卒業式では泣かなかった。たとえ高校が違っても、僕らの関係は変わらないと信じていた。毎日会わなくたっていい。その程度のことで僕たちの仲は崩れたりしないとたかを括っていた。なのに、あいつは一人、馬鹿みたいに泣いていた。普段はクールなあいつが泣くなんて信じられなかった。僕たちは揶揄いながら、これからも遊ぼうぜと励ましていた。
高一の5月。久しぶりにみんなと会った。1ヶ月で見た目が変わるはずもなく、誰も何も変わっていなかった。今まで通りふざけ合う時間。なのに、かすかな違和感があった。なんとなく会話のテンポが違う。言いようのない不安が押し寄せた。久しぶりの再会だったのに、僕はどこか楽しくなかった。
家に帰り、違和感について考えた。そして気づいた。盛り上がる話題は全部過去の思い出。現在のことじゃない。今を共にしていない以上、共通の話題は過去にしかないのだ。
僕は呆然とした。当たり前のことなのにショックだった。互いに別の道へ歩み出すとは、今を共にできなくなるということだ。
卒業式で泣いていたあいつを思い出して、僕の中からあいつと同じ涙が溢れてきた。馬鹿だなと思った。いつも後になって実感する自分は馬鹿だ。
それからだ。僕は節目というものを大事にするようになった。
仰向けになって星空を観ていた。夜に瞬く光のかけら。手を伸ばしてみると、遠い昔のことを思い出す。この広い宇宙のどこかに王子様がいるんだと思っていた。満天の星空からやってくるその人は、宇宙と同じ色の目をしている。美しい髪、美しい背筋。銀河の誰よりも美しいその手が、私を待っている。
あれから数十年。宇宙の王子様はやって来なかった。代わりに来てくれたのは、この星に生まれた、ありふれた男の人。真面目で、優しくて、いつもに嬉しそうに横にいてくれる人だ。
ちらりと隣を見る。その人は微笑んで、来てよかったねと言う。そうだねと返して、私は夜空に向き直る。美しい星たち。だけど、その美しさもこの人には敵わない。だって、こんなにも近くに居てくれるのだから。
ひぐらしの声に紛れて二人の子どもが駆けてきた。男の子はキョロキョロと辺りを見回し、見知らぬ場所にへの不安を露わにする。それを見た年上の女の子は、村の外れにある神社だと説明する。結構遠くまで来ちゃったわね、と腰に手を当てて困った様子だ。どうするのと問う少年に、少女はお参りしようと提案する。ちゃんとお家に帰れるように、神様にお願いするの。
幼馴染たちは手を添えてカラカラと鈴を鳴らす。小さな二つの手と頭。お姉ちゃんと無事に帰れますよーに。二人でずっといられますように。
ぱたぱたと去って行く二人を、微笑みとともに見送る。その後ろ姿が、大きく成長した背中と重なった。私は知っている。20年後、二人が再びここを訪ねてくれることを。
いつからあそこにいたのかは覚えてない。窮屈な箱の中。決まった時間にごはんが出てくる。それだけ。見えない壁があって、向こう側には神様がやってくる。たくさんの神様。匂いがわからないのが不気味で、じっと僕を見る目が怖くて、いつも箱の隅で震えてた。夜になれば少しは楽になれた。ビョウインの匂いの人がやってきて、僕と遊んでくれたから。でもいつも悲しそうな目をしていた。僕の頭を撫でながら、いい人に巡り合うんだよ、と言っていた。なんとなくわかってたんだ。僕は行かなくちゃいけないって。窓の向こう側に。たくさんの神様がいる場所に。
あの時、窓の向こうの君と目が合った時、僕は本物の神様と出会った。君はその小さな両手を壁につけて、ずっと僕を見ていた。二つの丸い瞳がきらきらしていて綺麗だった。ちっとも怖くなかった。それから君は言ったんだ。この子がいい、って。奇跡を告げる声はちゃんと僕にも聞こえていたよ。
はしゃぎ疲れた君が眠っている。大好きな匂い。毛布を引っ張ってきて、その体に掛ける。上手く広げられなくて不恰好だけど仕方がない。僕はその隣で目を閉じる。すやすやと君の呼吸が伝わってくる。あの時のことは時々思い出すけれど、こうして君に触れていればするりほどけて消える。後に残るのは守るべきものがある幸せだ。君がくれたもの、全部お返しできるといいな。
「あの雲、すっごい雲雲してるね」
「そうだね」
「なんかさー、こうもでっかいと飛びつきたくなるね」
「そうか?」
「思いっきりジャンプして〜雲に〜ダイブ!」
隣の友人は抱きつくポーズをして、きゃっきゃとはしゃいでいる。昔からあほだとは知っていたが、ここまであほだったとは。補習と暑さで拍車がかかっている。
「そんなに上手くいくか?」
「もふんっ」
私は想像する。遥か上空まで跳躍した友達は、どんどん小さくなり、やがて雲の一部にビタンと張り付いた。
「蜘蛛の巣に飛び込んだ虫みたい」
「えー気持ち悪い」
「急にテンション下がるな。というか、あそこまで跳べないだろ」
むすっとした友人は、それからはっとして、
「ふわふわの人が、ここにも〜!」
「あほか! 寄るな、暑いってのに!」
「いや〜、バチバチしないで〜」
遠くからゴロゴロと音が鳴っている。
私は翳りゆく空を眺めながら、いつまでここに居られるだろうか、などと考えた。