文芸サークルに籍を置いていたときのこと。
後輩の添削というのが、地味に骨の折れる仕事だった。
学生なんて、自分も相手もまさに『山月記』で言うところの“臆病な自尊心”と“尊大な羞恥心”がせめぎあってるお年頃。ともすれば、人の間違いを正すことより、自分の知識をひけらかすことに躍起になってしまう。
そんなこんなでその日もサイトにアップされた後輩の作品をプリントアウトしてにらめっこ。
担当の子はどうも比喩表現に凝っているらしい。あまり聞かないたとえを多用するきらいがあった。
彼はマジシャンみたいな騎士で、とか、畳まれた洗濯物たちが嬉しそうにダンスする、とか、世界観とちぐはぐなたとえがこれでもかと飛び出す。
それを上回るのが熟語やことわざの誤用だった。
・若い少女、夜更け遅く、全員ひとり残らず
・耳を落とす、背中を折って拾う、高々に叫ぶ、二足わらじエトセトラエトセトラ……
ここまでくるともう内容うんぬんより、国語のテストの採点だ。
書き込みだらけのプリントを手に後輩と向き合う。
修飾語が多いと語感が整う気がしちゃうけど二重表現になってるよ。耳は落とせないよね。背中を折ったら痛いでしょ。声高に? それとも高らかに? 二足のわらじ、ね。
ていうかこんなに間違いばっかで平気なことに危機感感じるよ。
それまで神妙な顔をして聞いていた後輩はパッと顔を上げて、
先輩違いますよ、危機感は感じるんじゃなくて覚えるんですよ。
とのたまった。そして手もとのプリントを一瞥すると、
でも、間違いだらけだったとしても、私の投稿のほうがたくさんいいねもらってます。
そう言って、私の頭を撃ち抜いた。
(たとえ間違いだったとしても)
やなやつ!(私が)
「はいこれ、誕生日の」
食器をシンクに持っていったあと、テーブルの上にポンと置かれたベルベット張りの小箱に心臓が跳ねた。
ジュエリーケース特有の引っかかりを指に感じながらそっと開ける。
ティアドロップ型のプラチナのフレームに、繊細に揺れる青い石。きれいなペンダント。
「サファイアだよ、誕生石だろ?」
「……いや違うし、アクアマリンだし」
「ええ?」
「知らないの? 天使の涙」
とたんにブハッと吹き出した。
「天使って柄かよ!」
「ひどっ」
「まあどっちでもいいじゃん。お前よく泣くからさ、ぴったりのデザインだろ」
そう言って屈託なく笑う。プレゼントのチョイスに心から満足しているんだろう。
それ以上なにも言える気がしなくて、ため息とともに飲み込んだ。
明るくて優しくて、ちょっとおっちょこちょいなところも可愛い私の恋人。そのはずなのに。
どうせならその朗らかさで、私を泣かせないようにしようとは思ってくれないの。
(雫)
書きながら宮部みゆきさんの『火車』を思い出しました。完璧だった計画を綻びさせた婚約指輪のくだり。
あなたのほかにはなにもいらない。
この身ひとつで飛び込んでいくね。
……あ待っていくらなんでも裸はまずい。
せめて一枚着させて、就職祝いに買ってもらったジルスチュアートの春ワンピがあるから。
そしたら靴は、プレタのパンプスあたりでいっか。セール品だけど疲れにくくて重宝してる。
そうそう私枕が変わると寝られない人なんだよね。堪忍してね。
え待って金魚のデメちゃん連れてけないのはかわいそすぎる。便秘ぎみだからクロレラ持ってこ。
ていうか身分証なんもないのはやばくない? 婚姻届出せないじゃん。
やっぱなにはなくともスマホだな。
それとなんといっても酸素ボンベ。なにもいらないなら空気も吸えないもんね。
……タンポポの綿毛より身軽なはずの恋人の後ろには、色とりどりの「付属品」が山のように連なっていた。
(何もいらない)
軽薄ですみません。
国民的キャラクターのドラえもん。いまでこそだいぶマイルドに改変されているけど、昔はなかなかのトラウマ製造機だった。
ビームを浴びた相手を石にしてしまう「ゴルゴンの首」、お金の代わりに1㎜ずつ身長が縮む「デビルカード」、面倒ごとを押し付けていた影に自分が乗っ取られそうになる「かげがり」、いつまでも家に帰れない「だんだん家が遠くなる」……
なかでも強烈なインパクトだったのが、気に食わない人を消せる「どくさいスイッチ」(なんちゅう名前だ)。
小うるさいお母さんも学校の先生もジャイアンたちもみーんな消して王様のように自由気ままに振る舞うのび太。つまみ食いしても宿題そっちのけにしても怒られないという誰しも一度は憧れる展開。でも時間が経つにつれて人っ子ひとりいない街が不気味になり、しまいには泣き出してしまうのだった。
これがとにかく怖かった。「だんだん家が遠くなる」もだけど、日が暮れたら家族の待つ家に帰る、という当たり前が否定されるのって、子どもにとってはこれ以上ない恐怖なのだ。
心の奥底に深く刷り込まれたみたいで、いまだに見返すことができないエピソード。
結局は使う人間次第、なんて言うけど、やっぱり未来の便利グッズなんてろくなもんじゃない。
(もしも未来が見れるなら)
ひとのからだには、目に見えないうすい膜が張っていると思う。言いたいことが伝わらなかったり、誤解が生じたり、共通認識だと(一方的に)思い込んでいたことが違うとわかったりしたとき、あ、膜があるなと実感する。
ないほうがいいとかなくそうとかいう話ではなく、ただ、あまり厚くならないよう注意深く見まもる。なにせ透明だから、放っておくと際限なく分厚くなるので。殻くらいにとどめておくのがいい。他人と関わることがおっくうになってしまう。
時折、膜が鎧ほどになったひとを見かけるけど、それは自分を守った結果なんだと思う。
無色透明の膜にすっぽり包まれたら、スノードームみたいに平和だろうか。
そのときは日の当たる窓辺に置いてほしい。時々逆さにして雪を降らせてくれたら、それでじゅうぶん。
(無色の世界)
一滴でも水が入ると黴が生えるらしいのでハーバリウムのなかでは泣けませんね。