チャイムが労働の終わりを告げる。放課後になれば生徒達の張り詰めたような緊張感も解け、なんでもなかったようにヤンチャなガキに戻る。コイツらのこういうメリハリがしっかりしてるところは嫌いじゃない。
俺はいつものように進路指導室に戻り、インスタントのコーヒーを流し込む。教員の宿命、ここからが本当のブラック残業。顧問になってる先生以外はぶっ通しで仕事をしなければならない。俺は職員室というあの疲労と闇が詰まりに詰まった淀んだ場所で仕事なんて出来ない。だからこうしてこの広くもなくひと気もない場所を好んで引きこもる。
「失礼します。工藤です。佐藤先生に用事があって来ました」
「おー、入れー」
ノック音とことわりと。そうして入ってきたのは俺の教え子。彼女が入学してから毎日逆プロポーズ三昧でそれはもう騒がしいがすぎていた。
「今日はですね、この部分否定とここの全体否定について聞きたいことがありまして…」
キリっとした目つき。その目の奥で学ぶ事への意欲が静かに燃えている。俺が発する言葉1つ聞き漏らすことなく全てを飲み込んでくる感じ。これは将来化けて出る。密かにそう思ったりもした。ただ、彼女の中身はこんなもんじゃない…
「…っと、こんなもんか。じゃ、気を付けて帰れよー」
「ありがとうございます……せーんせっ!」
「おい工藤…離せ」
「嫌です♡Question!私は好きな人が目の前にいても離せるような強者か?」
「努力次第でどーにかなんだろ」
「ブブ〜Answer!私の愛は努力でどうにかできるような軽いものじゃありませーん♡♡♡んーもうっ!結婚してくださぁい♡♡♡♡♡」
たぶん。たぶんな、工藤のこの真面目さはハッタリだと思うんだ。中身がこんなにポンコツなのは本当に詐欺にあったようなものだと俺は不思議に思っている。
「今日はなんなんだ?呑気にティータイムなんて出来ないからなー?」
「いやいや、今日は折り入ってお願いがありまして」
「お願い?怪しいな、工藤が頼みに来るってそれは…それは…」
絶対にまともじゃない。こんな時に勉強に関するお願いだなんて思ったら大間違いだ。
「来週テストじゃないですか…私頑張るので前払いで可愛がって下さい」
「・・・お帰りください」
「そこをなんとかーッッッ!!!私に生きる希望を!神様仏様佐藤様ー!せんせぇぇぇぇぇぇいっっっ!」
「ったく懲りない奴だよな笑」
そう言って俺は工藤の頭をわしゃわしゃと撫でた。今どきの女子は前髪を気にするらしいが、俺には関係ない。少しくらい髪が崩れた方が、男が工藤を見ることも無くなるだろうしな。
「ハグ、してもいいですか」
「そんな事してる所見られたら俺の首飛ぶわ」
「えへっ、鍵閉めちゃいましたよ…///」
「用意周到な奴め、ほら、来いよ」
ちっさい体が俺を一生懸命に包み込む。毎日一体何を食べたらこんな空気みたいな軽さになるんだよ。なんて考えながら俺は彼女を潰さないように優しく抱きしめた。
「Kiss me」
照れて火照った顔でねだる工藤に逆らうなんて選択肢は思い浮かばなかった。誰も通らないこの部屋で優しく優しくキスをした。
愛おしそうに見つめてから俺の胸に顔をうずめる。その仕草一つ一つがたまらなく可愛らしかった。首筋に残る赤い跡。俺が昨日付けた執着という名の首輪。
「Be mine」
「ん?先生、何か言ったー?」
「あ?調子に乗るなって言ったんだよ」
「えーひどーい笑英語の方が大人っぽく聞こえるでしょー?っどわぁっ!」
無邪気に笑う工藤を、少しだけ強く抱きしめた、とある日の放課後。
題材「Kiss」
目が覚めると嗅ぎなれた大好きな匂いで満たされた薄暗い部屋にいることに気付いた。
