なのか

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2/27/2024, 3:17:27 PM

シャワーを浴びていると時々、いつか自分という存在に死がもたらされて消えてしまうことが、酷く恐ろしくなってしまうことがある。
『あのねぇ、だからって電話する? もう一時過ぎてるんだけど?』
「すみません」
眠れなくて車を走らせて、思いつくままにサヤさんに電話をかけた。それがどれ程非常識なことだったかは、コール音を聞いている途中に気がついた。
『それで? 私はどうすればいいわけ?』
「話し相手になってくれれば、それで大丈夫なので」
後続車なんていないのに、ウィンカーを出して左折する。
『ん? 今車乗ってんの?』
スピーカーにして通話をしていたので、ウィンカーの音を拾ったようだ。
「目的地はないですけどね」
『じゃあ、いつものコンビニ来てよ。私も乗せろ』
「分かりました。向かいます」
サヤさんは免許を持っていないので、たまに大学から家まで送ったりしている。いつものコンビニというのは、彼女を降ろしているコンビニのことだった。
二十分程走らせて件のコンビニに到着すると、サヤさんは既に喫煙スペースのところで待っていた。ダメージジーンズに黒地のTシャツで、うっすらとメイクもしているようだ。左手には、煙草が挟まっているのが見えた。
サヤさんはこちらに気づくと、まだ長い煙草を円筒型の灰皿へと押し付けて消した。
「早かったな」
助手席でシートベルトを締めながら、サヤさんはそう言った。
「いえ、待たせてすみません」
車は一台しかなかったので、駐車場を大きく使ってコンビニから発つ。
「悩みでもあんの?」
しばらく無言で車を走らせた後だった。特にこちらを見るでもなく、サヤさんはフロントガラスをぼんやりと見つめている。
「悩みというか、ほんと偶に、死ぬの怖いなーって、なんとなく思ったりするだけです」
「死ぬのが怖いのは、生きるのが楽しい証拠だろ」
「ポジティブですね」
こころなしか、アクセルを踏む力が強まる。
「煙草吸えば? 結構いいよ。お前が吸えば私も車で吸えるようになるし」
サヤさんはジーンズのポケットからくしゃくしゃの箱を取り出した。中から、慣れた手つきで煙草を出現させる。
「吸いませんよ。サヤさんも、煙草やめたらいいのに」
健康に悪いし、時代も逆風だ。
「煙草以上にいいストレス発散って、意外とないんだよな」
「運動とか?」
サヤさんは海外のスタンドアップコメディよろしく、肩を竦ませた。
「煙草って、結構味がいろいろあるんだよ。私が吸ってるのはマイルドで甘い」
「へー」
「興味ある? 吸う?」
「吸いません」
見慣れた道路を直進しようとしたところで、助手席から路駐しろと指示が飛んだ。理由を問うても返事がなかったので、とりあえず縁石に沿って車体を近づけていき、ハザードランプを焚いた。
一体何が目的なのかと隣を見ようとして、ガチャりとシートベルトが外れる音が聞こえた。それを認識した時にはサヤさんとキスをしていた。デパートの化粧品売り場に足を踏み入れた時みたいな、クラクラした感じが頭に広がる。
「甘いだろ?」
「この場合、受動喫煙になるんですかね?」
「この場合はキスになるんだよ。バカ」
現実逃避だよ。と、サヤさんは投げやりに言った。なんとなくもう一度キスをして、何かから逃げていくために、車をまた走らせた。

