
「気になっちゃった?」
「なんだよ、その表情」
「なっちゃったんだねぇ」
伊藤は満足そうに伸びをして、そのまま掛けられた時計に目をやった。
気づかなかったが、もう昼休みが終わりそうな時間だった。
「ヤバい、ギリギリじゃん」
言って立ち上がる。
伊藤は読みかけだった本に栞を挟んで、カウンター横にある棚に入れた。
2人きりの廊下に足音が忙しく響いていた。
魔導書を読むのは、時間がかかる。
けれども、読む度に新しい発見があって、今まで知らなかった世界を知れる気がして、楽しかった。
とはいえ、その実践に全く興味はなかったので、覚えた魔法を使うことは一度もなく、また魔導書を読んでいることは誰にも知られないようにしていた。
だから、魔王討伐のパーティに加わるよう要請がきた時は、誰もが驚きを隠さなかったし、一番驚いていたのは私だった。
どうやら人探しの魔法具に、一番多くの魔法を使える者を探させたところ、私が該当したらしいのだが、どうにも納得がいかない。
「ちゃんと戦闘訓練を受けているものが行くべきなのではありませんか?」
不満を隠さず私が問うと、10代目となる勇者は思案顔を見せた。
「魔王討伐への道のりは過酷と聞いています。そんなところに私のような貧弱な女がついて行ったところで足でまといにしかなりません。きっと途中で殺されて終わりです」
一気に捲し立てるも、形勢が動いた様子はなく、勇者は眉根を寄せたままこちらを見ている。
鋭い眼光を突きつけられて、少し怯む。
けれど、ここで引く訳にはいかない。
この交渉には、私の命が懸かっている。
「そもそもどうして私なんですか、私は魔法に詳しいだけで一度も使ったことはありません。ただ、知識があるだけです。強い魔法使いなんて、いくらでもいるでしょう。私は!適任じゃ!ないと思います!」
パシンと机を両手で叩いて熱弁を振るう。
勇者は暫く黙っていたが、やがて、なるほど、と小さく呟いた。
もしかして分かってもらえたのだろうか。
「どうも話が食い違っているようだね」
勇者はスっと手を差して、私に座るように促した。
その後、物々しく咳払いをすると、こちらを真っ直ぐに見た。
「色々、説明不足だったようで申し訳ない。ではあなたを魔法使いに選んだ経緯を一から説明させてもらおう」
真剣な表情が緊張感を醸し出す。
「我々のパーティが歴代最強と言われていることは知ってるな?」
頷く。
「戦士エルダーは、この国で最強の剣士だ。彼は戦士になる前、スラム街で暮らしていた。ある日、空腹が限界に達した彼は、グラディオスの群れに単身飛び込んで、瞬く間に全滅させた後、それらを全て喰らった。それ以来、王国にスカウトされるまで、彼は様々な魔物の群れに飛び込んでは、全滅させることを繰り返していたそうだ。その経験もあって、彼の戦闘センスは群を抜いている。頼もしい存在だ」
魔物より怖いんだけど。
「そして僧侶ヒルダは、死者蘇生の能力を持つこの世界において、唯一の存在だ。彼にかかれば、どんなにダメージを受けていても、一瞬で元通り。戦う前より元気になるくらいさ。元気になりすぎて、意識がぶっ飛ぶことすらあるよ」
過剰だって。
「そして、この私は。候補生を全員ボコし、勇者アカデミーを主席で卒業した天才女剣士レオナ!エルダーもこの前ぶっ倒した!」
今度はレオナが立ち上がっていた。
周りの視線が集まっていることに気づいてか、スっと座って真剣な顔に戻る。
「この通り、我々は戦闘においては最強の集団と言っていい。魔王ごときをシバくのには、三人でも多いくらいだ」
「だったら尚更どうして、私を入れるんですか。三人で充分ならそのまま行ったらいいじゃないですか」
「セシル、ここからが本題だ。よく聞いてくれ、私たちは確かに戦闘においては最強だ。だが一つ、致命的な欠点がある。この欠点が故に、私たちでは決して魔王の城に辿り着けないのだ」
ごくりと唾を飲み込んで、続きを待った。
レオナは忌々しそうに唇を噛み締めると、苦しそうにぽつりと言った。
「我々は、驚くほど頭が悪いんだ」
平田愛和。
それが親からもらった俺の名だ。
「ひらたまなかず」ではない。
「ひらたらぶあんどぴーす」が正しい読みだ。
この名前のせいで、俺は小学校の6年間いじられ続けた。
今までつけられたあだ名は数しれずだが、その中でも短さと切れ味を両立した「ハト」が定着した。
語り終わる頃には、自然と涙が零れていた。
「すまないね。長話に付き合わせちゃって」
袖で拭って、隣を向いた。
月光で表情がうっすらと見える。
真剣だが少し困ったような表情。
「いえ、とても興味深い話でした。私と重なる部分もあって」
女官は名を夕凪といった。
夕凪は、先月ここに来たばかりだと言っていた。
「重なる?」
「はい。私、ここに来る時、家族を置いて来たんです。家族といっても血は繋がってないんですけど。こっちに住む叔父から強引に宮仕えを決められて、引っ越してきました。持ち物すらほとんど勝手に運ばれて」
「そうだったのか。災難だったな」
聞いて、少しの罪悪感が沸き立つ。
夕凪は私のところに宮仕えをするために、家族と別れる必要が生まれた。
直接でないとはいえ、私が連れ去ったようなものだ。
「ホントです。だから私、宮仕えが決まってから毎日手紙書いて、出る時全部置いてきました。そうすればいつでも思い出してもらえるって思ったんです。よく読めばへそくりの場所なんかも書いてあります。なんならこれ使って会いに来てくれないか、だなんて思っちゃいます」
そこで何かをみつけようとしているかのように、夕凪の双眸が揺らめいた。
夕凪が探している違和感の正体に、自分も思い当たったような気がする。
夕凪は別離の時、思い出と会いに来る手段を残したといった。
だとしたら、かぐや姫も同様に、何か手がかりを残していた可能性があるのではないだろうか。
「手紙と不死の薬……」
呟きに反応して夕凪が目を見開く。
「そうです!そこにはもしかしたら何かメッセージがあったのかも!」
確証のない想像だが、可能性は充分あるように思えた。
しかし、その二つはすでに山で燃やしてしまっている。
不死の薬に関しては、もうどうしようもないだろう。
だが、交わした手紙なら、その内容を思い出せる。
何度も推敲して送った歌を、何度もしがんだもらった歌を。
私は覚えているはずだ。
「夕凪、悪いがそろそろ戻ろうか」
「え?どうしたんです?」
「やらなきゃいけないことができた」
「仕方ないですね。もう少し歩きたかったですけど」
「恩に着るよ」
言うが早いか、私は踵を返し、歩き出す。
このまま駆け出してしまいたい気分だった。