ミミッキュ

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2/5/2024, 12:24:02 PM

"溢れる気持ち"

 気持ちがどんどん膨らんでいって、それが思いもよらぬ爆発を起こす事。
 想いが濁流のように押し寄せてきて、言葉が出てこない事。
 その度に『大人になってもこうなる事があるなんて』と思う。
 そしてその度に『こんな俺でも、まだこんなにも胸が高鳴る事があるんだ』と感動する。
 心の隅に、大人になっても、子どもの時と変わらない《俺》がいるのだと。
 環境が変わっても、全ては変わらない。ほんの少しでも、変わらないものもあるのだと。

2/4/2024, 3:19:42 PM

"Kiss"

「来たか」
 正面玄関の扉を開け、ハナが外に出ないよう注意しながら迎え入れる。
「済まない。少し遅くなった」
「別にたった五分だし、気にしてねぇ。俺はそこまで時間にシビアじゃねぇし。それに、指定した期日まで全然余裕だから、どうでもいい」
 比較的ラフな格好の飛彩が院内に入ったのを確認すると、扉を閉めて──まだ開院前なので──ポケットから鍵を取り出し、シリンダー錠をかける。カチャリ、と錠がかかった音を聞いて、ちゃんと閉まったか三回ほど扉を動かして確認する。扉が開かない事を確認すると、扉の取っ手から手を離して「こっち」と先頭に立って診察室へと促す。
「頼まれたデータだ」
 診察室に入ってすぐに、ポケットから無骨で無地の黒い長方形のUSBメモリを出して差し出してきた。「おう」と受け取ると、差し込み口のカバーを外してサーバーに差し込み、デスクに座ってデータを確認する。
「確かに。助かった」
「礼には及ばない。この前の演奏のおかげで、予定より早く用意できた」
 いつもの涼しい口調で恥ずかしい事を吐く飛彩に一瞥もくれずに「あっそ」と簡素な言葉を返して、パソコンのモニターに視線を向けながらマウスを操作して、なるべく早く形にしようとキーボードのカタカタという音を鳴り響かせながら打ち込んでいく。
──おかげでこの部分の入力が捗る。
 最初は恥ずかしさを紛らわす為に少し進める程度でやっていたが、段々とキーを押す指の動きが滑らかになって、来客そっちのけで進捗率が上がっていく。
「……っ!?」
 モニターに釘付けになっていると、急に頭部──つむじ辺りに柔らかいものが当たる感覚がして、肩が跳ね、その反動で打ち込んでいた手が止まる。バッ、と振り向くと、いつの間にか背後に飛彩が立っていた。「何すんだ」と睨みつける。
──いつ背後に回り込んだ!?足音も、服が擦れる音もしなかったぞ!?……まぁ、来客放ったらかしでパソコンに向かって資料作りし始めた俺が悪いんだけど……。だからって、なんなんだよ。心臓止まるかと思っただろうが。
 言葉をつらつらと心の中で転がす。「済まない」と小さく呟くと、俺の手を取って顔を近付けた。
──おい待て、口付けする気か?
 と少し焦って止めようとしたが、口にする前に動きが止まった。
「良い香りがする」
 そう言うと、鼻を近付けて香りを嗅いできた。おそらく顔を近付けた時に、飛彩が来る少し前に塗ったハンドクリームの香りが飛彩の鼻をくすぐったのだろう。
「お前のはカサカサだな」
 ずっとおとぎ話のお姫様のように手を取られているのを恥ずかしさに振りほどいて、デスクの引き出しからハンドクリームを取り出す。
「ほら。手出せ」
 言いながら自身の手にハンドクリームの中身を出して、両手を合わせて手の平全体に塗り広げる。両手を出してきたので、片方ずつ丁寧にハンドクリームを塗り込んでいく。
──大きいな。
 背は俺の方が大きいのに、俺と大きさがあまり変わらない手。
 それでいて俺よりも男らしくしっかりした手。そのせいか大きく感じて、『大きい』という感想が浮かんだ。
 俺より色々な物を持ったり持ち上げたりした手。特に手術は、俺の元の専門とは真逆。全体的に外科は体力勝負な所があると学生の時聞いた事がある。そして手術は患者の臓器に直接触れる。体力だけでなく、元放射線科の俺からは考えられない程の相当な集中力を求められているだろう。
 そんな手を労るように、ハンドクリームを優しく念入りに塗り込んでいく。
「……終わったぞ」
 塗り終わりを告げて手を離し、向き直る。
「ありがとう」
「いつも酷使してんだから大事にしろ。手荒れで手術中に赤切れ、なんて笑えねぇからな」
「あぁ、善処する」
 そう言うと、手の甲を近付けて嗅ぎだした。
「貴方と同じ香りだ」
「同じの使ったんだから当たり前だ」
 また恥ずかしい言葉をさらりと言ってのけて、顔を逸らすとサーバーからUSBメモリを抜いて差し込み口に、サーバーのそばに置いていたカバーを付けると「ほら」と半ば乱暴に差し出す。飛彩がUSBメモリを受け取ってポケットに仕舞ったのを横目に確認する。
「この後も時間があるから、何か手伝わせてくれ」
「じゃあ、時間までハナの相手頼む」
 そう言って、いつの間にか膝の上に乗ってくつろいでいたハナを抱き上げて飛彩に渡す。
「承知した」
「みゃあ」
 飛彩に抱かれたハナは『よろしく』と言わんばかりの鳴き声を出す。「あぁ」と答えると、ハナと共に診察室を出て居室に向かった。
 物陰で見えなくなるとデスクに向き直り、大きなため息を出して突っ伏した。

