寿ん

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1/11/2025, 3:28:58 PM

あたたかいね


『鈴山さんの天気予報』はよく当たる。
朝5時から始まる情報バラエティの、星座占いと天気予報を観てから家を出るのが私の日課だ。
占いのほうは正直信じてはいないけれど、例えばラッキーアイテムがどうとか、ラッキーカラーだとか、そういうのが今日の持ち物のなかに入っていたらちょっと嬉しくなる。おまじないみたいなものだ。

この日の星座占いで、私の双子座は10位だった。ラッキーアイテムはサンドイッチで、『周りをよく注意して過ごしましょう』というアバウトな助言をもらった。スタジオのゲストにも双子座がいたようで、コンビニのサンドイッチ全買いしまーすとコメント。
私もなんとなく、お昼はサンドイッチを買おうと決めて家を出た。
徒歩10分の駅から、電車で15分。目的地に着いたらさらに5分ちょっと歩いて、私の勤めるオフィスがある。

『今日の最高気温は9度、昨日より2度ほど上がるでしょう。全国的に晴れの模様です』

今朝の鈴山さんは確かそう言っていた。だからいつものコートだけでカイロは持ってこなかったわけだけど、風が強くてどうしても暖かくなんて感じない。むしろ昨日より寒いんじゃないか。
オフィスビルに入ったところで、
「鳥越さん、おはよう」
声がかけられた。見ると、同僚の島泉さんが1階のコンビニからこちらへ歩いてくる。
「おはよう。何買ったの、お昼ごはん?」
「いやあ朝食だよ。寝坊して食べて来れなかった」
「島泉さんが寝坊?意外」
「俺だって自分にびっくりしたさ」
話しつつ、一緒にエレベーターに並ぶ。
「いつも観てる朝の番組をね、観れなかったわけだから残念。あの天気予報当たるのに」
「へえ、私も観てるよ。ソーソーモーニングってやつ」
「ほんとう?!俺もそれなんだ。鈴山さんのね」
「鈴山さん、今日は昨日よりあったかいって言ってたよ。でも風強いし、あんまりそうは思えないよね」
エレベーターは徐々に降りてきていて、今は5階にいるらしい。エントランスの自動ドアが開くたびに冷気が舞い込むから、早く来てくれると助かるのに。
「鳥越さん、カイロ持ってないの?俺の貸そうか」
島泉さんは大きなコートのポケットから、貼らないタイプのカイロを取り出した。
「大丈夫って言いたいとこだけど、じゃあちょっとだけ借りてもいいかな?もう手が冷たくて冷たくて」
そう手を差し出す。すると島泉さんは私の手にカイロを乗せ、そのまま彼の両手で包んだ。
「そうかな?鳥越さんはあったかいよ」
とたん、指先に熱さが巡った。
わけがわからないけれど、ひとつの感覚が脊髄に達する。
この熱さ、そして痛さ。
「あ、」
熱い。
「あっあぁ……」
暑い。
「ぁあぁぁ……?」
巡って、巡って、手首から身体の外へ流れ出る。
「鳥越さん」
チカチカする視界で、目の前の人物を見た。恍惚とした表情で、私をーー私から溢れる血液を眺めていた。
「ああ、ほら、ぜんぜん」
愛おしそうに手首の傷を撫でる。私の悶えも聞こえないみたいに、彼は指を傷口に突っ込んでは広げていく。
「鳥越さんはぜーんぜん冷たくなんてないよ」
床に落ちたカイロは赤々と染められていた。彼はカイロを拾って、頬擦りをした。
「鳥越さんは、あたたかいね」

12/21/2024, 5:56:11 PM

大空


狭え。
全方位から、身体が押さえつけられている。少しでも身じろぐと何かが肉に食い込んできた。
「痛え」
口を動かしたら、砂が流れ込む。薄目を開けると塵が邪魔する。
それでも、じっとなんてしていられない。何か使命があった気がする。しなくてはならないこと、守らなくてはいけないもの。
指先に力を込めた。小石が指の隙間を転がるのがわかった。
わずかでも空間があるということだ。
少しずつ、少しずつ。身体の周りを埋めるそれらを避けて、動く余地を探っていった。

どれだけの時間が流れただろう。
頭に浮かべるのは、果てしなく青い空。きっとここから抜け出したとき、目にすることができるんだ。
人差し指が何かに引っかかった。爪で弾くように動かすと、白いものが瞳を打った。
光だ。
息を呑む。
腕をねじ曲げて、指1本分の穴を求めた。無理に突っ込むと、ギシギシと周りのものがうごめいた。

