「ねぇ、もう諦めたら?キミさ、センスも才能も無いんだし。向いてないよ。」
暗闇に、誰とも分からない声が響く。また、この声だ。
私は一人、うっすらと辺を照らす一本の蠟燭の前に胡座を掻いて座っている。
「キミは、人生を間違えたんだよ。誰の役にも立てない、哀しい哀しい粗大ゴミなんだよ。だから、諦めたら?」
目の前の蠟燭の炎がゆらゆらと揺れる。
蠟燭が、どろどろと溶けてゆく。
この声は、誰の声なのだろう。
家族なのか、親戚か、赤の他人か。過去の自分か。
独りになった時、不安に駆られると声がする。
そして、「価値がない。」と責め立てられる。
始めは言い返した。だが、それは己の首を締められるだけだった。何を言っても、極端に否定され続ける。
少しでも動揺して声に出して反論でもしてみれば、
それこそ、鬱になる程に心が砕ける。
「馬鹿だなぁ。そんな事、一切の無駄なのに。
キミの目の前に在る、蠟燭の炎が酷く揺れているじゃないか。しかも、あっという間に溶けている。」
暗闇が、ケラケラとした、馬鹿にした嗤い声に包まれる。
苦しい。頭が痛くなって来た。
炎が激しく揺れる。蠟燭はもうすぐに溶けて無くなって
しまいそうだ。
〔違う。私はゴミじゃない。確かに、今は現状に甘え、
怠惰な日常を送っている。その日常が楽で、そこから
一歩を踏み出せないでいる。〕
自分の声を出さないで、頭の中で、現実を認める。但し、自分の価値を否定する言葉は、しっかりと拒否をする。
〔だが、その現状から私は、一歩を踏み出そうとしている。外の世界にもう一度、怯えながらでも、踏み出そうとしている私が居る。〕
響き渡る嗤い声に邪魔をされながらでも、自分を肯定する。
「嘘を吐くな。お前は何度も、何度も、逃げてきた。
そんなお前は、もう前に進めない。
だって、誰よりも意気地無しで弱虫で蛆虫だから!」
雷鳴の様に響き渡る。
雨音の様に嗤い声が降り続ける。
それでも、
〔弱くても進める。蛆虫だって、前に進める。
才能やセンスより、勇気が大切だ。〕
〔才能やセンスはあったけれど、少しの勇気も無かった、昔の私なんかよりも、
今の私の方が、ずっと強い。価値もある。〕
そう想い続ければ、炎の揺れは段々と収まって行く。
蠟燭の溶けも緩やかになって行く。
それと併せるように、声も段々と聴こえなくなった。
この呪いは、何時まで続くのだろうか。
それまでに、心の灯火が消えないで居られるのか。
何時か、蠟燭の炎が消えた時、私は、どうなるのか。
「今日で一年、か。」
片手にお猪口を持ち、天井を見上げて、親戚のおじさんがしみじみと呟いた。
私は俯き、その現実から逃げる。
「最後迄、明るい人だったわね。良い人だったわ。」
空になったグラスにビールを注いでいた、親戚のおばさんがそのおじさんの横に座って、しんみりとする。
「そうですねぇ。皆さんにはとても主人が、お世話になりました。しかも、一年経っても此れだけの人に、集まっていただいて、本当に、ありがとうございます。」
祖母が、そう言って集まった人達に頭を下げた。
それを見た親戚の人達は、口々に、
「まだ60代入ったばかりだったでしょう。お若いのに、
残念だわ。」
「あの人が亡くなるなんてなぁ。勿体ないなぁ。」
「亡くなってもう一年だなんて、本当に早いですねぇ。
お一人で、今もまだ大変でしょう?無理なさらないでくださいね、本当に。」
祖母に慰めの言葉を掛けた。