「……ったた…なんか体がおもーiッッッッ!!?」
「んー、起きてんのか、工藤」
目の前に大好きな佐藤先生。ガードがゆるゆるな佐藤先生。そして、たぶん見覚えのないこの部屋の所有者は佐藤先生。まだ覚めない頭が必死に働くが思考回路は無論、封鎖されたままだった。
「え……あれ、、、え、、、先生?」
「なーんかまた難しい事考えてんだろー?大人しく寝とけ」
そうして抱きしめられるまま、私はまた深い眠りに落ちた。
2度目の起床はすっかり日が昇っていて、その頃にはもう自分がどうしてこんな状況に置かれているのかも大体把握していた。完っ全に、私が訳の分からん我儘を言ったせいでこんな…こんな……こんな…///
それからは無心で台所を借り、朝食を作った。昨日の自分の至らなさといい、未熟さといい、とにかく全てに反省しながら、そして好きな人の家に存在しているという幸せを噛み締めながらッッッ準備を終えた。
「はよ、工藤。おーご飯…うまそ」
「おはよーございます、先生。先に顔洗ってからにしてくださいねー?」
寝起きのこの無防備さ…好きッ!なんなのこの…ん?上裸……?私が起床時に服を着ていたかどうかはご想像にお任せして、とにかくこの朝イチの先生の、き、筋肉は眼福であった。先生は私が部屋にいる事も昨日の事も特に何も考えていない様子で私もついでに忘れる事にした、一時的に。もうここまできたならば、この部屋にいる時間くらい彼女面したって良いじゃないか。私がこの時間を独り占めしてやる。
「んーなんかいい匂いする」
私が身なりを整えている時の話だった。
「あ、これですか?勿忘草の香水みたいなモノですよーって近い近いっ!」
「へー勿忘草ねー。聞いた事はあるわ、マジでいい匂い。花言葉?とか気にしたりすんの?」
「あーあるみたいですよね…検索しましょーか」
「どー?なんて?」
先生が顔をすり寄せてスマホを覗き込む。
「私を忘れないで、真実の愛とかですって。先生見てー、この由来可哀想」
ドナウ川で恋人のために花を摘もうとして溺れた男が消えるまで恋人への愛を叫んだ事が由来らしかった。
健気で純粋ですごくロマンチックだと思った。
「へーなんか切ないな、それ。でも、その男、恋人の事死ぬほど好きだったんだろーな」
「そこまで愛してもらえるなんて羨ましいですねー…私の事忘れないでねーって事で先生にもふりかけちゃう、えいっ」
「うわっ、何すんだよ笑ってかなんだよ、その理由笑俺が工藤の事忘れるわけないだろ?」
「わかんないじゃないですかー!心変わりしないようにおまじないです!」
「ん?工藤は俺と結婚するんだろ?毎日プロポーズしにくる奴を忘れられる猛者はいないだろ笑」
「…へっ先生!?って事はプロポーズの返事は…!」
「あーめんどいめんどい、その時考えるわー」
その時、首筋に柔らかい感触と一瞬の鋭い痛みが走った。
「まーでも俺も工藤取られないように予約しといた」
「先生…なんか今日、めっちゃおかしいよ?甘くない?メロくない?なんなnーーッッッ!!?」
優しくてあたたかいキスだった。大切にされてるって私でもわかるくらいに甘い甘いキスだった。
「今くらい彼女面しとけよなー?1週間喋れなかっただけで昨日みたいに甘えモードになるんだろ?」
「やっぱり昨日の事無しにしてくれません?先生、お願いしますー!」
昨日過ごした甘い時間も今日一緒に過ごす大切な時間も、歳をとってもきっと忘れない。この匂いがまた記憶を紡いでくれるから。
題材「勿忘草(わすれなぐさ)」
突然ですが!夜中のブランコって乗った事、ありますか?
私は、今、よ、よよ、夜のブランコに、そ、そそその…す、好きな人と乗っています…(えぇぇぇぇ!!?)
