ミミッキュ

Open App

"ずっとこのまま"

 柔らかな月明かりが闇を優しく照らす夜。閉院時間となり正面玄関の扉の鍵を閉めようと扉に近付き、扉周りを確認しに扉に手をかける。
「みっ」
 いつの間にか足元にいたハナが声を上げた。少し驚いて肩を跳ねらせる。本当は叱りたかったが、それ以上に声を上げた理由が気になったのでハナの目線を辿る。
 片手に鞄、糊のきいたスーツにダッフルコートを着た男が通りから曲がってこちらに近付いてくるのが見えた。暗がりで顔がよく見えない。
 普通の人ならば誰かまでは判別できないだろう。
 だが、こちらに歩み寄ってくる歩幅、スピード、歩く姿勢を見て誰かすぐに分かった。扉を開けて声をかける。
「急にどうした?なんの連絡も無しに来るなんて珍しいな」
「業務中だろうと思って、連絡しても意味が無いと判断した。突然の訪問、申し訳ない」
 数メートル先まで来ると立ち止まって、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。なんだか居たたまれなくて「そういうのはいいから、早く中に入れ」と早口で言って押さえていた手を離してハナを両手で抱き上げて、再び扉を開けて足で扉を抑えながら中に迎え入れる。
 飛彩が「済まない」と呟き中に入ると、抱いているハナに人差し指を近付ける。ハナは自身の鼻に近付けられた人差し指の匂いを嗅いでいく。
 猫は嗅覚が優れていて、匂いで敵かどうか判断している。猫の記憶力がどうなのかは分からないが、いつも一緒にいる俺以外の奴には来る度こうするようにさせている。飛彩は来る頻度が他の奴より多い為、言わなくとも自然とやってくれる。
 匂いチェックが終わって顔を少し離すと「みゃあん」と一声鳴いた。いつもと変わらない声色。ハナの『OK』のサインだ。ハナの声を聞いて、頭を撫でる。飛彩の撫でる手つきに、ハナはウットリと目を閉じた。
「それで、どうした。急ぎの用でもあんのか?」
  気になった事を口にする。時間的に病院から直接こちらに来たのだろう。そうなると真っ先に思い浮かぶのは、何か緊急を要する伝言か、至急必要な書類の依頼だろう。だが飛彩は首を横に振って顔を上げる。
「そうではなく」
「じゃあなんだ?」
 仕事関連以外で急を要する用事とは一体……。考え込んでいると、飛彩が口を開いた。少し身構えながら言葉を待つ。
「明日は午後からの出勤で、年明けからここ数週間共にいる事が無かったから、せめて貴方と夕食を共にしたいと思ったのだが、」
 「迷惑か?」とこちらの顔色を伺うように聞いてきた。
「……」
 拍子抜けして、すぐに言葉が出てこず息を吐く。
 身構えて損した。いや、こんな夜中に頼まれても困るが。
「大我?」
「……あぁ、悪い。別に構わねぇし、いいけど」
 むしろ嬉しい、と心の中で付け足す。恥ずかしいから言わないけど。
 するとハナが「みゃあ」と声を上げる。この鳴き方は『お腹空いた』という、ご飯の催促だろう。
「じゃあ悪いが、晩飯の用意手伝ってくれ」
「あぁ、分かった」
 一度外に出てダッフルコートに付いた雪を払って丁寧に畳み、中に入るのを見て扉を閉めて鍵を閉める。
「まず、暖めてる間ハナを見ててくれ」
「承知した」
 抱えていたハナを飛彩に託し、台所に入って壁にかけてあったエプロンを身に付け二人分の食事の用意に取り掛かる。
 冷蔵庫から作り置きの料理を入れた大量のタッパーの中から豚の角煮を入れたタッパーを出して、棚から皿を二枚出すとその上に同じくらいの量の豚の角煮を置いて電子レンジの中に入れて温める。その間に二人分の箸とお椀を出して、炊飯器を開けてお椀の中に米を盛り付ける。電子レンジから電子音が鳴り響き、料理を乗せた皿を出す。開けた瞬間美味しそうな匂いと共に湯気が立ち込めて、空腹感が襲ってくる。次に計量しながらハナのご飯を皿に乗せる。
 白米をよそったお椀と箸と皿とハナのご飯を、使っていないストレッチャーに乗せて居室に向かう。
「またせた」
 常に開け放っている居室の扉をくぐると、ハナの「みゃあん」と元気な声を上げて俺を迎える。飛彩は俺が来た事を確認してハナを床に下ろす。いつもの場所にハナのご飯を置くと「みゃうん」と鳴いて食べ始めた。それを横目に見ながらベッドに腰掛ける。それに倣って俺がいつも使っている椅子に座る。
「頂きます」
 両手を合わせて挨拶をする。
「召し上がれ」
 そういうと箸を持って、ご飯を食べ始めた。俺も小さく「頂きます」と言ってから箸を持って料理をつつき始める。
「……やはり美味い」
「そりゃ良かった」
 箸で一口大に切った角煮を口に入れて咀嚼する。よく煮えている上に味が隅々まで染みていて柔らかく、我ながら上出来な出来だ。白米を一口入れる。
「やはり貴方の料理は優しい味がする」
「……」
 咀嚼しているのを理由に無視する。
「貴方の手料理が好きだ」
「……そうかよ」
 白米を飲み込んでから短く返事をする。面と向かって言われるとむず痒い。
「そういや、そっちは変わりないか」
 咄嗟に話題を変える。かなり無理やりだが、あまりのむず痒さに我慢できなかった。どう思われようが知ったこっちゃないしどうでもいい。
「そうだな……。これといって、変わった事は無いな」
 話題を変えた事に不思議がる素振りを見せない事に安堵して胸を撫で下ろす。
「じゃあ近況は?そっちはなんかあったか?」
「近況か。それなら……」
 そうして、夕飯をつつきながらの近況報告会が開かれた。近況を報告しながら雑談も挟んで夕飯を食べ進めていく。
 喋りながらの夕飯が楽しくて『こんな時間がずっと続けばなぁ』という、らしくない絵空事を豚の角煮を味わいながら思った。

1/12/2024, 2:16:49 PM