ミミッキュ

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1/16/2024, 3:01:26 PM

"美しい"

「ここだ」
 久々の休日、午前の殆どをボールペンやクリップ、付箋等文房具の買い足しに使い、あと数分で約束の十一時を回る頃に大我の元へ行くと「行きたい所がある」と医院近くの真新しい外装のカフェに連れ出された。
 大我がカフェの扉を開けると、カランカラン、というベルの音と共に、店内から紅茶の良い香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ」
 と、エプロンを身に付けた男性がカウンターから声をかけてきた。胸元の名札を見ると、この人が店主らしい。
 見た目は、大我より数個上くらいだろうか。落ち着いた声色や口調から、精神年齢が実年齢より十歳程高い事が伺えた。
 店内を見渡すと、装飾品が少なめで統一感があり間接照明で柔らかな雰囲気が醸し出されている。
 店内を軽く観察していると「空いている席へどうぞ」と促され、カウンターから少し離れた二人席のテーブルに向かい合わせで座る。着席すると、大我が口を開いた。
「去年の十月にできたカフェでよ、本当は去年の内に連れて来たかったんだけど、タイミングがなくてだいぶ遅れた」
「そうだったのか。済まなかった」
 よく周辺を散歩している真面目なこの人の事だ。きっと開店から数日後辺りに来ていただろう。そうでなければ「去年の内に連れて来たかった」なんて言葉は出てこない。
 それなのに去年の秋頃から一週間程前までできる限りオペの予定を入れて、去年の後半は共に居る時間が極端に少なかった。自身への憤りと、スケジュールと照らし合わせて今日を選んでくれた大我への申し訳なさが押し寄せてくる。
「そう思ってんなら、今日一日でこれまでの埋め合わせをしろ」
 そう言いながらメニュー表を渡される。開くと、豊富な紅茶の茶葉に紅茶以外の飲み物、数種のケーキに隅の方にクッキーが書かれていた。表に書かれているメニューの半分程だろうと思っていたので驚いた。
 それとメニュー表の三分の二程が紅茶で、扉が開かれた時に紅茶の香りが漂ってきた理由が、紅茶をメインにしているからだと分かった。
「決まったか?」
「ダージリンとスポンジケーキにしようと」
「俺はカモミールとクッキー。因みにここのクッキー凄ぇ美味い」
 ダージリンに合うか分かんねぇけど、と付け足す。
 ダージリンとクッキーの組み合わせは聞いた事ない。だが、大我が絶賛する程だ。どのような味か気になる。
「ならスポンジケーキを止めて、クッキーにしよう」
「は?いいのかよ」
 驚いた声色で聞いてくる。
「貴方がおすすめだと言っているものだ。気になるのは道理だ」
 大我の口振りから察するに、恐らく何度も訪れているのだろう。何度も来た事のある者のおすすめに外れは無い。
「分かった」
 すみません、とカウンターの方を向いて片手を上げて店主を呼び、各々の紅茶と二人分のプレーンクッキーを注文する。
「レジ横にケーキとかクッキーの持ち帰りあっから」
 そう言ってレジの方を親指で差す。本当にこの人は。
「……んだよニヤニヤしやがって。んな顔でこっち見んな」
「済まない」
 等と雑談をしている内に、頼んでいた二人分のクッキーと双方の紅茶が運ばれてきた。とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
 蒸らす為に、先にクッキーを食べる。
「どうだ?」
「……あぁ。貴方の言う通り、とても美味しい」
 サクサクとしているが、バターの種類や分量に拘って作っているのだろう、しっとりともしていて口の中の水分が持っていかれない。その上甘さ控えめで、クッキー単体でもいける。やはりこの人のおすすめに従って正解だった。
「そ。気に入ったみてぇでなにより」
 視線を落とすと、テーブルの上に置かれた二つの砂時計の内、大我の近くに置かれている方の砂時計の上の砂が無くなった。
「じゃ、お先に」
 ダージリンはカモミールより蒸らしの時間が長い。カップに注ぐと、口元に持っていきカモミールティーを一口。
「……」
 カモミールティーをカップに注ぐ仕草と飲む所作が──こう言うのは失礼だが率直に言って──いつもの大我とは違って美しく、思わず息を飲んで見惚れてしまう。
「……い。…おい」
 怒気のこもった大我の声に、はっ、と我に返る。
「ん」
 テーブルの上を指す。指先を辿ると、俺の近くに置かれていた、もう片方の砂時計の上の砂も無くなっていた。慌ててポットを両手に持ってカップに注ぐ。礼を言うと、再びカップに口を付けてカモミールティーを口に含み「ふん」と鼻を鳴らした。
 患者相手の時のように素直に受け取れば良いものを。そういうところは全く変わらないな。
 そう思いながら、ダージリンを一口含む。特徴である蜜のような香りが口の中に広がり、鼻に抜ける。数秒ダージリンの風味を楽しむと、クッキーを一枚手に取って一口食べる。
 ダージリンにクッキー、意外と合うな。
 なるべくお店で出す紅茶全てに合う味になるように試作を繰り返したのだろう。店内や紅茶の淹れ方だけでなく、クッキーにも相当な拘りを感じた。店主は自分が思った以上に拘りを持った人だと脱帽する。
「どうだ、気に入ったか?」
「あぁ、とても。近い内にまた来たい」
「てめぇなら気に入ると思った」
 は、と鼻を鳴らして得意げに言う。その顔から、どこかほっとした表情が見て取れた。
 そうは言っても、俺が本当に気に入るか心配だったのだろう。
 するとまた、むすっとした顔でこちらを見てくる。
「てめぇ、何考えてやがった」
「別に、何も」
「本当か?」
「ただの思い出し笑いだ」
 そう言って誤魔化すと「あっそ」と不貞腐れた声色で言ってクッキーを手に取って食べ始めた。
 心の中で微笑みの声を漏らしながら、俺もクッキーを一枚手に取り食べた。