「っ、ああぁあ!」

皮膚が切り裂かれる。身が削られる。あらゆる痛みを無視して、叫びと共に握りしめた拳を突き出した。

がらがらと崩れ去るそれら。目の前に広がっていたのは、大空。
白い空だった。
家屋なんてものは見えない。木々も人も、何もない。
ひび割れた地面にはかろうじて、カラカラに干からびた草が生えている。
神様が、白のペンキを黒い画用紙にぶちまけたように、世界には2色しかなかった。

守りたかったもの。

振り向くと、大きな箱が倒れていた。1メートルほどある長方形で、ぼろぼろに壊れているようだった。
蓋を開けると空っぽで、ああ、箱も自分の手も、平坦な黒色をしていた。
中に入る。大空は雲ひとつ、かげりひとつない快晴。青色じゃければ空でないなら、この世界は大したことない。
内側から蓋を閉めると、肩の荷が下りた心地がした。
ああ、ちゃんと守ったよ。

どこまで続く、純白の空。

12/17/2024, 1:54:16 PM

とりとめもない話


「なに話してたの」

「え?」

「さっき。小田と2人で話してたでしょ、何の話?」

問いつめると、彼女はやだなあと首を振った。長いポニ ーテールがさらさら揺れる。

「別に何でもないよ。他愛もないこと」

「どんなこと?言えないの?僕に知られたくないこと?」

「友くん」

「だって僕に話さないって、そういうことだろ。都合が 悪いんだ」

「友くん、あのね」

彼女は腕を伸ばして、僕の頬を両手で包んだ。先週、一緒に買 いに行った手袋はふわふわして暖かかった。

「あのね、そりゃあわたし、付き合うとき『ちょっとは 束縛してね』って言ったけど。これじゃ尋問だよ」

困ったように眉をひそめる彼女の口元は、やっぱり微笑 みが絶えなかった。

「いーい? 小田くんとはゼミのことで話してたの。は い、疑い晴れた!」

「ちょっと美咲……」

「じゃあ、もう電車来るから。また明日ね!」

点滅する踏み切りの向こうへ、美咲は手を振って駆けて行った。彼女のぱっと明るい笑顔が僕は好きだった。

電車が僕らを引き裂くように通り抜けていく。僕は大好きな彼女に大きく手を振った。

「また明日、じゃあ」

じゃあなんで、小田の家に行ったの。
じゃあなんで、小田と手を繋いでいたの。
じゃあなんで、キスしていたの。

いつからだろう、あんなにきれいに笑う美咲の「他愛もない話」を信じられなくなったのは。

途中で壊れたんじゃない。きっと、最初から何も築けていなかっただけだ。



最近、友くんの様子がおかしい。
今まで絶対にしなかったのに、よく女の子と2人で喋っている。

「友くん、さっき、岡田さんとなに話してたの?」

「何でもないよ。とりとめもないこと」

「ほんとに?わたしに隠し事してない?」

友くんはスマホから顔を上げて、優しく目を細めた。

「うん、なんにも」

12/10/2024, 10:27:36 AM

仲間


(読み)ナカ-マ

電車で肩を預ける人のこと。   →類語…あなた
                →対語…知らない人



                  「わたし辞書」

12/6/2024, 8:45:55 AM

眠れないほど


重い布団を跳ね除けるかのように、彼は窓を開け放った。とたん、むせかえるほどの甘ったるい空気は逃げ出して、僕らは2人きりになった。

彼は振り返って、決まり悪そうに微笑んだ。
「それじゃ……そろそろ戻ろうか」
それがいい。こんな気持ち悪いところに、これ以上いたくない。
立ち上がって彼の方へ歩いた僕は、その手から窓の主導権を奪った。窓は木枠にしっかり収まって、がちょんと重軽いで鳴いた。

「やだ」

きっと鏡を見ても、同じように面食らった顔が映っているだろう。僕らは目を丸くして見つめ合った。
永遠に続くかと思うほどの沈黙、と、涙。

彼は僕を突き飛ばして、窓を乱暴に開けると、真っ赤な瞳で僕を睨んだ。

その夜、眠れぬほど僕を悩ませたのは、あのねっとりとした甘い空間でも、軽蔑したような彼の目でもなく、また米価が上がったというニュースだった。

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