2/24/2024, 5:24:57 AM

昼休みのことだった。購買で買ったリーズナブルな弁当を食べ終えて市立図書館から借りた文庫本を読み進めていると、本の真ん中辺りに、栞程度の大きさに切り取られたルーズリーフが挟まっているのを発見した。手に取ってみると、見えなかった裏側に文字が書かれている。
"Love you."
ルーズリーフの螺線をベースラインに見立てて、その一文だけが短く、しかし丁寧に書かれていた。
前の借り主が挟んだまま忘れてしまったのだろうか、ルーズリーフは比較的新しいもので、まだ白さを保っていた。何となく光にかざしてみたけれど、秘密の暗号が浮き出したりは、当然ながらしなかった。
「何見てるの?」
ルーズリーフを落としそうになるのをなんとか堪えて、声の方へ振り向く。
そこには、クラスメイトの鈴原が立っていた。
「何見てるの?」
重ねて訊ねる鈴原に「別に、なんでもない」と答えてから、ルーズリーフを元の頁へと挟み直す。
「何か用か?」
「なんか、ルーズリーフを熱心に眺めてるなーと思って」
「借りた本に挟まってたんだよ」
鈴原は気のない相槌を打って「何か書いてあったの?」と続けた。
机に置かれた文庫本に一瞬、視線を落とす。
「書かれてはいた。でも内容は言えない」
「なんで?」
「もしかしたら、前の借り主の忘れ物かもしれないし、一応な」
見てしまった後では説得力はないけれど、あんまりぺらぺらと話すものでもないだろう。
「そっか」
「悪いな」
なんで君が謝るの。と鈴原はくすぐったい感じで微笑んだ。
「でもそれ、前の人のやつかは分からないんじゃない?」
文庫本を指さしながら、鈴原はそう言った。
「というと?」
「例えばさ、君の机にある文庫本に、誰かが挟んだ可能性もあるんじゃない?」
なるほど。今朝、高校に持ってきてから文庫本を常に持ち歩いていたわけではないし、可能性としては一理ある。
「でも、それはない気がする」
「どうして?」
「わざわざ文庫本を選ぶ理由がない。万が一そのまま読まずに返してしまったら、台無しだからな」
個人的な心情としても、あれが自分宛だと考えるのは、変に自惚れているようであまり感じいいものではない。
「その手紙を入れた人は、君が読書を好む人だと知ってたのかも」
「いや、仮にそうだったとしても、」
言いかけて、違和感に気づく。
「何で、手紙だと分かった?」
鈴原は悪戯のバレた子供のような表情を浮かべた。心当たりがあるようだ。
「何かが書かれているとは言ったけど、それが文章だとは言ってないぞ」
そうやって一つ思い当たってみれば、鈴原は最初から、栞程度の大きさの紙切れをルーズリーフだと言っていた。まぁ、それはよく観察すれば分かることだから、考えすぎかもしれないけれど。
「お前が入れたのか?」
「だとしたらどうする?」
だとしたら、どうするだろう。
「理由を聞くかな」
鈴原は「そっか」と呟いて、頬をかいた。
「放課後さ、その本返しに行こうよ」
「まだ読んでないんだけど」
「理由、聞きたくないの?」
文庫本を手に取って、おそらくは鈴原が挟んだであろうルーズリーフを確認する。頁は残り半分程度残っている。
「放課後までに、読んでおくよ」
「うん、じゃあ放課後ね」
頁を捲る手を少しだけ早めながら、文庫本を読む。主語も宛名もない手紙が、風になびいて小気味良い音を立てた。

2/21/2024, 4:07:45 PM

0からの始まりで、親しい人とでも嫌いな人とでも繋がることの出来るものってなーんだ?
高校2年生の4月、まだそれぞれが探り探りで、コミュニティを形成しかけている時期だった。原文ママとはいかないけれど、クラスメイトの彼女が出したのはそんな問題だった。やることがないのでスマホを弄っていたところを見つかり、暇潰しの相手として選ばれたらしい。
「正解出来たら、ご褒美上げる」
「解答権は?」
「三回。一回間違える毎にヒントあげる」
親切な設計の問題だった。昼休みの遊びとしてはかなりマイノリティな気もするけれど、あいにく、これ以外にやることもない。
「じゃあまず一回目。趣味」
「ファイナルアンサー?」
頷きを返すと、長ったらしいタメの後に彼女は手でバツをつくった。文章の意を酌むなら『趣味』が分かりやすいと思ったけれど、そう安易にはいかないらしい。
「ヒント1、それは持っている側の人間と持っていない側の人間がいて、君は持っている側の人間です」
持っていると言うからには、持つものなのだろう。そういう意味では『趣味』も持っていると言える。しかしながら、他人が見て断定出来るものでは少なくともない。
「難しいな」
「簡単ではないかも」
話を聞いていたのだろう、彼女の友人達があれこれ耳打ちをしていた。反応を見るに、答えられた人間はいなかったようだ。
「二回目、」指をピースにして「人間関係」。
「ぶっぶー」
甘ったるい効果音だった。しかしそれはいい。どうせ分からないので、ヒントを貰うための捨て解答だ。
「ヒント2、それに言葉は含まれていません」
0から始まり、どんな人とでも繋がって、自分が持っていて、言葉の含まれないもの。
なるほど。
「3回目、電話番号」
「正解。よく分かったね」
「あれだけヒントを出されればな」
聞こえるようにため息を吐きながら、「つまんないの」と彼女は言った。
「というか、電話番号って全部0から始まってるわけではなくないか?」
家の電話番号とか、極端な話をするなら110番だって電話番号なわけで。
「そんな屁理屈をこねる奴には、ご褒美上げない」
「全くもっておかしな話だな。110番は電話じゃない、SOSだ」
これも屁理屈に入るのだろうか。
「まぁ、大したものじゃないんだけどね。はい」
言いながら、彼女から渡されたのは一枚の紙切れだった。白紙ではなく、11桁の番号がハイフンで3つに区切られて羅列されている。
「……、今どき電話?」
彼女はメッセージアプリをやっていないのだろうか。
「うるさい。嫌なら返してよ」
「いや、ありがたく頂くけど」
失くすことのないよう、スマホのケースに差し込んで入れる。
「今日の9時くらいは、暇だから」
「そっか」
「うん」
暇つぶしは終わって、0からの関係が、1つ始まったみたいだった。