1/15/2024, 12:24:55 PM

"この世界は"

 世界は、人によって違う。
 同じ時と場所にいても、見ている世界が違う。『似ている』世界を見ている。
 世界は、それまでの経験や学び覚えた考え方などで変わってくる。
 どういう考え方でどんな見え方をしているのか《理解して》尊重し合う事はできても、《完全に》分かり合う事はとても難しい。
 歩み寄って、尊重し合う事で世界が広がる。たとえ同じ世界が見られなくても、少しでも近付く事はできる。
 少しでも自分の世界を広げて、少しでも似た世界が見られるように、理解し尊重し続けていく。

1/14/2024, 11:37:26 AM

"どうして"

「みゃあ」
「……」
 居室の扉を開けた瞬間飛び込んできた光景に絶句していた。
 買い出しの後、買ってきた物を仕舞って、居室を出て診察室でカルテ整理と備品や消耗品のチェックをして、ハナの様子を見に居室の扉を開けて今に至る。
──どうして。
「どうやったらそうなる……」
 居室を出る前、空になったビニール袋を畳もうとしたらじゃれて遊び始めて、返してくれる気配が無かったし、ビニール袋を畳んで仕舞ったら業務に戻ろうと思っていたので丁度いいと思ってそのままにしていた。
 俺を絶句させた光景。ハナがスーパーのビニール袋の取っ手を前足と後ろ足にそれぞれ通した状態で俺のベッドの上に乗っている。
 ベッドの上から軽やかに床に着地する。落下時、背中のビニール袋が空気を取り込んで膨らんだ。
──気球……。
 呑気にそんな言葉を頭に浮べる。トコトコとこちらに歩いてくるハナに、はっとして慌ててハナを抱き上げて椅子に腰掛けて膝に乗せる。
「じっとしてろ」
「みぃ」
 お腹を天井に向けさせて、ゆっくりとビニール袋の取っ手を外していく。じっとしてろと言ったのに、俺の手にじゃれついて邪魔をしてくる。
「じっとしてろっての。めっ」
 ハナの頭を人差し指で軽く小突く。反省しているのか大人しくなったので作業を再開する。やはりまだまだ遊びたい盛りだ。
 そっとハナの身体を押さえながら、ビニール袋を外すのに成功した。ハナを床に下ろすとビニール袋をすぐに畳んで台所に向かい、ビニール袋を入れている箱の中に入れる。
「みゃあん」
 ハナがついてきて足元に来て一声鳴く。折角のおもちゃを取られてご機嫌斜めのようだ。
 だがこれは危険だ。窒素や首が締まる可能性だってある。
「これは危険なの。お前のおもちゃじゃねぇ」
 ふい、と顔を逸らして背を向けて台所を出て居室の方に歩いていく。尻尾がぶんぶんと早い速度で揺れていた。
 怒らせてしまった。今行っても、人間と同じで何をしても効果は無い事は知っている。それに機嫌を直させようにも、まだやる事が残っている。
 仕方ない、と診察室に戻って業務の続きに取り掛かった。

