寿ん

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10/31/2024, 6:35:14 AM

懐かしく思うこと


今年から赴任してきたこの学校が、どこか淋しいのはなぜだろう。去年までいたところと違うのは偏差値くらいで、校舎の作りも担当科目も変わらないのに。
授業中、黒板を向いていると何かが物足りない。例えば、あの温度。

ああ、そうか。

前から4番目の、右から2列目。そこに座っていた彼女は、今どうしているんだろうか。まだわたしを探してなどいないだろうか。

いつかまた会えたら話したいことがある。この春に生まれた娘のこと、学校間のカルチャーショック、君の視線のない淋しさ。
彼女はなんて言うだろう。馬鹿ですねと笑ってくれるだろうか。はぐらかすかのように目を細めて、またわたしを見つめるのならば。

「ごめんな」

君が懐かしい、福井。



              『彼女と先生・おまけ』

10/26/2024, 12:58:35 AM

友達


思いの丈をほとんど全部話し終えてしまうと、心がすかすかになった気がした。スカートをはいたらこんな心地なんだろうか。
それじゃあ、また、と最後に告げて電話を切った。駅のホームのベンチにもたれて、大きく息を吐く。
彼女にとってのわたしが何なのかはわかっていた。
では、わたしにとっては一体どこに当てはまるのだろう。この愛は、同じものではない。

『やっぱり先生は、私の恩師です』

わたしなんかが。

「ただいま」
「おかえりー。遅かったね」
「ああ……うん、駅で電話してて」
「実家から?孫に会わせて〜っていう」
「いや……」
わたしにとっての彼女は
「……友達と」
へえ、と大げさに目を丸くしてからかう。
「あなたに、長電話するぐらいの友達いたっけね」
「残念。それがおるんですよー」

着替えようと自室に引っ込む。ちょっと思い出してスマホを取った。
30分前の通話履歴を消しかけて、その手をとめた。そうか、友達なら削除する必要はないんだな。
心のすかすかを感じる。秋晴れの今日の空みたいな、すかっとした心。


              『彼女と先生・おまけ』

10/19/2024, 6:04:44 AM

秋晴れ


美しい空でした。
涙ながらの通話を終え、見上げた青さはなんと尊大だったことでしょう。
秋晴れ、と呼ぶには少し遅い気もしますが、しかしそんな空模様だったのです。日陰から一歩出てみると、私たちをまんべんなく照らす太陽がありました。時折吹く風が、濡れた頬を撫でていきました。いつもは鬱陶しく焦りを感じる遮断機の音さえも懐かしく思いました。
私は確信したのです。今、私は幸せでないかもしれないけれど、決して不幸ではないのだと。
先生、あなたのおかげで。


              『彼女と先生・おまけ』

10/15/2024, 7:32:18 AM

高く高く


どれほど嬉しかったか。
わたしは間違っていなかったんだと、ちゃんと救えていたんだと言われた気がした。

『先生は私の恩師です』
なぜ?と茶化して問いかけると、彼女は常識だとでもいうように答えた。
『ぜんぶ』
わたしは何かを出来ていたらしい。彼女を助けられていたらしい。
わたしは、彼女が欲する言葉を持っていないのに。

わたしは知らない。彼女がどれほど高くわたしを見ているのか、それは本当にわたしなのか。あるいは幻想ではないのだろうか。
しかし彼女の視線はいつも背中に感じていた。高い高いわたしの理想が、壊れてしまいそうなほどに。



              『彼女と先生・おまけ』

10/11/2024, 5:47:25 AM

涙の理由


電車を降りて駅を出たところで、ポケットのスマホが震えた。確認すると、どうやら不在着信があったらしい。電話主を見てどきっとする。
慌てて歩道の端に寄り、折り返しをかけた。呼び出し音に手が汗ばんだ。
Rrr...Rrr...R
『はい』
「あ、福井です。すみません、さっきお電話いただいてたみたいで気がつかず……」
『ええよええよ。よく考えればさっきまで電車乗っとったよな』
「そうですね。ちょうど駅出たところで」
『せやんな。今ちょっといける?長くなるかもやけど』
……深呼吸。
何を言われるのか、わかるようでわからないけれど、それは私を傷つけたい訳じゃない。それだけは確かだ。
「はい、大丈夫です」
『よかった』
電話の向こうでほほ笑む様子が目に浮かんだ。
『ほなじゃあ、一旦最後まで聞いてほしい』

その人が電話越しに話したことは、主に謝罪だった。軽率なことをしてしまった、本当に申し訳なかったと繰り返していた。
私はどうでもよかった。むしろそれを聞くのが苦しかった。もういいですって遮りたくなった。
ひと通り謝り終えて、その人は少し沈黙した。やがて、ぽつりとつぶやいた。
「福井のこと……大事に思ってるんよ」

あ。
先生、あなたは私のことをわかっていた。私のこの心を知っていた。だからきっと難しかった、だからいつも寄り添ってくれた。
私が欲しい言葉を持たないから。
だからあなたはあんなにも、悲しい目をしていたんだ。

「先生」
溢れ出る感情が頬を伝う。
「やっぱり先生は」
うん、と電話口の向こうで頷いた。
「やっぱり先生は、私の恩師です」


                『彼女と先生・終』

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