ミミッキュ

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"美しい"

「ここだ」
 久々の休日、午前の殆どをボールペンやクリップ、付箋等文房具の買い足しに使い、あと数分で約束の十一時を回る頃に大我の元へ行くと「行きたい所がある」と医院近くの真新しい外装のカフェに連れ出された。
 大我がカフェの扉を開けると、カランカラン、というベルの音と共に、店内から紅茶の良い香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ」
 と、エプロンを身に付けた男性がカウンターから声をかけてきた。胸元の名札を見ると、この人が店主らしい。
 見た目は、大我より数個上くらいだろうか。落ち着いた声色や口調から、精神年齢が実年齢より十歳程高い事が伺えた。
 店内を見渡すと、装飾品が少なめで統一感があり間接照明で柔らかな雰囲気が醸し出されている。
 店内を軽く観察していると「空いている席へどうぞ」と促され、カウンターから少し離れた二人席のテーブルに向かい合わせで座る。着席すると、大我が口を開いた。
「去年の十月にできたカフェでよ、本当は去年の内に連れて来たかったんだけど、タイミングがなくてだいぶ遅れた」
「そうだったのか。済まなかった」
 よく周辺を散歩している真面目なこの人の事だ。きっと開店から数日後辺りに来ていただろう。そうでなければ「去年の内に連れて来たかった」なんて言葉は出てこない。
 それなのに去年の秋頃から一週間程前までできる限りオペの予定を入れて、去年の後半は共に居る時間が極端に少なかった。自身への憤りと、スケジュールと照らし合わせて今日を選んでくれた大我への申し訳なさが押し寄せてくる。
「そう思ってんなら、今日一日でこれまでの埋め合わせをしろ」
 そう言いながらメニュー表を渡される。開くと、豊富な紅茶の茶葉に紅茶以外の飲み物、数種のケーキに隅の方にクッキーが書かれていた。表に書かれているメニューの半分程だろうと思っていたので驚いた。
 それとメニュー表の三分の二程が紅茶で、扉が開かれた時に紅茶の香りが漂ってきた理由が、紅茶をメインにしているからだと分かった。
「決まったか?」
「ダージリンとスポンジケーキにしようと」
「俺はカモミールとクッキー。因みにここのクッキー凄ぇ美味い」
 ダージリンに合うか分かんねぇけど、と付け足す。
 ダージリンとクッキーの組み合わせは聞いた事ない。だが、大我が絶賛する程だ。どのような味か気になる。
「ならスポンジケーキを止めて、クッキーにしよう」
「は?いいのかよ」
 驚いた声色で聞いてくる。
「貴方がおすすめだと言っているものだ。気になるのは道理だ」
 大我の口振りから察するに、恐らく何度も訪れているのだろう。何度も来た事のある者のおすすめに外れは無い。
「分かった」
 すみません、とカウンターの方を向いて片手を上げて店主を呼び、各々の紅茶と二人分のプレーンクッキーを注文する。
「レジ横にケーキとかクッキーの持ち帰りあっから」
 そう言ってレジの方を親指で差す。本当にこの人は。
「……んだよニヤニヤしやがって。んな顔でこっち見んな」
「済まない」
 等と雑談をしている内に、頼んでいた二人分のクッキーと双方の紅茶が運ばれてきた。とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
 蒸らす為に、先にクッキーを食べる。
「どうだ?」
「……あぁ。貴方の言う通り、とても美味しい」
 サクサクとしているが、バターの種類や分量に拘って作っているのだろう、しっとりともしていて口の中の水分が持っていかれない。その上甘さ控えめで、クッキー単体でもいける。やはりこの人のおすすめに従って正解だった。
「そ。気に入ったみてぇでなにより」
 視線を落とすと、テーブルの上に置かれた二つの砂時計の内、大我の近くに置かれている方の砂時計の上の砂が無くなった。
「じゃ、お先に」
 ダージリンはカモミールより蒸らしの時間が長い。カップに注ぐと、口元に持っていきカモミールティーを一口。
「……」
 カモミールティーをカップに注ぐ仕草と飲む所作が──こう言うのは失礼だが率直に言って──いつもの大我とは違って美しく、思わず息を飲んで見惚れてしまう。
「……い。…おい」
 怒気のこもった大我の声に、はっ、と我に返る。
「ん」
 テーブルの上を指す。指先を辿ると、俺の近くに置かれていた、もう片方の砂時計の上の砂も無くなっていた。慌ててポットを両手に持ってカップに注ぐ。礼を言うと、再びカップに口を付けてカモミールティーを口に含み「ふん」と鼻を鳴らした。
 患者相手の時のように素直に受け取れば良いものを。そういうところは全く変わらないな。
 そう思いながら、ダージリンを一口含む。特徴である蜜のような香りが口の中に広がり、鼻に抜ける。数秒ダージリンの風味を楽しむと、クッキーを一枚手に取って一口食べる。
 ダージリンにクッキー、意外と合うな。
 なるべくお店で出す紅茶全てに合う味になるように試作を繰り返したのだろう。店内や紅茶の淹れ方だけでなく、クッキーにも相当な拘りを感じた。店主は自分が思った以上に拘りを持った人だと脱帽する。
「どうだ、気に入ったか?」
「あぁ、とても。近い内にまた来たい」
「てめぇなら気に入ると思った」
 は、と鼻を鳴らして得意げに言う。その顔から、どこかほっとした表情が見て取れた。
 そうは言っても、俺が本当に気に入るか心配だったのだろう。
 するとまた、むすっとした顔でこちらを見てくる。
「てめぇ、何考えてやがった」
「別に、何も」
「本当か?」
「ただの思い出し笑いだ」
 そう言って誤魔化すと「あっそ」と不貞腐れた声色で言ってクッキーを手に取って食べ始めた。
 心の中で微笑みの声を漏らしながら、俺もクッキーを一枚手に取り食べた。

1/16/2024, 3:01:26 PM