1/13/2024, 12:42:59 PM

"夢を見てたい"

──ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……
「ん……」
 目覚ましの音に意識が浮上する。のそ、と緩慢な動きで上体を起こして唸りながら伸びをする。視界の端でハナも伸びをしているのが見えた。
──なんか、夢を見た気がする。
 ぼんやりとした声色で「おはよう」と隣のハナの頭を撫で、眠気まなこのままぼんやりと夢の内容を思い出そうとする。
 『何処にいたのか』
 自分が行った事ある場所だった気がするし、行った事ない場所だった気がする。《行った事ない場所》でも、映像や写真などで見た事ある場所のようだった気がするし、全く知らない場所だった気もする。
 『屋内だったか屋外だったか』
 建物の中だった気がするし、外だった気もする。
 『自分は居たか』
 自分自身は居たのは覚えている。身体を動かして、夢の中を動き回ったり何か作業をしていた感覚がある。だが具体的に何をしていたかは分からない。
 『自分以外に誰か居たか』
 居たような気がするし、居なかった気もする。
 自分以外の何かと会話をしていた気もするし、していなかった気もする。
「……」
 駄目だ。本当に思い出せない。
 暖かくて、優しい夢だったはずで、思い出したいのにそれが叶わない。
 夢は、見たとしても忘れる事が殆どで、しょうがない事だ。
 でも、とても素敵な夢だったのは何となく分かる。目覚ましの音と共に目が覚めた時、胸が温かくて穏やかな気持ちだったから。
 どうせ忘れるなら眠ったまま、ずっと夢を見ていたかった。
 なんて、そんな事思ったり言ったりしたら心配されるだろうから止めよう。よく関わる殆どの者が心配してきそうだと優に想像できた。あいつらの前で言おうものなら、何かしら無理やりにでもしてきそうだ。あいつらはそういう奴らだと数年の付き合いで、これでもかという程目の当たりにしてきた。勿論俺自身がされた事もある。
「……顔洗ってこよ」
 軽く頭を振って、まだ瞼が重く開かない目を擦りながら緩慢な動きで立ち上がると、顔を洗いに居室を出た。

1/12/2024, 2:16:49 PM

"ずっとこのまま"

