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2/24/2025, 1:12:43 AM

『魔法』

「俺、魔法が使えるんだぜ」
 高二の年明け、季節外れの転校生がナツミに向かってそう言った。この男は転校初日からそうやって何度もナツミを揶揄ってくる。
「はいはい、それはすごいね〜」
 この男はオオカミ少年という言葉を知らないんだろうか?
 いくら世間知らずのナツミだって、そう何度も騙されてたまるかと思った。

 彼は黙っていれば結構イケメンで、こんな田舎の高校には相応しくないような都会的な雰囲気を持っている。転校初日、明るい髪色にピアスで現れた時には、クラス中がざわついた。

 ナツミは彼が魔法を使えることを知っている。ファンタジーの物語のように魔法の杖を使って火や水を発現させたりなんてことはもちろんできない。
 彼ができるのは、クラスの空気を一気に変えることだ。
 転校初日にあんな派手な格好で登場してクラスをざわつかせたのに、自己紹介では「田舎者と関わる気はない」なんて言ってクラスの空気を凍らせた。
 話しかけるなという雰囲気を出しているから、普段は誰も話しかけないし、勇気を出して話しかけた子もいたけど、無視されていた。
 それなのに席が隣になったナツミにだけは、こうしてこっそりと話しかけてくることがある。しかも変なことばかり言ってくるんだ。

 魔法ねぇ……使えたらいいとは思うけど、そんなの不可能だ。ナツミは頬杖をついてボーッと考えていた。

「なあ、顔貸せよ」
「それって不良が呼び出す時のセリフやろ? やめてよ、怖い」
 次は何を企んでいるのか。
「いいから、放課後になったら黙って俺について来い」
 なんで急に強引にそんなことを言ったのか。ナツミは首を捻ったが彼の考えなど分かるわけもなかった。従ったらどうなるんだろう? 彼は危険人物だったりするんだろうか?
 僅かな不安はあったが、好奇心の方が優った。

 放課後になり彼についていくと、行き先は彼の叔父が営んでいるという噂の商店だった。その奥にどんどん入っていくから、私も仕方なく「お邪魔します」と小さく呟いて彼の後を追った。

「そこ、座って」
 そう言って彼はナツミを台所に一人残してどこかに行った。
 台所のダイニングテーブルには、新聞が畳んで置いてあって、インスタントコーヒーや木の器に入ったバナナやみかん、お茶菓子なんかも無造作に置いてある。彼のような都会的な人が住む家も、うちと大差ないと思ったら少しホッとした。

「髪、邪魔だからヘアバンドとクリップで止めるからな」
「あ、うん」
 何をしようとしているのか分からなかったけど、工具箱のような箱を持って現れた彼に、ナツミは素直に従った。

「お前、もったいないよな。なんでメイクしねぇの?」
「へ?」
 そんなことを言われても、やり方が分からないし、学校にはメイクをしてくる人なんてそんなにいない。何よりナツミは朝は一分一秒でも長く寝ていたいタイプであり、メイクをするために早起きする人の気持ちが分からないと思っていた。
 しかしこの言葉と、開かれた道具箱から覗くカラフルなメイク道具やブラシから、彼が何をしようとしているのかは分かった。

 気まずかったのは、彼はずっと無言で私の顔に何かを塗り続けたからだ。無言で顔を弄られるというのはなんとも言えない恥ずかしさがある。彼の距離も近いし、自分からは現状が見えない。
 芸能人がメイクをしてもらう時のように、目の前に大きな鏡があったりはしない。目の前にはよくある一般家庭の台所の景色が広がっているだけだ。

「できたぞ。ほら見てみろ」
 鏡を手渡されて恐る恐る見てみると、そこには知らない女の子がいた。雑誌の中から飛び出したみたいに可愛い子だ。
「え? 誰?」
「ふっ、やっぱりお前の反応、最高だわ。可愛くなったお前にご褒美な」
 呆気に取られるナツミの顎を掬い上げると、彼は徐ろにキスをした。