私は、皆が居る場所から、気付かれない様にひっそりと、
逃げ出した。
私は、逃げ出した後に、亡くなった祖父の部家に向かった。
〔ねぇ、じいちゃん。酷いよね、皆さ。今日になって、
一年だとか、寂しいとか言ってさ。〕
内心に想っていた事を言葉にしていると、涙が溢れてくる。ポタリと、一滴畳に零れ落ちると、止まらなくなっていく。
〔私なんてさ、じいちゃんが亡くなっちゃった時からずっと、泣いて過ごしてたんだよ。それで、一年が経つって位になって、やっと。やっと、立ち直って来たのに。〕
泣き叫ぶ様に、想いの儘に言葉を放つ。
この涙が、怒りから来るものなのか、寂しさから来るものなのかすらも分からない。
只々、絶叫する。
大体、一時間弱泣き叫んで居たのだろうか。
居間を出た時間から、おおよその時間が推測出来た。
ある程度冷静になって、ふと思い出した事がある。
祖父が亡くなる直前に、寄こしたラインがあった。
その内容は、
「またこいよ」
とだけ打ってあった。
スマホを買ったばかりの為に、この五文字を打つのに
どれだけの時間を要したのだろう。
それを考えていると、また涙が溢れそうになる。
このラインが来た翌々日には、もう危篤状態で、
その次の日には、亡くなった。
私は、このラインが、開けない。
届いた時以来に、一度も開けていない。
〔うん、またね〕
そう返信した後に、会いに行けなかった、なんて後悔が、胸の奥にじわじわと広がる。
「またこいよ」
その一言が、怖くて開けない。
もう会えないじいちゃんに、また会えるかもって、
どうにもならない程に期待をしてしまう。
そして、軽い気持ちで、またね、なんて送った自分への
怒りが、後悔が永遠と胸に溢れて、溺れそうになる。
〔ねぇ、今度山でも一緒に行かない?〕
休み時間になり、チャイムが鳴った。
僕はキミの席の前に周り、しゃがんで上目遣いで訪ねた。
「え、山ってそんなに軽く行けないでしょ。」
キミは真顔でそう答えた。
僕は笑って、
〔いや、近くにある、あの小さい山だよ。
ほら、小学生の時とかに遠足で登ったでしょ?〕
そう言うと、キミは納得して頷いた。
その後に、
「久々に良いかもね。何時ぶりだろう、あの小山。
登るのって、今度の休みとか?」
かなり上機嫌そうな声が上からした。
僕は内心、デート!なんて、はしゃいでいた。
僕は出来る限り、ニヤケ顔にならないように、笑いかけた。
〔そうだね、そうしよう。あと、お昼とかどうする?
僕は、お弁当を山の天辺で食べたいなって。〕
するとキミから、嬉しい提案が来た。
「うん、いいね。本当に遠足みたいで懐かしいな。
お弁当、良かったら私が作って行こうか?」
僕は首を縦に何度も振った。
やった。キミの手作り。
〔うん、お願いします!僕、楽しみにしてるね!〕
そう言うと、キミは少し顔を赤らめて、
「そんなに期待しないでね。ちょっと恥ずかしい。」
俯いて言った。
でも、僕はしゃがんで居るから彼女の赤い顔がよく見える。とっても可愛い。やっぱり、好きだ。
今度こそ、告白したいなぁ。
いつも誘い方も格好良くないし、誘っても断られる事も
いっぱいあった。
キミによく、
「不器用だね、相変わらず。」
って笑って言われるし。
でも、笑われちゃうくらいに、
不器用な僕だけど、告白の時くらい、誰よりもカッコよく
決めて見せるから、
キミに、もう絶対に不器用って言われないくらいに、
僕なりに格好良くしてみせる!
