つぶて

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4/29/2024, 6:03:15 PM

風に乗って

春風は時に悩みの種を運んでくるらしい。
柔らかな陽気と土の香りを吸い込むと、鼻先に微かな棘を覚えた。今朝も花粉やら黄砂やらが飛び交っているらしい。外の世界に嫌われている私は仕方なくマスクを戻す。どこからか、同い年のアイドルの歌が聞こえる。
雨露の如し、と書いてジョウロと読むことを知ったのはいつだろう。雲の上の神様になった気分で、花壇に恵みの雨を降らせていた頃の私は、確かにこの庭の一部だった。胸いっぱいに息を吸っていた私。あの頃好きだった花は、もう思い出せない。
如雨露を手に、花壇を見つめていた。遠慮がちに咲いた花が、申し訳なさそうに私を見ていた。今年も生育が悪いのはどうしてだろう。肥えた土、日当たり、適度な水。こんなにも手をかけているのに良くならない。
庭の隅、コンクリートの割れ目に咲いた花が目に留まった。窮屈そうな場所に根を張ったその花は、誰に育てられるわけでもなく、ただ太陽に向かって咲いていた。
何が違うのだろうか。風に乗って生まれ落ちる場所は選べないというのに。それぞれの根の深さを思い、根性という言葉を思い、それから悔しさが込み上げた。
私は、どうすればいいのだろう。
平和な国に生まれ、衣食住に困らず、不自由のない環境で育った私は、今日も花開けずにいる。
そよ風が頬を撫でた。
私は大きなくしゃみをして、家の中へ駆け込んだ。

4/28/2024, 7:41:50 PM

刹那

またいつか。
ほんの少し前の言葉を、唇がたどる。
寂れた夜の家路。いつもより人の気配が多い気がして足早になる。身に余るほどの幸せを抱えた自分が恥ずかしくて、恐れ多くて、見上げた月にさえ恐縮してしまう。駆け出したい。喜びたい。楽しかったと、声に出したい。
早くも思い出となった記憶が込み上げてきて、その一つ一つが温かい泡沫となって胸に沁みていく。
「誘って、よかった」
他人と時間を共有することが苦手だった。相手の時間を奪うこと、その代わりを自分が埋め合わせできているのかという不安。意識しているわけではないけれど、頭のどこかに付き纏う。だから私はいつも誘われる側で、自分から何かを企画したことはなかった。
何度も断ろうとした。中止にしようとした。プレッシャーがあった。自己満足で終わりはしないかと不安で仕方がなかった。だけど、最後に何もないまま、みんなと終わりにはしたくなかった。
ポケットの中、スマホを手に感じる。その先にある繋がりを意識してまた嬉しくなる。そして気付く。好きなのだと。みんなとの繋がりが。さらにいえば、人との繋がりが。一人が好きなはずの自分には意外なことだった。
人が変わるのは、たぶん刹那のことなのだ。そんなふうに思うのは、もっと時間が経ってからのことだ。

7/7/2023, 7:47:15 AM

 卒業式では泣かなかった。たとえ高校が違っても、僕らの関係は変わらないと信じていた。毎日会わなくたっていい。その程度のことで僕たちの仲は崩れたりしないとたかを括っていた。なのに、あいつは一人、馬鹿みたいに泣いていた。普段はクールなあいつが泣くなんて信じられなかった。僕たちは揶揄いながら、これからも遊ぼうぜと励ましていた。
 高一の5月。久しぶりにみんなと会った。1ヶ月で見た目が変わるはずもなく、誰も何も変わっていなかった。今まで通りふざけ合う時間。なのに、かすかな違和感があった。なんとなく会話のテンポが違う。言いようのない不安が押し寄せた。久しぶりの再会だったのに、僕はどこか楽しくなかった。
 家に帰り、違和感について考えた。そして気づいた。盛り上がる話題は全部過去の思い出。現在のことじゃない。今を共にしていない以上、共通の話題は過去にしかないのだ。
 僕は呆然とした。当たり前のことなのにショックだった。互いに別の道へ歩み出すとは、今を共にできなくなるということだ。
 卒業式で泣いていたあいつを思い出して、僕の中からあいつと同じ涙が溢れてきた。馬鹿だなと思った。いつも後になって実感する自分は馬鹿だ。
 それからだ。僕は節目というものを大事にするようになった。

7/5/2023, 1:11:28 PM

 仰向けになって星空を観ていた。夜に瞬く光のかけら。手を伸ばしてみると、遠い昔のことを思い出す。この広い宇宙のどこかに王子様がいるんだと思っていた。満天の星空からやってくるその人は、宇宙と同じ色の目をしている。美しい髪、美しい背筋。銀河の誰よりも美しいその手が、私を待っている。
 あれから数十年。宇宙の王子様はやって来なかった。代わりに来てくれたのは、この星に生まれた、ありふれた男の人。真面目で、優しくて、いつもに嬉しそうに横にいてくれる人だ。
 ちらりと隣を見る。その人は微笑んで、来てよかったねと言う。そうだねと返して、私は夜空に向き直る。美しい星たち。だけど、その美しさもこの人には敵わない。だって、こんなにも近くに居てくれるのだから。
 
 

7/4/2023, 2:08:52 PM

 ひぐらしの声に紛れて二人の子どもが駆けてきた。男の子はキョロキョロと辺りを見回し、見知らぬ場所にへの不安を露わにする。それを見た年上の女の子は、村の外れにある神社だと説明する。結構遠くまで来ちゃったわね、と腰に手を当てて困った様子だ。どうするのと問う少年に、少女はお参りしようと提案する。ちゃんとお家に帰れるように、神様にお願いするの。
 幼馴染たちは手を添えてカラカラと鈴を鳴らす。小さな二つの手と頭。お姉ちゃんと無事に帰れますよーに。二人でずっといられますように。
 ぱたぱたと去って行く二人を、微笑みとともに見送る。その後ろ姿が、大きく成長した背中と重なった。私は知っている。20年後、二人が再びここを訪ねてくれることを。

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