2/3/2024, 12:19:09 PM

"千年先も"

 早朝の散歩、今日は河川敷を歩くルートにした。
「陽の光があったけぇ……」
 雲が少なく、綺麗な朝日が昇っている。風はそよ風程度で、吐く息は白くても昨日よりだいぶ暖かい。
「みゃあ」
「なんだ?」
 何かを訴えるような、要求するような声を出した。ジャンパーの中で前足を動かしている。
「外出てぇのか?」
「んみゃん」
 イエス、と答えるような声を出して、俺の顔を見上げ此方を向く。
──この天気ならあまり寒くないし平気だろう。
 そう思うと、ファスナーを開けてハナをジャンパーから出した。
「みゃあ〜」
「気持ちいいか?」
「みぃ〜」
 目を細めながら気持ち良さそうな声色で返事をする。久方振りに外で日向ぼっこが出来て嬉しいらしい。
──けど、地面に降りないようにしっかり抱っこしなくては。
 ハナを抱く腕に少し力を入れ、抱きしめる。
──平和だな。
 静かで緩やかな時間の流れに、ふとそんな言葉が浮かぶ。
「みゃあん」
──こんな日常が、ずっと続くといいな。
 澄んだ青空に輝く太陽に願いながら、暖かな冬の朝の空気を堪能した。

2/2/2024, 12:06:20 PM

"勿忘草"

