つぶて

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10/10/2024, 2:32:49 PM

涙の理由

 年末の日曜日。自宅で一人、テレビに張り付いていた。画面の向こうでは二人組がマイクの前で喋っている。時折、観客から笑い声が溢れる。
 今頃、あいつらも集まってるのかな。
 一緒にエムワンを観ようぜと誘われたのが数日前の話。酒を飲みながらワイワイやるから来いと言われた。楽しいのは間違いないイベントだったけれど、僕は断った。予定があるからとありきたりな嘘をついた。
 いよいよ決勝が始まった。僕はペットボトルのお茶を片手に楽しんだ。どの組も面白かった。いつ観ても漫才は文学でもあると思う。たった四分で人を笑わせるために言葉を尽くす。詩や短歌に通じるものがある。
 優勝者は観ていればわかった。どれだけ他の組が面白くても、その評価は残酷なほどに揺るがなかった。だからせめて全力で楽しんだ。心から面白いと思い、心から笑った。笑えば笑うほど涙が出た。番組が終わった後、顔を洗った。涙は流れても、緊張と期待を押し隠して戦った人たちはしっかりと記憶に残った。
 結局、今年も泣いちゃったな。
 一人苦笑する。毎年こうだ。笑いながら泣いてしまう。友達の誘いに乗らなかったのは、涙の理由を聞かれたくないからだ。
 いいんだ。まだ泣ける。泣けるなら、まだ戦える。
 来年の決意を新たに、僕は深く息を吸った。

10/9/2024, 4:26:03 PM

ココロオドル

「最近じゃあ、心躍ることもねぇよ」
 休憩時間、最近あったことについて話していると、先輩は後頭部にごつい両手をやって天井を仰いだ。
「昔はもっとこう、ワクッとしたもんだが」
「先輩は斜に構えすぎなんですよ」
 強面で屈強で口数が少ない先輩は、いつも周囲から一定の距離を置かれている。本人は一匹狼の方が楽だと飄々としているが、なんだかんだ僕を相手に愚痴ってくるところを見るに、見た目に反して強がっているのだと思っている。
「最近はSNSでどんどん情報が流れてきて、何もかも知っている気になります。だから、まだ知らないことに対する探究心が薄くなるんですよ、きっと」
「なるほどな。どうりでつまらねぇわけだ」
「でも、先輩だって心躍ることもありますよね」
「だからねぇんだって」
「え、じゃあ今日、飲み行きませんか?」
 その瞬間の先輩はちょっと見ものだった。驚いて少し目を開き、頬を緩めかけたと思ったら仏頂面になる。僕の顔を見る余裕がなかったのか、視線を逸らした。
「……ったく、わかってんじゃねぇか」
 僕は勝ち誇った顔でにやにやした。それから、同じ楽しみを共有する感覚に嬉しくなる。誰かと踊るのもまたいいものだなと思った。

10/8/2024, 3:21:01 PM

束の間の休息

 タイムマネジメントこそ、地方改革の礎となる。
 その力強い言葉に感銘を受けたのは、僕だけではなかった。若者世代を中心に大多数の票を集めた新知事は、満を持して「あと五分だけ」条例の採択に踏み切った。これで束の間の休息が確約されたのだ。僕は歓喜の涙を流した。その感動を同期たちと共有することも忘れなかった。
 「あと五分だけ」条例は、朝の7:00から五分間、時計が進まない無の時間が与えられるというもの。その代わり、深夜23:55からの五分間が無くなる。無の時間は何をしてもいいが、休息が優先される。
 当然、僕はその五分間を二度寝にあてることにした。それはあまりにも豊かな五分間だった。本来、存在しないはずの時間なのだ。忙しい朝とはいえ、目を閉じるのに罪悪感を覚えることもない。たかが五分、されど五分だ。噛み締めるように味わうことで幸福感は倍増。日中のパフォーマンスが向上したのは言うまでもない。僕は仕事にも精を出し、メキメキと成果を上げた。
「時計とか面倒臭くない?」
 飲みの場で、他県の友人が言った。
「それは大丈夫。システムが調整してて、朝7時以降は他県と合うようになってる」
 どうだ、羨ましいだろ、と満面の笑みで言うと、友人は大きく息をついた。
「そういうの、なんて言うか知ってる?」
「え、なになに?」
「朝三暮四」
「……」
 どういうわけか、僕は急に疲れてきた。

10/7/2024, 6:49:45 PM

力を込めて

「本って熟成期間があんねん」
 旦那が某アンミカさんみたいな口調で言った。
「次読みたい本は本棚に植えつける。そうすると、やがて今読みたい本へと熟成する。完熟した本は、するりと本棚から手に抜け落ちてくる」
 旦那はしなやかな手つきで本棚から小説を取り出した。何十冊とある積読本の一冊だろう。本屋に行っては数冊買い込み、それが読み終わらないうちにまた本屋に出かける。そうやって溜め込んできた本たちが、ずらりと壁際の本棚に収まっている。
「未熟な本たちは本棚に植わったまま抜けない。どれだけ力を込めてもだ。これは本屋に植わってる本と同じ。客が手に取る本というのは、その人にしか抜けない。逆に、買わなかった本は、その人にとって本棚から取り出すことができない」
 ほらね、と旦那は別の本の背表紙に手を添えて力を込めたが、本はびくともしなかった。しっかり植えられていて、引っこ抜けないらしい。
「知らなかった」
 私は一旦譲ってから、悠々と一ページ目をめくる旦那に尋ねた。
「で、資格勉強は?」
「うん? 今は熟成中」
 ほらほら、と本棚の参考書を掴む旦那。私は言った。
「力を込めろ」

10/6/2024, 3:32:36 PM

過ぎた日を想う

 一時停止を無視した車と交錯した瞬間、ここまでかと悟った。宙を舞うバイクと僕の体。時が止まったような意識の世界で、過ぎた日の記憶が蘇る。
 最初に見えたのは、親から譲り受けた重たいパソコンを触る僕。真っ赤になったり真剣な表情になったりして、慣れない指遣いで小説を書いている。思ったままに世界を創り上げていた自分が少し羨ましい。決して読み返してはならない禁断の時期だ。
 次に見えたのは高校生の僕。文章の練習がてら、毎日日記を書いた。初めこそ評論文のような鹿爪らしい文を書いていたが、まもなく恋心に乗っ取られる。婉曲表現すら思いつかないほど真っ直ぐな思いを書き綴っている。書くよりも声に出して伝えた方がいいと思う。三年間の日記は実家の本棚の奥深くに封印されている。
 最後に見えたのは、いつかわからないがパソコンに向かっている僕だ。上手い文章とは何か、面白い文章とは何かを見失い、書くことを躊躇っている。それでも、本心から創作の奥深さを楽しめている。大丈夫。楽しんで書き続けることが上達への近道だ。
 頑張れよと思った僕は、ああ、もう書けないのかと思った。残念ながら体の感覚がない。救急車のサイレンが聞こえる。
 こっちだよ、とどこからか声がする。
「楽になる? それとも、苦しくても此岸へ戻る?」
 彼岸はすぐそこだった。振り返ると、遠く流れの向こうに此岸があった。
 泳いで戻るには大変だ。体にのしかかる重圧に、もういいかと思った矢先、此岸のそばに、闇の原稿と日記が置いてあるのが見えた。
「あ、戻ります」
 爆速で泳いで戻ると、白い天井が見えた。

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