「なっ、なっ……」
 言葉にならない声。上昇する体温。これは夢なのではないかと思った。

「どう? 俺、魔法使えるだろ?」
 確かにこんなに別人に変われるようなメイクができるのは魔法かもしれないと思った。

「うん、そうだね。このメイク、魔法みたい」
「お前、やっぱり可愛いな。卒業したら俺は東京に戻る。お前も来いよ」
 そんなのすぐには答えを出せない。東京の大学に進学するとしても、未成年のナツミが一人で決められることではなかった。
 でも、この人の魔法にもっとかかってみたいと思った。


(完)

1/22/2025, 2:32:37 PM

『あなたへの贈り物』


 手帳型ケースにに入れたスマホを開いた。
 アドレス帳から、あなたの名前を検索して削除ボタンを押す。次はメッセージアプリを開いて、履歴を辿った。
 最後の日付は五日前。スクロールして履歴をひたすら辿る。まだ付き合っていない頃の会話。

「もし週末空いてたら飯行く?」
「行きます。土日、どちらも空いてます」
 そんな会話が最初の会話だった。

 始まりは何度もある。
 メッセージのやり取りを始めた日。
 付き合い始めた日。
 スケジュールアプリを一緒に使い始めた日。
 一緒にランニングを始めた日。
 一緒に朝活を始めた日。

 始めないまま終わったものもあったし、あなただけ終わったものもあった。私は今でもスケジュールアプリを消せないし、ランニングを続けているし、朝活も……。
 あなたが終わらせたものはたくさんあるけど、あなたが1番終わらせたかったものは、私との関係。

 あなたの優しさに甘えて別れられずにいた。別れたいと言えないあなたに、私が最後に贈るもの。それは全てを終わらせること。

 始まりは何度もある。
 あなたの終わりはたくさんあるけど、私の終わりはまだない。終わらせることができずにいてごめんね。

 あなたと始めたものに関連するアプリを一つずつ消していく。最後に残ったのはメッセージアプリだ。削除のボタンを押す指が震えて、一瞬躊躇した。長い爪がコツリと画面に当たる。
 これで終わりにする。あなたと始めたもの、全て終わりにする。

 ──あなたへの贈り物は「サヨナラ」



(完)

1/17/2025, 3:28:13 PM

『風のいたずら』


 ビュウっと風が吹いた。

「あ……」
 ここで白いワンピースを着た女の子の麦わら帽子が風で飛んだりしたら絵になるんだけど、現実ではそんなことはない。
 風で飛んだのは自転車の前カゴに入れていた綿菓子だ。さっき近所の神社でやってるお祭りの横を通った。そこで偶然会った妹に「もう要らないし邪魔だからお兄ちゃん持って帰って」と言われて仕方なく受け取ったものだ。

 軽いから飛びやすい。山から吹き下ろす風でフワッと飛んで地面に落ちそうなところを、手を伸ばしてキャッチしたのは俺ではなかった。

「あたし、ナイスキャッチじゃない?」
 そう言って綿菓子をキャッチしたのは同じクラスの山守だ。
「だな、ありがとう」
 山守から綿菓子を受け取る。
 俺はこいつのことはあまり知らない。去年この街に引っ越してきて、うちの学校に転入してきた。高二の秋なんて、受験を控えた変な時期だとは思ったけど、まだ自分たちは親の庇護下に置かれる存在で、逆らうことは難しい。
 もうあと一年と少しってことで、彼女は今でも前の学校の制服を着て登校している。悪目立ちしたくないし、俺ならすぐに新しい制服を作るが、彼女はそんなことは気にしないらしい。

「食う?」
 自分でもなんで山守にそんな風に声をかけたのか分からない。大して親しくもないんだから、そのまま立ち去ればよかったのに、なぜか声をかけてしまった。山守は一瞬驚いた顔をして、見たこともないような柔らかい微笑みを浮かべた。