というのも、まだまだ春も程遠い冬の中、何故だかすごく佐藤先生に会いたくなって会えないかなーなんて思いながらフラフラと家を出た30分前。どうせお母さんもお父さんも仕事でほとんど帰ってこないんだし。ストーブも電気も消して鍵をかけて隣町の人気の少ない公園を目指して歩き出した。隣町なのは、佐藤先生がたまに出現するって知ってるからで、たぶん、先生の家からも近いんだと思う。大好きな先生の事を沢山考えながら足早に公園へ向かった。
キィー。古びて色褪せたブランコが鈍い音を歌った。これがいわゆるレトロってやつなのか。サッと腰を下ろすとその冷たさに少しだけ背筋が伸びた。白い息をフーっと吐き出す。夏よりも冬の方がずっと好き。寒ければいつもよりも近付けるから、なんて浅ましい理由もあるけど。目に見えるこの息がちゃんと生きてるって感じさせてくれるから。宙を行ったり来たりしているうちに寒さなんてどーでもよくなってひと蹴りひと蹴り丁寧にこいだ。
「まぁまぁ元気だこと」
いつもの誰よりも聞いたこの大好きな声。私はこぐのをやめて隣のブランコに目をやった。
「佐藤先生、こんばんはー!」
「こんな時間にJKが出歩いちゃダメでしょ?なんで家を出てきたのかな?」
「いや、職質かー!補導されるにはまだ早すぎる時間ですよ…ちなみにお兄さんはどこから来たんですかー?お家まで送って行くから教えてよ〜」
「それ職質じゃなくてナンパじゃねぇか!いや、本気で結構夜に出歩くよな、工藤。危ねぇからやめとけ」
「でもそういう時に限って先生がいてくれるじゃん」
「ありがたく思えよ、一応たまに巡回してるからな」
「え?それって徘徊の間違いじゃ…認知症にはまだ早いッたたたた」
「はーい黙りたまえー。で、なんで出かけてんの?」
「会いたかったから、先生に。寂しかったから」
少しだけ沈黙が流れる。これは、、、やってしまったかもしれない。引かれちゃったかもしれない。
「…ん?待て待て。連絡してくれたら会えんだろ」
「それはそうだけど!」
嬉しさと何か少し拗ねたような感情が入り交じってこれ以上言葉を紡げなくなった気がした。
「俺に連絡すんの嫌?」
目の前に屈んで顔を覗き込む先生に私はまた少しだけ拗ねた。
「だって…面倒だって思われたくないもん。嫌われたくないもん」
「思わねぇよ。毎日熱烈なプロポーズされて今更嫌わねーよ笑それより夜中出歩かれる方が困んの。何かあってからじゃ工藤を助けられないしな」
「…ごめんなさい」
「ん。じゃ、送るから家帰るぞ」
せっかく会えたのに、今日もまた先生のペースに乗せられてまた何事もなかったかのように振舞われる。
「……嫌。今日、家誰もいないから一緒にいたい…」
少しだけ出過ぎた我儘。それでも先生だけはこの我儘を許してくれる。
「……それ、意味わかって言ってんの?」
真っ直ぐ見つめる先生にまた拗ねたような我儘を重ねた。
「今日くらい帰さないでよ。最近ずっと会えなかったし…明日だって休みじゃん」
「うーわ、なんだ今日の工藤相当甘えモードだな。いつものプロポーズはどこ行ったんだよ笑」
「少しくらい素直になったっていいじゃん?大好きな気持ちは変わらないんだし」
「健気だよなー本当。ま、そこが可愛いだけどなー」
「…え?い、今可愛いって…え?先生もっかい!」
「バーカ、何回も言ってやるか。ほら、早く帰んぞ」
先生のあったかくて大きな手を握って私達はまた真っ白な息を吐き出して笑う。生きてる、私、たぶん先生といるこの時間が1番幸せ。
題材「ブランコ」
「お前はもっと勉強するべきだろうが!下っ端にいるくせに調子に乗ってんじゃねぇ!」
お父さんにそう怒鳴られて私はお決まりのように身体が震えた。家を静かに飛び出して、冷えきったアスファルトを蹴りながら夢中で走った。隣町の川沿い。橋の下にそっと息を潜めた。
「なんでこんなのもわかんないかな…姉として恥ずかしいわ」
「いっつもスマホばっかりいじってるから頭が悪いのよ」
「どうしてお前だけこんなに頭が悪いんだ!もっと努力しろよ!!」
数々の罵詈雑言を浴びて生きてきた。何か言われる度に黙り込む事しか出来ないし、誰かが話している声が私に向けられたものだと思って震えが止まらない。呼吸を必死に整えて、徐々に冷えていく指先を首に当てた。
「なぁ、ここで何してんの」
不意をつかれて身体が強ばった。視線をズラすと、そこには幼馴染がいただけだった。
「なんだ…アンタか。いや、別に。散歩してただけ」
