一夜の夢

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1/23/2024, 2:54:13 PM

「こんな夢を見た、っておまえわかるか?」

君がそう切り出した。
妙に真面目くさった顔をしている。

「夏目漱石?」

すぐに影響を受ける君は、どうやら最近「夢十夜」を読んだようだ。
僕はそんな君の出鼻を意地悪くくじく。

「ああ。知ってるのか?」
「うん。高校の教科書に出てきたから」
「へえ」

なんだ、つまらん。
君は興醒めしたようで、そう言ってあさっての方角を向いた。

「僕は結局よくわからなかったよ、あの話。死んだ女にまた会うとか、百合の花とか」
「そりゃ夢だからな。支離滅裂なもんだ」
「そういうものか」
「そういうものだ」

僕はリアリストだけど、君はそうじゃない。
支離滅裂な誰かの夢にも、そういうものだと入り込む。

話の中でもう一つどうしても理解できないことがあった。男が言われるまま、女を百年待ったこと。

「僕なら死んだ相手のために、百年も待ったりしない」
「俺は待つだろうな」
「じゃあ僕が先に死ぬよ」
「それがいい」

僕が間違っていたのかもしれない。
主人公は君で、きっと僕は待たせる側なんだろう。

そしたら君は、夢を見ながら待っていてくれるんだろ。
その後で、僕は支離滅裂な君の夢を聞くんだ。

1/22/2024, 12:11:46 PM

「タイムマシーンがあるなら、過去と未来、どっちに行きたい?」

ぼくは本を読むきみに尋ねた。
きみは目を上げずに、けれどページをめくる手を止めて答える。

「過去かな」
「どうして?」
「なんとなく、未来は知りたくないから」

ほんとになんとなく、という風に見える。
ぼくはきみの肩を見つめた。

「ふうん。ぼくは未来に行きたい」
「どうして?」
「大人になったきみに、会いに行きたいんだ」

大人になったきみは、きっと背が高くなってるだろう。
小さなぼくをみて笑うかもしれない。
そう考えるとおかしくなった。
すると、きみがゆっくり顔を上げ、青い目を瞬かせた。

「もう少し待てば、会えるさ。その頃にはきみも大人になってるけど」
「そうだね、確かに」

やっぱりきみは賢い。
ぼくには思いつかなかったことを、いつも簡単に言う。

「そしたら今が過去になるのさ」


「じゃあ未来のきみの方は願いを叶えてるのか」

ぼくははっと思い至って言った。
きみが大人になっても過去に行きたいなら、過去である今にいるきみがその願いを叶えているってことか。
……なんだかこんがらかってきた。

「きみ、たまに小難しいことを言うよな」

青い目を細めて、きみが笑う。
未来のきみも、たぶんおんなじ笑顔をするだろう。
僕の願いも今、叶った。

1/20/2024, 11:15:21 AM

このまま海の底に、この身も心も沈めてしまおうと思った。
僕らの幸せは出口のない不幸だ。
これが、僕が裏切ったすべてに対するせめてもの誠意だと思った。
同時に、僕は変わってしまった自分を受け入れてゆける気がしなかった。

「波の底にも、都はありますから」
「君らしいね」

ああ、幸せだ。
あなたもそうでしょう。
僕はたぶん笑っている。
ようやくあなたを理解できた感動と絶望が体を突き動かす。

「あなたと僕は出会うべきじゃなかった」
「後悔してるかい」
「…ええ。いやと言うほど」
「私はしていないよ。来世でも」

これだからあなたが嫌なんだ。
僕は痛む身体で、反吐が出そうな微笑みを浮かべるあなたを強く抱き締めた。

ようやくあなたのことだけを考えることができる。
足は既に大地を踏み越えていた。

1/18/2024, 2:18:10 PM

閉ざされた日記が頭の中にある。
君といた数年間を書きつけた日記だ。
君がいなくなった日に、僕は鍵をかけて記憶の奥にそれをしまった。

右耳が熱い。
君の最後の囁きが吹き込まれたのを、耳は憶えている。
日記に閉じ込めきれない君の痕跡は、僕の身体中に散らばっている。

星空。カフェラテ。スイートピー。
君の好きなもの全て、僕の好きな君の全て。
日記の文字は増えていく。
鍵も開けないままに。
僕が君を思い出す度に。

1/17/2024, 5:13:39 PM

木枯らしがコートの裾をはためかせる。
僕は襟元をかき合わせた。
冷え込む冬の朝は、いつもより静かだ。

今日はずいぶん早くに目が覚めてしまった。
まだ慣れないこの街を昼中に歩くのは気が進まない。
しかし、早朝ならば人も少ないだろうと実に3ヶ月振りの散歩に繰り出したのだ。
あなたを起こさぬようにそっとドアを閉め、市場のある方角へ。
帰りがけに焼きたてのパンでも買って帰ろうか。

寝静まる市場をぐるりと回り、活気溢れる日中の様子を想像する。想像は得意だ。

パン屋に辿り着く。
ちょうど開いたばかりのようだ。
あなたは何のパンが好きかな。
特に好みを持たない僕の選択は、必然的にあなたの好みになる。

記念すべき住民とのファーストコンタクトをパン屋の主人と済ませ、僕はほかほかの紙袋を手に家路を急ぐ。
普通に、つまり怪しくない感じで、僕は振る舞えていただろうかと不安になった。
あまり特別な印象を残したくはない。

やっと家に続く小道に帰りつき、僕は少し安心した。
ドアを開け、ただいま、と呟いて、その言葉の懐かしさに驚く。
リビングに足を踏み入れれば、コーヒーの香りが僕を包み込んだ。

「おかえり。散歩はどうだったかな」

キッチンで微笑むあなたに笑顔を返して、紙袋を渡した。
結局店主におすすめを詰め合わせてもらった中身は、あなたのお眼鏡にかなうだろうか。

「バゲットとクロワッサンか。いいチョイスだ」

どうやら当たりを引き当てたみたいだ。
あなたの上機嫌を背中で聞きながら、冷えたコートを壁に掛ける。
僕の世界は再び広がる予感を見せていた。

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