『君が紡ぐ歌』
浅い呼吸がきこえる。一定のリズムで、低く、高く。
うなされるように、君はかすかな声をもらした。うっすらと目を開く。
目が合うと、僕はその頬をはりついた髪をつまんだ。
「まだお眠りよ。夜は長い」
君はまた目を瞑った。枕元に座る僕の袖を握って、くいくいと引っ張る。
「はいはい。まったく、君もまだまだ子どもなんだから」
冷やかして笑いながら、僕は喉をひらいた。息を吸う。肺に眠る五線譜にトーン記号をおいて、僕は歌い始めた。
君のための子守唄。
僕だけが歌える子守唄。
それはいつか波音に溶けてしまうだろう。
君はこの歌を忘れて、必要としなくなるだろう。
だけど君が望むなら、僕はいつだって同じ歌を奏でてみせよう。
ずっと変わらない愛しさを込めて。
君の寝息がきこえる。呼吸は深くなって、ひたいに浮いていた汗も乾いていた。
僕はそっとそばを離れ、開け放たれた窓に腰かけた。
月が呼ぶ。風にのる。
穏やかな寝顔を振り返って、その呼吸に耳をすます。
これが君の紡ぐ歌。僕だけの宝物。
「おやすみ、いとしの我が子」
ひと吹きの風が、窓枠になびくカーテンを揺らした。
君の部屋にはもう誰もいない。
ただかすかに残る子守唄と、君の歌がきこえるだけ。
秋の訪れ
(読み)アキ-ノ-オトズレ
(意味)ほら、そこの街灯が灯ること。
類語……金木犀の香り
対語……ひと筋の汗
『涙の理由』
そんなの、あなたが笑うから。
ただそれだけよ。
「答えは、まだ」
銀行アプリから通知がきた。
なんだと思って開いてみると、こないだのクレジットカード利用額が引き落とされましたうんぬんと言っている。
3万8000円か口座から引かれ、残りは16万。
次の給料日が来たら、いよいよだ。
この金みんな握りしめて銀座の宝石店へ行こう。
君がくれたプロポーズの返事を買いに。
地位も権力もお金もない、地味なフリーターの俺だけど、せめてこれだけは確かな形にしたいんだ。
だから待っていてくれと頼んだら、君は不思議そうに首を傾けてる、それから耳を赤くして「うん」ってうなずいてくれた。
それだけで俺はなんだってできる気がしたよ。
君がくれたプロポーズの答えは、まだ、口の中にある。
でももうすぐ伝えに行くよ。
きらりきらめく想いを宝石に、
この永遠の誓いを輪っかにして、
君の薬指にはめよう。
「夢じゃない」
あなたがいた。
夢じゃなかった、夢ならよかった。
わたしはただ見つめるだけ。あなたに気づかれないように見つめるだけ。
幸せ?……ええ、そうかもしれません。
だけど不幸せかと訊かれたら、はいと答えてしまうでしょう。
あなたがいた、それだけなのに。それだけで……。
わたしは夢見心地になって、今にも空へ舞い上がりそうで、夢のなかではあなたはきっと、笑ってわたしのそばにいるの。
あなたがいた、夢じゃない、夢であってほしい。
夢のなかでなら思いを伝えられるから。