〔これ、受け取ってくれるかな?〕
私はそう言って、透明で小さなケースに入っている
一つの小瓶を差し出した。
楕円型の小瓶は、中に入っている鮮やかな紫色の液体を 私の部屋のライトが反射させており、輝いている。
「もちろん、喜んで。これって香水かな?」
彼女は微笑み頷いて、差し出された小瓶を受け取る。
そして、受け取った小瓶を見つめ、そう聞いてきた。
私は、少し笑いながら答えた。
〔そうだよ。この前、雑貨屋さんとか、色々巡っていた時絶対にキミに似合うと想って買ったんだ。
香りは、使ってみてからのお楽しみ。〕
すると彼女は透明なケース越しに、色々な角度から小瓶を眺めて言った。
「綺麗だね。アメジストみたいにキラキラしてる。
色から考えて見ると、王道はラベンダーかな?」
私の目を見て、楽しそうな声色で、言葉は続く。
「でも、どうして香水なの?学校には付けていけないわ。
折角アナタからの贈り物なのに。」
少し拗ねた顔をした彼女に、私は少しの胸の高鳴りを覚えた。
あざといが、とても可愛い。普段、美しいといった印象の彼女の新しい一面に、内心ドギマギとしてしまう。
私は、それを表に出さない様に彼女から目を反らし、
渡した小瓶をじっと見ながら、
〔…キザだけれど、二人っきりでまた、出かけたときに
付けて来て欲しい。〕
言ってて、恥ずかしくなった。
自分でも何て言ったか曖昧な程、小さい声になってしまった。
それでも彼女にはしっかりと届いていたらしく、
私の顔を覗き込んで、ニヤリと笑った。
そして、
「えぇ、勿論。アナタと会うとき以外は使わないわ。
アナタと私だけの、二人っきりの、ちょっと大人な秘密。」
とても同い年とは思えない程に、美しく、妖艶な雰囲気でひっそりと言った。
二人しか知らない、秘密の香り。
私達の特別で、大切な、香水。
〔本当に良いの?これ、プレゼントって。〕
私は、綺麗に包まれた可愛らしい雑貨のプレゼントに、
戸惑っていた。
「勿論!私がプレゼントしたくなっただけだし、
一緒に、デパートに来たって記念みたいな?」
彼女はそう言うと、嬉しそうに笑って
私が手に持っている雑貨に、掌を重ねてくれた。
「折角一緒に来られたんだし、たまにはお礼させてよ。
何時も、お世話になりっぱなしだしさ、私。」
私の目を見ながらハッキリと言ってくれた。
私は、
〔本当にありがとう、ずっと大切にする。〕
と、渡されたプレゼントを見て笑って言った。
元はと云えば、私が彼女に借りた傘を返しに行った。
だけだったのだけれど。
予定を聞かれて、暇だと答えたら、私が前々からずっと
行ってみたかった雑貨、小物店に連れてきてくれた。
そこで見つけた、キラキラとしたイルカのキーホルダーを買うか悩んでいると、彼女がサッとそのキーホルダーを
レジに持っていって、戻ってきた彼女の手には、
綺麗に包まれたキーホルダーがあり、渡してくれた。
その時に彼女は、何時もの、お礼だと言ってくれていた。
彼女は、時々学校をサボっていたり、
先生に叱られそうになったりすると、走って校庭迄逃げたり。
兎に角、とても楽しい人柄であり、憎めない性格をしている。
私と正反対の明るい彼女との接点は、彼女が勉強を休み時間にもしている所を見て、問題が解けなくて悩んでいるようだったから、私が迷惑かな?と思いながら話しかけて、一緒に問題を解く様になった事が始まりである。
毎日、彼女と休み時間を過ごす様になり、その人柄に
段々と堕ちて行った。
そんな時に、傘を忘れた私に、傘を貸してくれた彼女に、私は、言葉に出せない想いに気が付いた。
「どうかした?体調悪いの、ご飯辞める?」
私が想いに浸っていると、彼女は心配そうに顔を覗き込みながら、そう言った。
〔ううん、大丈夫。そうだね、何処に行こっか?〕
慌てて顔を上げて、返事をする。
「無理しないでね。何か食べたい物ある?」
優しく、目線を合わせて微笑みながら彼女は聞いてきた。
〔私は、此処にあるパスタのお店に行ってみたいな。〕
少しドキドキしながら答えると、彼女は頷きながら
「分かった。じゃあ、一階の美味しい所にしよっか。
すっごく美味しいんだよ!時々サボって来ちゃうくらいにはね。〕
その言葉に思わず笑ってしまう。彼女も笑っている。
私の手を優しく引いて、歩き出した彼女に。
今この、まだ言葉が必要なあなたとの関係。
いつか、言葉が要らない程に、想い逢いたい。