静寂に包まれた部屋
「とにかくこの国はうるさいッ!」
国王の口癖は毎度、高官たちを黙らせた。
「戦闘機も車も民衆も、騒がしくてならん!」
「お言葉ですが陛下。戦闘機は他国との競争に不可欠です。生活音はすでに最小限。これ以上は……」
「ならんものはならん! 騒音を出した者は処刑だ!」
臣下たちは狼狽えた。だが王に逆うことなどできなかった。その鶴の一言で、夜泣きの赤子や無邪気な子どもたちが処罰された。民衆は震え上がり、国はますます静かになった。
暴君の住まう邸は、防音対策が施された重厚な造りをしていた。それは大枚をはたいて世界各国から集めた最新技術が使われたものだった。
「まだまだうるさいわッ!」
「今の技術では、あの設備で限界です」
「もっと静かな家にしろ! 方法はあると言っただろ」
「しかし、その方法にはリスクがありまして……」
「何でもいいからやれ!」
翌日、国王の家を密閉し、中の空気を抜く作業が執り行われた。作業音に当たり散らしていた怒声は、空気の密度と共に小さくなっていった。空気に変わって静寂が満ちた部屋で、暴君は音を立てなくなった。
こうして国は静かになった。その空には凱歌がよく響いたという。
別れ際に
僕が親しい人ほどあっさり手を振ってしまうのは、約束しなくてもまた会えると盲目的に信じているからで、言葉を重ねるとかえって相手を信頼していない気がするのだ。いざ何かがあった時には後悔するかもしれないが、そのリスクを秤にかけても僕は信頼を取る。冷めた人間だという自覚はある。幸い、数年来の付き合いの彼女も同じタイプで、最初こそカップルらしくしていたが、今ではひらりと手を振る程度だった。
そろそろ帰るか、と僕が言って、彼女とレストランを出た。今日は気に入った秋服が買えてよかった、と満足そうに彼女は言い、その様子に僕も満足する。地下鉄に降りて、改札前で別れる。またね、うんまた、と軽く手を振る。僕は踵を返して、別の路線に乗り込んだ。
スマホを開くと、ラインの通知が来ていた。
『背中になんかついてたよ』
『まじか』
最寄駅で確認すると、小さな枯葉が張り付いていた。
僕は首を傾げた。彼女はいつ気付いたのだろう。
それから思い当たった。彼女が枯葉に気づいたのなら、その場で取ってくれるはずだ。そうしなかったのは、僕と離れていて取れなかったからだ。
次は、振り返ってあげよう。
小さな枯葉がとても大事なものに思えて、僕は嬉しくなった。
通り雨
生まれも育ちも大阪の私は、ゆくゆくは大阪のおばちゃんになるというカルマを背負っていた。朗らかで笑いの絶えないおばちゃんは大好きだが、清廉潔白、奥ゆかしいヒロインを夢見る私にとって、これは由々しき事態だった。
その日、地元の女友達と電車に乗っていた。車内ではおばちゃんたちが世間話をしていた。最寄駅に着くと、たまたま方向が一緒だったので、同じタイミングで改札を出た。空は一転して通り雨が降っていた。通行人たちが揃って空を見上げていると、大阪のおばちゃんたちが、うわっ、雨降ってるやん! に続けて、
「なんで?!」
と叫んだ。私は、おばちゃんがおばちゃんしてるなぁと思った。雨が降るのに、なんでもほいでもないがな。
私は澄ました顔で空を見上げた。
「どーする? 傘はあるけど」
「うちもあるけど、すぐ止みそうやわ」
友達がスマホを見て言った。私もスマホを取り出して、雨雲レーダーを確認する。と、ポップアップにメールの通知が来た。内容はクレジットカードの引き落としについて。その金額を見て、私は目を疑った。
「クレカ10万も引かれてる! なんで?!」
「たぶん、いろいろ買うたんやろな」
友達は慣れた様子で言い、それから、悄然とする私に手のひらを差し出した。
「飴ちゃん、いる?」
「なんで持ってんねん」
カラカラと舐めながら、この飴の中におばちゃん成分が入っているんだろうなと思った。それは美味しかった。
秋
私の夫は妙なところで生真面目で、季節の行事はちゃんとこなしたい人だった。今年も花火に連れていってくれたし、中秋の名月はちゃんと二人で眺めた。玉兎という素敵な言葉を教えてくれたのも彼だった。私としてはとてもありがたいのだが、彼はいかんせんマイペースだった。
今年は何の秋にしようか、と夫は腕を組んでいた。せっかく涼しくなってきたし運動はしたいな。食欲も出てきたしな。体力に余裕が出てきたから読書もしようか、などとのたまっている。
「何々の秋っていうけど、何入れてもいいの?」
「そうだよ。友達は、石橋を叩いて渡る秋にするって」
厄年か何かですか。
「だから今年は、スポーツ、食欲、読書の秋します!」
「はいはい。がんばってね」
三日後、夕食を作っていると、案の定、夫はリビングで寝転がってテレビを見ていた。
「ランニングは?」
「今日は暑いから秋じゃないんだよ」
二日後、夕食担当の夫がお茶漬けでいいかと言う。
「食欲は?」
「今日は夕立が来たから秋じゃないかも」
次の日、夫が寝落ちしそうだったので、
「読書は?」
「今日は……涼し過ぎたから……秋っぽく…………」
私は腕を組み、適当な言葉を探した。
ああ、あった。
シュレーディンガーの秋だ、これ。
窓から見える景色
どんな人が好きかと聞かれたら、電車で窓の外を眺めているような人、と答えるのはどうだろう。そんな使い所のないことを考える。電車に乗るたびに思う。いつ何時もスマホを見ている人が苦手だ。忙しくて、やりたいことが多くて、それをこなしている人は尊敬している。だけど、自分とは波長が合わないだろうとも思う。のんびりと、もう少し言えば、何を考えてもいい時間が好きなのだ。それを理解してくれる人と一緒にいたい。
最近では電車で何もしない人は少ない。ぼんやり立っていたら、スマホを覗かれたと勘違いして睨んでくる人もいる。必然的に、窓の外を眺めることになる。
ガタゴトと音を立てる車両が橋にかかる。夕日がきらきらと水面に映えていた。綺麗だと思い、でも水質は汚いはずだと思い直す。都市部の河川だ。川底には多くのゴミが落ちているに違いない。
水を見るというのは、物事を見ることの象徴かもしれない。浅い角度では表面しか見えず、覗き込むことで底深くまで見える。そういえば、水は屈折により実際より浅く見えるともいう。見えているようで、浅くまでしか見えていない。これは耳が痛い話だ……。
そんなどうでもいいことを考えながら、今日も僕は帰り道を行く。