 柔らかな月明かりが闇を優しく照らす夜。閉院時間となり正面玄関の扉の鍵を閉めようと扉に近付き、扉周りを確認しに扉に手をかける。
「みっ」
 いつの間にか足元にいたハナが声を上げた。少し驚いて肩を跳ねらせる。本当は叱りたかったが、それ以上に声を上げた理由が気になったのでハナの目線を辿る。
 片手に鞄、糊のきいたスーツにダッフルコートを着た男が通りから曲がってこちらに近付いてくるのが見えた。暗がりで顔がよく見えない。
 普通の人ならば誰かまでは判別できないだろう。
 だが、こちらに歩み寄ってくる歩幅、スピード、歩く姿勢を見て誰かすぐに分かった。扉を開けて声をかける。
「急にどうした?なんの連絡も無しに来るなんて珍しいな」
「業務中だろうと思って、連絡しても意味が無いと判断した。突然の訪問、申し訳ない」
 数メートル先まで来ると立ち止まって、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。なんだか居たたまれなくて「そういうのはいいから、早く中に入れ」と早口で言って押さえていた手を離してハナを両手で抱き上げて、再び扉を開けて足で扉を抑えながら中に迎え入れる。
 飛彩が「済まない」と呟き中に入ると、抱いているハナに人差し指を近付ける。ハナは自身の鼻に近付けられた人差し指の匂いを嗅いでいく。
 猫は嗅覚が優れていて、匂いで敵かどうか判断している。猫の記憶力がどうなのかは分からないが、いつも一緒にいる俺以外の奴には来る度こうするようにさせている。飛彩は来る頻度が他の奴より多い為、言わなくとも自然とやってくれる。
 匂いチェックが終わって顔を少し離すと「みゃあん」と一声鳴いた。いつもと変わらない声色。ハナの『OK』のサインだ。ハナの声を聞いて、頭を撫でる。飛彩の撫でる手つきに、ハナはウットリと目を閉じた。
「それで、どうした。急ぎの用でもあんのか?」
  気になった事を口にする。時間的に病院から直接こちらに来たのだろう。そうなると真っ先に思い浮かぶのは、何か緊急を要する伝言か、至急必要な書類の依頼だろう。だが飛彩は首を横に振って顔を上げる。
「そうではなく」
「じゃあなんだ?」
 仕事関連以外で急を要する用事とは一体……。考え込んでいると、飛彩が口を開いた。少し身構えながら言葉を待つ。
「明日は午後からの出勤で、年明けからここ数週間共にいる事が無かったから、せめて貴方と夕食を共にしたいと思ったのだが、」
 「迷惑か?」とこちらの顔色を伺うように聞いてきた。
「……」
 拍子抜けして、すぐに言葉が出てこず息を吐く。
 身構えて損した。いや、こんな夜中に頼まれても困るが。
「大我?」
「……あぁ、悪い。別に構わねぇし、いいけど」
 むしろ嬉しい、と心の中で付け足す。恥ずかしいから言わないけど。
 するとハナが「みゃあ」と声を上げる。この鳴き方は『お腹空いた』という、ご飯の催促だろう。
「じゃあ悪いが、晩飯の用意手伝ってくれ」
「あぁ、分かった」
 一度外に出てダッフルコートに付いた雪を払って丁寧に畳み、中に入るのを見て扉を閉めて鍵を閉める。
「まず、暖めてる間ハナを見ててくれ」
「承知した」
 抱えていたハナを飛彩に託し、台所に入って壁にかけてあったエプロンを身に付け二人分の食事の用意に取り掛かる。
 冷蔵庫から作り置きの料理を入れた大量のタッパーの中から豚の角煮を入れたタッパーを出して、棚から皿を二枚出すとその上に同じくらいの量の豚の角煮を置いて電子レンジの中に入れて温める。その間に二人分の箸とお椀を出して、炊飯器を開けてお椀の中に米を盛り付ける。電子レンジから電子音が鳴り響き、料理を乗せた皿を出す。開けた瞬間美味しそうな匂いと共に湯気が立ち込めて、空腹感が襲ってくる。次に計量しながらハナのご飯を皿に乗せる。
 白米をよそったお椀と箸と皿とハナのご飯を、使っていないストレッチャーに乗せて居室に向かう。
「またせた」
 常に開け放っている居室の扉をくぐると、ハナの「みゃあん」と元気な声を上げて俺を迎える。飛彩は俺が来た事を確認してハナを床に下ろす。いつもの場所にハナのご飯を置くと「みゃうん」と鳴いて食べ始めた。それを横目に見ながらベッドに腰掛ける。それに倣って俺がいつも使っている椅子に座る。
「頂きます」
 両手を合わせて挨拶をする。
「召し上がれ」
 そういうと箸を持って、ご飯を食べ始めた。俺も小さく「頂きます」と言ってから箸を持って料理をつつき始める。
「……やはり美味い」
「そりゃ良かった」
 箸で一口大に切った角煮を口に入れて咀嚼する。よく煮えている上に味が隅々まで染みていて柔らかく、我ながら上出来な出来だ。白米を一口入れる。
「やはり貴方の料理は優しい味がする」
「……」
 咀嚼しているのを理由に無視する。
「貴方の手料理が好きだ」
「……そうかよ」
 白米を飲み込んでから短く返事をする。面と向かって言われるとむず痒い。
「そういや、そっちは変わりないか」
 咄嗟に話題を変える。かなり無理やりだが、あまりのむず痒さに我慢できなかった。どう思われようが知ったこっちゃないしどうでもいい。
「そうだな……。これといって、変わった事は無いな」
 話題を変えた事に不思議がる素振りを見せない事に安堵して胸を撫で下ろす。
「じゃあ近況は?そっちはなんかあったか?」
「近況か。それなら……」
 そうして、夕飯をつつきながらの近況報告会が開かれた。近況を報告しながら雑談も挟んで夕飯を食べ進めていく。
 喋りながらの夕飯が楽しくて『こんな時間がずっと続けばなぁ』という、らしくない絵空事を豚の角煮を味わいながら思った。

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