「嘘つけ。なんかあったんだろ。無理には聞かないけどここは寒いからどっか移動するぞ」
無言で頷き、私は彼と夜道をフラフラと歩いた。
「なんかさ、もう疲れたんだよねーたぶん」
「…そっか」
「周りの声聞くのとかどんなに頑張っても報われないとか…これが現実かー厳しーって」
「……」
流れる沈黙に気まずさは覚えなかった。むしろ、そんな時間すら理解し合える仲だったし。
「…あのさ、お前…死ぬなよ、絶対に」
「は?…え、待って待って、なんでそうなる?」
「いやだから別に…ただ死ぬのだけはやめとけよって」
「……まぁ、そこまでは考えてなかったけど、約束はしとく」
「俺はお前が死ぬくらいなら親父さんとか家族とかお前の事苦しめてる奴から連れ出すくらいは…できる」
「ありがとね。。。あー帰りたくないわー」
「俺も帰したくねーよ」
「……?」
「そんな変に捉えんな。どう考えても今の状況で帰したくはないだろ、」
「そだよねー…アンタは私の命綱だからねー」
「……本気で。いつでも連絡していいから。遠慮すんなよ」
「わかってる。ありがと」
このまま時間が止まればいいと思った。苦しめられる事もなく、言わなくても全部わかってくれるコイツとただずっと一緒にいたかった。冷えた空気も繋いだ私たちの手の温もりには勝てなかったみたいだった。
題材「ずっとこのまま」
寒い。ただひたすらに寒い。暖房もこたつも付けてないから当たり前。それでも付けないでいるのは今から外に出ようか迷っているからだ。教員人生で何百何千という生徒受け持ってきたが、最近はやたらとたった一人の教え子の事が気になって仕方がなかった。誰かを優遇とか贔屓とかそんな事をすんのは教員失格だと頭ではわかっているつもりだが、あいにく、人間の本能に抗えるような強い精神を俺は持ち合わせていなかった。
意を決して外へ出る。今日は愛車を出さず、あえて徒歩で移動することにした。つい先日までのクリスマスムードはいつの間にか年末へ変わり、里帰りなのか人がやたらと増えた。人混みに身を任せてそれはそれはブラブラと歩き続けた。少しコーヒーが飲みたくなって目先にあるコンビニでコーヒーを…とも思ったが、無意識のうちにカフェラテを買ってしまったらしかった。それにLサイズ。普段はこんなミスなんてしないのにとうとう頭もイっちまったか。
公園の隅でひと口、またひと口と苦くもない液体を啜った。
「彼女待ちだったり…します?」
聞き覚えのある声がして視線を下ろすと隣に工藤が立っていた。
「あ?なんだ工藤、最初に会ったらこんにちはだろ?」
「立ってる佐藤先生もすごくカッコイイです。結婚して下さい」
「話を聞けよ!はい、ご挨拶はー?」
「ふぁぁぁ…ほっへが…へんへ、こんいひは」
「はーい、よく出来ました」
「ホントに…そうやって女子のほっぺた触ったりして…まさか私以外に女が!?誰よその女!!?」
「勝手に茶番を始めるなっての、そもそも付き合ってねぇんだわ」
「あだっ……ところで、先生何してたんですかー?」
工藤に会いに…ってのは言えない訳で、俺は小さな嘘をつく。
「あーなんか適当にぶらぶらしてんだよ、その辺」
「彼女じゃなくて良かったー」
「工藤は何しに来たんだ?」
「私は…その…佐藤先生いるかなーって…その……出会えたらあわよくば先生のお家特定でも…」
「アホか。ストーカー行為で訴えるぞ」
「あでで…先生の優しい叩き方すら惚れそうです…新たな扉が…ふわぁぁぁぁぁ…ほっへがぁぁぁぁ」
「あんまり調子にのんな笑ったく、工藤はいつもふざけすぎなー笑」
「ふっ…ふざけてなんかないです!私は佐藤先生の事が誰よりも大好きで将来は絶対お嫁さんになるんです!」
「へーへー…せいぜい頑張れよー断るけどなー」
「諦めませんしー?あっ、先生カフェラテなんて珍しい…私にもひと口、ひと口ー!」
「ガキじゃあるまいしちゃんと頼めよ笑ほれ、やるよ…あ、これで間接キスなるけどなってもう遅いか」
「の、のの、、飲んじゃった…先生…と……///」
こういう時だけ素直に照れやがって全く初心な奴を見るとどうしてこんなにも胸が高鳴るんだ。アホか、俺は。
「さっ、知り合いに見られないように散歩でもすっかー」
そう言って工藤の手を引いた。滑らかで小さなその手がギュッと握り返して、俺の手は…俺の全身が熱を帯びた。寒いなんて…もう言ってられないか。冬の寒さも今日だけは静かに遠のいて行った。
題材「静かな終わり」