 新しいメモ帳を買いに、雑貨屋に来た。
「えーっと、いつも使ってるやつ……。あった」
 目当ての物を一つ手に取ってレジへ向かう。ふと、途中のアロマコーナーに足が止まった。
──そういや、香水がそろそろ切れそうだったな。
 去年の夏から時々付けていた向日葵の香水が、ようやく無くなりそうになっているのを思い出す。中身がまぁまぁ多くて使う頻度も量も少ないから、中々減らなくて、使い切るのに一年かかるんじゃないかと思っていた。
 そんな香水の中身がようやく四分の一になってきた。良い香りだからと思わず買ってしまった、向日葵の香水。『男が香水なんて』って思っていたから、無理に使う事が無くなってきて嬉しく思う。
 だが、香水の香りで一日の終わりを締めくくっていたのもあり、少し寂しく思っている自分がいる。ハナはあの香りが結構お気に入りで、香水を付ければ嗅ぎに手首に擦り寄ってきて、太腿を前足で捏ねてきた。
──向日葵じゃなくても、向日葵のような香りのアロマを買っていくか。アロマなら香水より面倒な事にならなそうだし。
 色々な香りのアロマが置かれた棚の前に行き、何があるのか見ていく。
──へぇ……。これ、アロマディフューザーっていうタイプなのか。これの方が場所取らなそうだし、使いたくない時は枝を抜けばいいし、簡単でいいな。
 タイプを選ぶと、次にどの香りが良いか、テスターの香りを嗅ぎながら探していく。
──これはちょっとな……。次は……へぇ、【勿忘草】のアロマなんてあんのか。
 テスターを手に取り、勿忘草の香りを試す。
「……。お」
──この香り、好きかも。
 ほんのりと甘く、儚げな香り。この香りなら男でも使いやすい。それに、この香りならハナも喜びそうだ。
 勿忘草のアロマディフューザーを手に取り、メモ帳と共にレジへと持っていき、精算を済ませる。
──早く帰って試そう。
 メモ帳とアロマディフューザーを入れた袋を片手に、早足で医院への帰路に着いた。

2/1/2024, 2:11:42 PM

"ブランコ"

 早朝の散歩の途中、通りかかった公園のブランコにふと目がいった。
 早朝の誰もいない公園にそびえ立つブランコが、陽の光に照らされながら冷たくも柔らかな風に押されて小さく揺れている。
 自然と人工物が合わさり作り出された美しさに引き寄せられるように、さく、さく、と雪を踏みしめながら公園に入り、ブランコに近付いていく。
「みゃん」
 すると、ハナが急に鳴いてきた。驚いて身体が少し跳ねる。
「なんだ、気になんのか?」
「みゃあん」
 やはり好奇心旺盛。初めて見たブランコに興味津々だ。
 だが早朝の寒空の下、ハナをジャンパーから出すのは気が引ける。それに、猫の身体能力を持ってるとはいえ、地面は踏み固められた冷たい雪の上。落ちたら最悪骨折なんて事も有り得る。
──どうすれば……。
 少し考え始めて約三十秒、《俺ごと乗る》という言葉が浮かんだ。
 早朝なので勿論誰もいないから誰かに見られる事はない。そうだと分かっていても恥ずかしさが勝る。けど、ハナの好奇心はスッポン並にしつこい。このままブランコに背を向けて離れようものなら、暫くは『戻れ乗らせろ』と鳴き喚くのは目に見えている。けれど……。
 などと逡巡している俺なんてお構い無しに、ハナはどんどん前のめりになって、ハナの身体を支えるのが大変になってきた。
「はぁ……」
 観念して周りを気にしながら、おずおずとブランコに座る。ブランコに座って体重を預けると、小さくギシリと軋む音が鳴った。
──ブランコなんて、小学生以来だぞ。
「大人しく入ってろよ」
「みゃあん」
 ハナの返事を聞いて、両手をハナから離してブランコの鎖を握る。少しだが、手袋越しに金属の冷たさが伝わってきた。
 そしてジャンパーの中のハナに注意しながら、両足を動かして漕ぎだす。
 ぎぃ、ぎぃ……。
 十年以上のブランクがあっても漕ぎ方はしっかり身体に染み付いて覚えているものなのかと驚く。
──懐かしい。
 子どもの時に好きで何度も感じていた、風を切るように空に投げ出される感覚。風の強さも、頬を撫でる風の冷たさも普通の強風と変わらないが、なぜだかとても心地良い。とても気持ちいい。
 足を止めて、視線を落とす。
「満足したか?」
「みゃあん!」
 ハナに聞くと、元気な鳴き声で答えた。顔もご満悦といった表情だ。スマホを取り出して時計を見る。
「じゃあそろそろ帰るぞ」
 思った以上にブランコに時間を使ってしまった。早く帰らなくては。
「みゃん」
 ハナの返事を聞き、両手を鎖から離してハナの身体をジャンパー越しに抱きしめる。ブランコから立ち上がって、公園を出て帰路に着いた。

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