 ──そんな顔もするのか……

 俺は、いつも無表情で周りに人を寄せ付けない壁のようなものを作っている彼女が見せる笑顔に、見惚れてしまった。

「どうしたの?」
 俺が固まっているから、彼女は心配そうに俺を見た。山守とこんな風に普通に話していることが信じられなかった。

「なんでもない。そこ抜けるとベンチあるから、そこで食う?」
「ん、いいよ〜」
 いつも学校では周りを警戒している山守が、こんなに気安い感じなのも意外で、俺の頭の中は絶賛混乱中だ。

 右手と右足が同時に出てしまいそうな、混乱した頭のままでベンチを案内して、自転車を隣に停めて並んで座った。

「お祭りの綿菓子なんて久しぶり。これって割高だよね」
「うん、まぁそうだな」
 ギュッと潰したら砂糖の量はほんの僅かだろう。俺は小さく千切った綿菓子がどんどん運び込まれていく彼女の口元をじっと見ていた。

「信田くんも食べれば?」
「あ、うん」
 急に話しかけられて、じっと見つめていたことを咎められるのかと一瞬緊張したが、そんなことはなかった。綿菓子の袋に視線を移して手を突っ込んで少し掴んで引っ張り出した。そして口に運ぶ。

「ふふっ、綿菓子食べるの下手なんだね。口の周りに綿菓子ついてる」
 山守にそんな風に笑われて、カッと顔に熱が集まる。
 山守の顔が近づいてきた。そのまま重なる唇、そして柔らかい舌で唇の端を舐められた。

 ビュウっとまた風が吹いた。

「えっ…」
 一瞬何をされたのか分からなかった。
「ごめん、キスしちゃった」
「あ、うん」
「もう一回していい?」
「うん」
 なぜ俺は了承の返事をしたのか。
 笑った顔でぐらりと揺らぎ始めた俺の心は、初めてするキスで完全に彼女に攫われた。

 ビュウっとまた風が吹いた。

 フワリと舞った綿菓子の袋、それを必死に追いかけて掴む。ふぅ、また上手いことキャッチできた。そう思って振り向くと、彼女はもういなかった。



(完)

1/16/2025, 5:13:38 PM

『透明な涙』


「いい子にしてるのよ」
 ママはそう言って、真っ赤な口紅を塗って家を出ていった。

 ママが真っ赤な口紅を塗る日は嫌いだ。いつもと違って機嫌が良くて、いい匂いがする。そして鼻歌を歌いながら、普段は触れてもくれない私の頭を撫でる。
 すごく嬉しくて、ママに抱きつきたい気持ちになるんだけど、それは許してくれない。
 そしてママは綺麗な服を着て出かけていって、何日も帰ってこなくなる。

 とても心地のいい温かいママの手が、「さよなら」と言っているように思えた。

「かえってくるよね?」
 そう聞きたいけど聞けなかった。

 冷蔵庫を開けてみる。そこには昨日の夜に食べ残したパスタの残りと、サラダの残りがあったから、私は少しだけ食べた。ママはいつ帰ってくるのか分からない。だから少しずつ食べるようにしている。

 もう何日経ったかな?
 今日もママは帰ってこない。冷蔵庫の中にもう瓶に入った赤くて辛いのと、食べ物じゃない何か分からない瓶しかない。この瓶の中身はママがお風呂上がりに顔に塗っているやつだ。
 パスタもサラダももう無い。味噌ももう全部食べた。マヨネーズももう無い。玉ねぎは苦くて辛かったけど、お腹が空いて耐えられなかったから食べた。茶色の薄い皮は紙みたいで食べられないと思ったから剥いて食べた。
 踏み台に乗って水道から水を出す。コップに入れて飲んで、お腹が空いたのを我慢した。

 ──ママ、早く帰ってきて。

 ママが最後に言った「いいの子にしてるのよ」って言葉は別れの挨拶だったみたい。

 何日かして、力が出なくて踏み台にも上がれなくなった頃、知らない大人が来て、子どもが集まっているところに連れていかれた。そこは暖かくて、明るくて、賑やかだった。
 ご飯ももらえたし、お風呂にも入れてもらった。新しい服も着せてくれて、知らない大人が頭を撫でてくれた。

