なのか

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黒い風になったような気がした。地面を強く蹴る度に、ぐんと身体が前へと進む。街路樹の新緑が景色と共に後ろへと流れていって、春先のまだ冷たい空気を吸い込んで肺が悲鳴を上げる。今の自分ほどメロスの心情を理解する人間は、きっとこの世にいないと確信する。
『私の為に何が出来るわけ?』
高校進学を控えた春休みのことだった。合格を機に買ってもらったスマホの画面に、そんなメッセージがポップアップした。
送り主は松田だった。誰彼構わず優しくするなと咎められ、言い返したことで喧嘩に発展して解決しないまま今に至る。彼女も不安になることがあるんだなと、失礼なことを考えた。
『割とあると思うけど』
『例えば?』
すぐに返事が来る。具体例を挙げろと言われても、正直浮かばない。彼女の為に何か出来ることはあるだろうか。
『分かんないんでしょ』
見透かしたようなメッセージだ。時間を空けたのがまずかったかもしれない。
『まぁ 正直思い浮かばないな』
すかさず、謎のキャラクターがバットを振り回すスタンプが大量に投下される。処理が遅くなるのでやめていただきたい。
『やってほしいこと言ってくれたら 可能な限り対応するよ』
『じゃあ』
メッセージは続く。
『今すぐ私のところに来てよ』
『どこにいるの?』
『家の近くのコンビニ』
『待ってて 今行く』
メッセージを送ってから、慌てて着替えて靴紐を結ぶ。彼女が言うコンビニまでは3kmほどだ。ぐっと筋肉を伸ばしてから、勢いよく走り出す。
走っている途中、スマホに着信があった。今は誰であろうととることは出来ない。全てを投げうって、全力で駆ける。
「バカじゃないの?」
息を切らして松田の元へ到着したというのに、第一声がそれだった。手に持っていた水を押しつけられる。
「とか言って、ちゃっかり、水、用意してるじゃん」
「別に。自分用に買ったやつだから。可哀想だからあげただけ」
水を軽く口に含んで、少しずつ飲んでいく。
「なんか、あったの?」
「……あんた、自分がモテるの自覚ないでしょ」
「ないね」
モテる方かは分からない。男女ともに良い友人に囲まれているとは思う。
「全員に優しくしてると、不安になる。多分、私じゃなくてもここへ来たでしょ?」
「多分、そうかもね」
松田はため息を吐いた。
「素直すぎるのもなんかムカつく」
どうすればいいんだ。
それ以上何も言われなかったので、コンビニでタオルと制汗剤を買って汗に対処する。松田は何故か制汗スプレーを買っていた。
思い出したようにスマホの着信を確認すると、これまた松田からだった。
「なんで電話かけたの?」
「来てくれなかった、凹むから。来なくていいよって言うつもりだった」
「水まで用意してたのに?」
「うるさい」
「多分、誰の為にも走るけどさ。」まだ整いきらない息を、なんとか押さえつける。
「誰かを選ばくちゃいけないなら、松田を選ぶよ」
松田は「そっか」とそっけなく言って、制汗スプレーをこちらに吹きかけた。駐車場の止め石に鎮座する猫が、迷惑そうにこちらを眺めていた。

1/19/2024, 7:05:48 PM