2/17/2024, 12:36:38 PM

「席、譲ってくれない?」
気紛れに入った大学の食堂で、そう声をかけられた。声の方を見やると、格好良いという形容詞がよく似合いそうな女性が立っていた。閉店時間が近づいていたので客は少なく、席なんていくらでも選べるはずだった。
「私、その席が好きなの」
何か言いたげな雰囲気を察したのだろうか、彼女はそう続けた。
「もちろん、ただでとは言わない。ジュースくらいは奢るから」
ちらりと手元を見る。よもぎ色のトレイには空になった食器が載っている。
「いえ、もうそろそろ出ようと思ってたので大丈夫です」
椅子から立ち上がってトレイを持ち上げる。波風が立たぬようにと軽い会釈をしてその場を離れようとしたけれど、それは出来なかった。
「ねぇ、君、もしかして文学部?」
「そうですけど」
知らない人から学部を言い当てられると、落ち着かない気分になる。
「一番好きな小説は何?」
せっかく席を譲ったのに、彼女は立ったまま話を続けた。持ち上げられたトレイと食器が、所在なさげにカタと音を立てた。
結局、持ち上げたトレイと食器を置き直して元の席へと座った。彼女は左隣の席へ腰を下ろした。
「それで、一番好きな小説は?」
「吉本ばななの『キッチン』です」
「へぇ、どんなところが好きなの?」
好きな小説はすぐに答えられるけれど、好きな理由を問われると途端に難しい。ぼんやりとした霧状の理由達を、どうにか言葉で繋げていく。
「確固たる理由は特にないですけど、強いて言うならスッキリしている感じが好きです」
「もう少し詳しく」
「難しいですね。えっと、無駄な言葉が少ないというか、無駄なシーンが少ないというか、まぁそんな感じです」必要なものが必要なだけある感じと言えば、もう少し正確だったかもしれない。
「別に、大仰な文体が嫌いというわけでもないんですけど」
誰に怒られる訳でもないのに、言い訳みたいにそう付け加えた。
「自分からも、質問いいですか?」
「いいよ」
頬杖をつきながら、彼女は頷いた。
「なんで、学部知ってたんですか?」
「普通、こういう時って同じ質問を返すものじゃない?」
「好きな小説は何ですか?」
彼女はたっぷりと余韻を残しながら笑った。一通り笑い終わった後、
「面白いから、二つとも答えてあげる」
そう言ってピースサインをした。もちろん、シャッターは切っていない。
「まず、何故君の学部を知ってるかだけど、単純な話、私も文学部だからね。見かけたことがあっただけだよ」
「そうなんですね」
なんとなく、それは納得のいく回答だった。他人が読む本に興味を持つのは、つまりそういうことだろう。
薄っぺらい反応に少しだけ唇を尖らせて、彼女は続ける。
「好きな小説はね……、」
それからは、交互に質問をする形で話をした。全然知らない話題もあれば、上手く口の滑る共通の話題もあった。Q&Aはついに閉店まで続いて、BGMに追い出される形で食堂を後にする。
「明日もさ、ここでご飯食べる?」
「食べます」
「よかったらさ、明日も一緒に食べようよ。結構楽しかったし」
彼女は注文をしておらず、自分も既に食べ終えた後だったので一緒に食べたとは言えないけれど、提案自体は悪くない。
「ラスト一個、質問に答えてくれたら、いいですよ」
聞きたいことがあった。
「いいけど、何?」
「あの席が好きって、嘘ですよね?」
座り直した時に、彼女は何も言わなかった。
「てっきり、名前訊かれるかと思ったのに」
「名前、何ですか?」
「ユズカ。じゃあ、約束通りまた明日ね、サイトウくん」
一つの答えともう一つの謎を残して、ユズカさんは帰っていった。少なくとも、明日一番目にする質問には、困りそうになかった。