 でも私は幸せじゃなかった。だってママがいないんだもん。大人は何人もいたけど、みんな優しくて赤い口紅を塗っていない。
 私は、赤い口紅を塗った日だけ優しくて、頭を撫でてくれるママが好き。他の人じゃなくママがいい。
 だって私のママはすごく綺麗で、いい匂いがして、私の前で泣くんだ。透明の涙を流しながら、私に縋り付くんだ。だから私がママを守らなきゃ。

 何日も寝て、毎日ママが迎えに来てくれるのを待った。何日経ったか分からないけど、ある日ちゃんとママは迎えに来てくれた。真っ白でふわふわなコートを着て、真っ赤な口紅を塗っている。またどこかに出かけるの?
 それでもいい。ママは私が守ってあげなきゃいけないんだ。

 ママと一緒に家に帰ると、家には知らない男がいた。でもしばらくすると、男は家から出ていって、帰ってこなくなった。

「なんで? ずっと一緒だって言ったのに」
 ママはまた私に縋って泣いている。透明の涙を流して。

「ママ、わたしがまもってあげる」
 ほら、ママには私が必要でしょ?
 きっとママはまた、しばらくすると真っ赤な口紅を塗って出かけて、何日も帰ってこなくなるんだ。でもこうして私のところに何度でも戻ってくる。

 大好きだよママ。


(完)



12/10/2024, 6:09:24 AM

『手を繋いで』


「ママ、僕を見て」
 懐かしい夢を見た。ママの顔、今となっては思い出せない。写真一枚残ってない。ママがいなくなった時、パパがママの写真を全部ビリビリに破いて捨てたからだ。
 当時の僕は何をしているのか分からなかったんだけど、今なら分かる。裏切られた憤りからの行動だったんだろう。

「マサキ、これからはパパと二人で暮らすんだ」
「うん」
 本当はなんでなのか、ママはどこに行ったのか聞きたかったけど、聞いてはいけない気がして聞けなかった。

 パパはちゃんと僕を見て、僕の手をしっかりと握った。パパは僕のこと見てくれる。だったらパパがいいと思った。

 パパはいつも疲れてた。僕と手を繋いで保育園まで送って、仕事に行って、外が暗くなってから迎えにくる。
 ママがいた頃はパパと手なんて繋いだ記憶はなかった。ママとも繋いだ記憶はないけど……。パパの手は温かくて大きい。

 初めパパは料理だって下手だった。
「美味しくないよな? ごめんな」
 パパは知らない。ママが出してくれるごはんは美味しかったけど、あれはママが作ったわけじゃない。お店で買ったやつだ。

 パパは下手な料理をいつもちゃんと作ってくれたから、キッチンはいつもグチャグチャだった。パパが疲れてソファで寝てる時、僕は踏み台を持って行って、お皿を洗おうとしたんだ。僕も役に立ちたかった。だけどお皿が落ちて割れてしまった。

 ガシャーン

 大きな音がして、パパは慌てて起きて、僕がお皿を割ったのだと分かるとため息をついた。
「ごめんなさい」
 怒られると思ったのに、パパは怒らなかった。それからうちの食器は割れない食器になったんだ。僕もパパの役に立ちたくて、お手伝いをするようになった。

「マサキは偉いな」
「パパのほうがもっとえらいよ」
 そう言ったらパパは笑って抱っこしてくれた。

 そんな男二人の生活がずっと続いた。僕はもう無力な子どもではない。結婚もして、子どももいる。親父は先日仕事を辞めた。定年退職ってやつだ。
 それでも元気だから、いつも息子と手を繋いで散歩に行く。

「親父、ありがとう」
「ん? 何のことだ?」
「何でもない」

 あの時、僕を見てくれて、大きな手で僕の手を包んでくれたから、僕は迷子にならずに済んだ。
 今となっては親父の手はそれほど大きいとは思えない。だけど、あの頃の僕にとって、何者からも守ってくれるような大きな手はとても頼もしくて格好いいと思った。
 だからもし親父が迷子になることがあれば、僕がその手を握って親父を守ろうと思う。



(完)

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