「やはり冬のはじまりは寂しい」
君はそう言って、ホットコーヒーに角砂糖を落とした。
かっこつけて丸眼鏡。
黒いコートのポケットには古い文庫本とペンと手帳。
昭和の文学青年気取りでひなびた喫茶店に入り浸っている。
「ブラックは飲めないのか?」
「いずれ飲めるようになるさ」
レポートの締め切りが近いのに、いつも僕を付き合わせる。
そりゃあ嫌みの一つも言ってやりたくなる。
僕の精一杯の毒を涼しい顔で受け流し、君はまた角砂糖をぽちゃんと追加した。
「寂しいなら友だちでも作ればいいじゃないか」
「いらないよ。やつら、どうせ退屈な話しかできないんだから」
「失礼なやつだな」
自分は他の人間とは違うとでも言いたいのか。
昔から君はそういう冷ややかな眼差しで世間を見つめている。
いつまでも10代の少年のようなとげとげしさと鮮やかさで夢を語る。
なぜか僕だけに寡黙な口を開く君が、僕はけっこう好きだ。
「僕の貴重な時間分、奢れよ。早くレポート書かなくちゃいけないんだから」
「冬は金運が下がるから無理だ」
「バイト辞めたからだろ」
ため息をついて、僕は伝票を掴んだ。
終わらせないで、この悪夢を。
君の熱を帯びた甘い匂いで 私は酩酊する。
なんて美しく純粋な君の心。
私は泣きそうな君に囁く。
このままもっと深くまで、二人で沈んで行こうか。
私を見上げる君は不安気に、掠れた声で呟く。
微熱に浮かされた私に気づかず。
…もう何もわからない。
それでいいさ。
怯える君の目を優しく塞いで、ゆっくりと耳に言葉を流し込んでやる。
何も心配いらない。私は君の味方だ。
君の口角が安心したように上がった頃。
私の悪夢が君を侵食し始めた頃。
私は麻薬のような君を抱きしめた。
躊躇いながら背中に回される君の腕を感じて、途端に胸が幸福感で満たされる。
君が死ぬときは、できれば私のせいであってほしい。
それ以外はどうでもいいと思えた。
「愛してる」
とあなたが言うたびに。
大きな腕で抱きしめられるたびに。
いつか終わりが来る確信が、わたしの目を醒まさせる。
「ずっと一緒にいよう」
「そうだね」
笑って返事をしながら、心は冷えていく。
最後の日の足音に怯える。
あなたの愛情のナイフが無自覚にわたしを切り裂いて、毎日傷だらけなのに。
「愛してるよ」
あなたは全く気づかないで、宝物のようにわたしを扱う。
本当は全部自分のせいなのはわかっていた。
素直に愛を受け取れずに、勝手に苦しんでいる自分のせい。
それでも、愛情は恐ろしくて、あなたの優しさが怖くて。
今日も一人で泣いてしまう。
君だけが私を理解してくれる。
君だけが私の特別になれる。
いつも悲しそうで、苦しそうで、それでもぎこちなく私に微笑んでくれる。
震える手で私の傷口に触れてくれる。
今が現実か夢かもわからないと俯きながら、恐る恐る心を開いて見せてくれる。
くしゃくしゃの髪で、よれよれの服で、大きな眼鏡で、今にもばらばらになりそうな自分をかろうじて人間の形に留めている。
それはまるで私のよう。
きれいに人間の皮を被って生き続ける孤独を、君だけがきっとわかってくれる。
君の傷ついた手から微熱が伝わってくる。
君の苦しみも孤独も、私だけが全部受け入れてあげられる。
体が君の温度になってゆくのが心地良い。
この世界に、私と君の二人だけが独りだ。
君の微熱に浮かされた私は、久しぶりに心からの微笑みを浮かべていた。
君が太陽の下できらめく笑顔を見せる。
君のふわふわの天然パーマも、弾む心みたいに揺れている。
みずみずしい芝生。
春風が頬を撫でていく。
4月の日差しは暖かで、公園は満開の桜色に染まっている。
木漏れ日と遊んでいた君が、それを少し遠くから見ていた僕に駆け寄ってきた。
息を弾ませて話しかけてくる。
「帰ったらコーヒー淹れてよ」
「いいよ。それなら近所のケーキ屋でクッキーを買ってから帰ろう」
喜ぶ君が可愛くて、僕も自然と微笑んでいた。
君といると何もかも幸せだ。
気がつくと、君の髪に桜の花びらが一枚くっついていた。
手を伸ばしてとってやる。
「桜、ついてた」
「ほんとだ。ありがとう」
嬉しそうに笑う。
そして、太陽みたいに暖かな手で僕の手を引いた。
来年も、その先も、ずっと君の笑顔を見ていたい。
僕らは並んで歩き出した。