1/19/2024, 7:05:48 PM

黒い風になったような気がした。地面を強く蹴る度に、ぐんと身体が前へと進む。街路樹の新緑が景色と共に後ろへと流れていって、春先のまだ冷たい空気を吸い込んで肺が悲鳴を上げる。今の自分ほどメロスの心情を理解する人間は、きっとこの世にいないと確信する。
『私の為に何が出来るわけ?』
高校進学を控えた春休みのことだった。合格を機に買ってもらったスマホの画面に、そんなメッセージがポップアップした。
送り主は松田だった。誰彼構わず優しくするなと咎められ、言い返したことで喧嘩に発展して解決しないまま今に至る。彼女も不安になることがあるんだなと、失礼なことを考えた。
『割とあると思うけど』
『例えば?』
すぐに返事が来る。具体例を挙げろと言われても、正直浮かばない。彼女の為に何か出来ることはあるだろうか。
『分かんないんでしょ』
見透かしたようなメッセージだ。時間を空けたのがまずかったかもしれない。
『まぁ 正直思い浮かばないな』
すかさず、謎のキャラクターがバットを振り回すスタンプが大量に投下される。処理が遅くなるのでやめていただきたい。
『やってほしいこと言ってくれたら 可能な限り対応するよ』
『じゃあ』
メッセージは続く。
『今すぐ私のところに来てよ』
『どこにいるの?』
『家の近くのコンビニ』
『待ってて 今行く』
メッセージを送ってから、慌てて着替えて靴紐を結ぶ。彼女が言うコンビニまでは3kmほどだ。ぐっと筋肉を伸ばしてから、勢いよく走り出す。
走っている途中、スマホに着信があった。今は誰であろうととることは出来ない。全てを投げうって、全力で駆ける。
「バカじゃないの?」
息を切らして松田の元へ到着したというのに、第一声がそれだった。手に持っていた水を押しつけられる。
「とか言って、ちゃっかり、水、用意してるじゃん」
「別に。自分用に買ったやつだから。可哀想だからあげただけ」
水を軽く口に含んで、少しずつ飲んでいく。
「なんか、あったの?」
「……あんた、自分がモテるの自覚ないでしょ」
「ないね」
モテる方かは分からない。男女ともに良い友人に囲まれているとは思う。
「全員に優しくしてると、不安になる。多分、私じゃなくてもここへ来たでしょ?」
「多分、そうかもね」
松田はため息を吐いた。
「素直すぎるのもなんかムカつく」
どうすればいいんだ。
それ以上何も言われなかったので、コンビニでタオルと制汗剤を買って汗に対処する。松田は何故か制汗スプレーを買っていた。
思い出したようにスマホの着信を確認すると、これまた松田からだった。
「なんで電話かけたの?」
「来てくれなかった、凹むから。来なくていいよって言うつもりだった」
「水まで用意してたのに?」
「うるさい」
「多分、誰の為にも走るけどさ。」まだ整いきらない息を、なんとか押さえつける。
「誰かを選ばくちゃいけないなら、松田を選ぶよ」
松田は「そっか」とそっけなく言って、制汗スプレーをこちらに吹きかけた。駐車場の止め石に鎮座する猫が、迷惑そうにこちらを眺めていた。

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