紅茶の香り
別に、見栄を張ってたわけじゃないし。
もう何度も自分に言い聞かせた言葉を呟く。自分が不出来なのはよくわかっている。期待していたのは周りの方。そのせいで、今度こそ自分にも出来そうな気がしてしまった。
コップの中でじわじわと広がっていく紅茶の色を見つめていた。チームに配属されて2年目。必死にかき集めた私の能力は、時とともに溶け出していった。残ったのは大した味もしない私。見切りをつけて捨てられるのも時間の問題かもしれない。
液滴を零さないようティーバッグを捨てる。ため息を吐きそうになった時、紅茶の香りが私を包み込んでいることに気付いた。懐かしい香り。受験勉強に励んでいた頃、よく母親が紅茶を淹れてくれた。あんまり無理せずにねと言って、音を立てないように部屋の扉を閉めた。
大丈夫。無理はしてないから。
あの頃のいつもの返事が蘇り、なんとなく勇気をもらった気がした。一口飲んでみると、安物の紅茶は思いのほか美味しかった。
この香りがなくなるまで、ゆっくりしていこう。
愛言葉
「おはよう」と言えば「うん」と言い、「またね」と言えば「そうだね」と言うような人。それが僕の中の君だった。僕の愛言葉は、そんなに分かりにくかっただろうか。僕はただ、「おはよう」には「おはよう」と、「好き」には「好き」と言って欲しかっただけだった。
恋愛は愛の重さの前にバランスなのだと知った。いいや、ずいぶん前から気づいていたのだと思う。君に愛を伝えるはずが、いつしか愛のバランスを確かめるだけの言葉になっていた。君が言わないから僕が言う。君に言ってほしいから僕が言う。そうして言葉にするほど、僕たちのバランスは崩れていった。
もう終わりにしよう、と僕は言った。理由は愛言葉の意味をわかりやすく訳して伝えた。君は顔を真っ赤にして、そんなことないと答えた。
「私のどこがそうなのよ」
「すぐにわかる」
「どういうこと」
「さようなら」
「待って、どうしてよ!」
やっぱり君は、最後までそうなんだね。
友達
ラインが苦手な一番の理由は文字数の少なさにある。日頃から言葉に言葉を重ね、少しでも正確に自分の考えを表現することを趣味にしている私は、短く早く表現するのがめっぽう下手だ。「ありがとう」か「ありがと」か「ありがとー」でそこそこ悩む。一言一句におろおろして手汗が滲む。現代人に向いていないことは承知している。
などと、スマホでちまちま文字を打っていると、通知バーにラインのメッセージが届いた。
『明日ひま?』
『ひま』
『夜飯行かん?』
『いく』
ラインが好きな理由は時間を選ばずに日常が跳ねることにある。相手によってはラインを嫌う理由になりかねないが、幸いそんな人は少ない。
『何食べたい?』
『にく』
『了解。じゃあ明日18時で』
『うい』
いつもこんな調子だから、友達にはラインをサボり過ぎと怒られる。私にしてみれば、逐一ニュアンスを考えなくていい相手こそ友達だと思っているから、改善の見込みは今後とも一切ない。
行かないで
現状満足という言葉が嫌いなのは、あの子を見ていればわかった。新しい店、新しい場所、新しい遊びを探し回り、次は何をしようかと言って私を困らせた。私はなんでもよかった。あの子と馬鹿をやっているだけで満足だった。同じ店でも、同じ場所でも、あの子と楽しめるならそれでよかった。
「なにこれ?」
あの子が下駄箱の前で何かを読んでいた。覗き込むと、伝えたいことがあるから、という呼び出し。
「これは思い切ったね。勇気あるじゃん」
私は笑おうとしたが、喉が渇いていて上手くできなかった。差出人の名前は知っていた。あの子と波長が合うだろうことも。
「……行くの?」
「んー、どうしよう」
「あいつ、いい奴だよ」
これはある種の予定調和だった。現状満足を好む私と、現状満足を嫌うあの子の間にある何かが動き出しただけのことだ。それは地殻変動に伴う地震のように、遅かれ早かれやってくるものと理解していた。
「面白そうだし行ってみる」
「それがいいよ」
一人帰り道を歩きながら、伸びた前髪が鬱陶しくて仕方がなかった。
どこまでも続く青い空
頑張ります、という決意とともにライブ配信は終了。私はいいねボタンを押して視聴を切り上げる。コメントはしない。伝えたいことは山ほどあるけれど、正しく言葉にするには字数が足りない。省略すれば曲解される。それがネットの世界だと思っている。だからいいねで代替する。数千のうちの一つ。どこの誰が押したかなんて、わかりっこない。ファンと推しの関係はいつだって一方的だ。UDPは高速だが信頼性にかけるプロトコルだって、どこかの誰かが言っていた。
いつも別世界のような気がしていた。今日、この国のどこかで夢舞台に立つ人がいる。でもそれはあくまでスマホの中の世界で、私との繋がりに欠けていた。推しの活動は事実に過ぎず、私の中の何かを変えることはない。そういうものだと思っていた。
どこまでも続く青い空を見上げた時、そんな諦観はあっさりと解けた。推しはきっとこの空を見上げるだろうと思った。私と同じ空を見て、夢への一歩に震え、それでも足を踏み出そうとするのだ。それは確かな未来として私の目に映った。
同じ空の下で、戦っている人がいる。そう思うと、体の底からみなぎってくるものがあった。決して一方的な関係なんかじゃない。少なくとも、私たちはこの空で繋がっているのだから。