つぶて

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6/5/2023, 8:53:55 AM

さて、ここに鶏肉がある。いいや、正しくは鶏肉だったものがある。厨房の業火に耐えきれず原子レベルで分解することにより、あらゆる光を吸収せんとばかりに暗黒化した物質である。ひたひたと浸かっているのは、身を挺して守ろうとした水道水と、その甲斐なく零れ落ちた滂沱の涙である。愛用の箸すら捕獲を拒絶するほどグロテスクな外見に唾を飲みこむ。私は泣いて鶏肉を切った。辛うじて残った過食部は、それはそれは炭の味がした。その罪の味に幾筋もの涙が頬を伝ったのは言うまでもない。四畳半の狭い部屋で私は失われた諸々に深く謝罪し、己の無知蒙昧を詫びた。
中火とは、つまみの角度では決まらないのだ。

6/4/2023, 9:59:23 AM

暮れなずむ夕陽を背に自転車を漕いでいた。
横に並ぶ友達はみんなチラチラと後ろを振り返ってはニヤついている。

「あいつら、遠慮してんな」
「ホントホント」
「なぁ、二人だけにしてやろうぜ。ちょっとコンビニでも行くか」
「それがいいな」

友達はコンビニに寄る旨を伝える。
戸惑いながら顔を見合わせる二人。結局、ついてくることはなかった。

僕は黙ってみんなに従って道を逸れる。ひどく喉が渇いていたから、味のない水を買った。

値上げしたとかしないとかで友達が盛り上がっている。
その輪に加わらないと不自然な気がして、無理に表情を作る。けれど、僕の網膜には話題に花を咲かせる二人の姿が焦げついている。

先日付き合ったことは本人から聞いた。あいつはいいやつで、僕は二人が上手くいけばいいと思っている。思って、いる。今も。たぶん。だって、友達だから。

6/3/2023, 6:58:06 AM

「正直に言ってみろ」

口にした途端、その場が凍りつく景色が見えた。
ずらりと並んだ配下の背筋が強張っている。矢面に立っている臣下は、蛇に睨まれた蛙さながら震えていた。

「何か言え。悪いのは誰だ」
「申し訳ありませんでした!」
「悪いのは誰かと聞いている」
「わ、私にございます」
「そうか。ならば相応の処罰が必要であるな」

未来を失った臣下は色をなくしている。その後ろの配下たちは飛び火に怯えながらじっと火が消えるのを待っている。沈黙に苛立ちを覚え、思わず声を荒らげる。

「もういい。立ち去れ」

拳を打ちつける。どうせあいつらは陰で私を嘆くのだ。悪政。理不尽な独裁。そんな言葉で私を呪い、寿命が尽きるのを待っている。もう懲り懲りだ。反吐が出る。

誰か。この私を断罪してくれないか。

6/1/2023, 1:30:48 PM

「ずっと降ってるね」
「明日も雨だって」
「梅雨入りしたからね」

静かな室内。かすかに届く雨の音。
時折、ページをめくる音、キーボードを叩く音、衣擦れの音、床を擦れる足音、二人の息づかいが響く。

「何か買いに行こうか」
「いいよ。雨だし」
「そう。……コーヒーでも飲む」
「うん」

ケトルに水を注ぎ火にかける。豆を砕いてフィルターに落ちる。お湯を注ぐと芳醇な香りが湧き立つ。

「ありがとう」
「どういたしまして」

雨音が鳴り続けている。
心地よい静けさが部屋を満たしている。

雨の休日が穏やかに過ぎていく。

5/31/2023, 1:39:10 PM

施設の最上階で君はじっと空を見ていた。
やっと、辿り着いた。
僕はよろめきながら君の元へと歩を進める。脚が言うことを聞かない。返り血の着いた服がやけに重い。

「何をしている! ここはもうダメだ!」

叫ぶ声が掠れた。君は逆光の中、背を向けたまま言う。

「いい天気だわ」
「見ただろう? 空からおぞましい液体が降り注ぐのを。あれを浴びた奴らはみんな壊れた。人間でなくなるんだ! そのうちここも」
「とっても綺麗」
「……なんだって?」
「紫色の空、黒い太陽、紅い雨。この世界の裏側みたい。いい天気だわ」

君は、何を言ってるんだ?
天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、僕と君が生き延びるために必要な、何よりも優先すべきことで。

「本当に、いい天気だわ」

君は空を見続けている。
ああ、そうか。君はもうすでに……。
僕は君の前に回り込む。
その壊れた瞳に涙が落ちた。

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