"心と心"
互いのこれからやりそうな言動を予想して動く。
なんて事、互いの事を心から知っていないとできない。
そんな嘘みたいな存在が、大人になってからできるなんて夢にも思わなかった。
自分の思考が見通されているようで恥ずかしい。
けれど、心強いというか、安心して背を預けられるというか……。
はっきりとは言い表せないけど、まぁ、悪くは……ない。
絶対言ってやらないけどな。
"何でもないフリ"
早朝の散歩、今日は開院が少し遅めなので少し遠くまで足を伸ばしてみた。
花壇や草木の上に、薄らと雪が積もっている。
「寒くねぇか?」
「みゃう」
自分の数歩前を歩く子猫を見る。
聞くまでもなかった。寒さより興味が圧勝しているようで、ずっとスキップをしているように足取りが弾んでいる。
その上、こちらを全然見ない。
──人間の子どもと変わんねぇな。
ふと微笑ましさと可笑しさが込み上げてきて、思わず「ふふ」と小さく噴き出してしまう。
「みゃあ」
俺の笑い声に反応して、鳴きながらこちらを振り向いた。
「何でもねぇよ」
そう答えると、子猫を抱き上げて両腕で抱える。
「そろそろ足が寒ぃだろ。帰るぞ」
「んみぃ」
一声鳴くと喉を鳴らして、胸に頬を擦り付けてきた。
──前より確実に重くなったなぁ……。
「んみぃー」
俺の心を読んだかのように、荒げた声で鳴く。
「何でもねぇって」
慌ててはぐらかす。今爪を立てられたら、位置的に確実に喉元を引っ掻かれる。
そんな所を猫の鉤爪で引っ掻かれたら……。想像するだけで、ホラーやお化けを見た時や驚かされた時と同じような──身体中の熱が引いていくような──感覚になる。
子猫の背を手の平で優しく撫でる。
すると機嫌が戻ったのか、再び喉を鳴らした。
「ほ……」
安堵の息を漏らす。
──体も確実に大きくなっている。触った感覚も筋肉質で逞しい。
こうやって体を撫でる事は、最近あまり無かったので驚く。
だが同時に、嬉しさも込み上げてきた。
──たくさん食べて動いて、もっと大きくなれよ。
ゆっくりと帰路に着きながら、子猫の体温を手の平に感じながら背を撫でた。
"仲間"
俺には《仲間》なんていらないと思ってた。
《仲間》なんて必要ないと思ってた。
俺は《独り》でいいと思ってた。
《独り》でないとできない事がある。《独り》だからできる事もある。
だから《独り》がいいとも、思ってた。
けれどそれは、《独り》でいる事に固執していたから、『《独り》でいい』『《独り》がいい』と勝手に自分に言い聞かせて、勝手に思っていた。
《独り》だからできる事より、《仲間》がいるからできる事の方が多かった。
《独り》ではなくなった時、俺が目指すものは《独り》では難しいものだったと気付けた。
《独り》じゃなくなる以前の俺よりも、うんと目指すものに近付けた。
数年で身に付いた癖は治らず、今でも独りよがりな言動になる。あいつらを遠ざける。
けれどあいつらは、俺を《独り》にしなかった。鬱陶しいとは思うけれど、心強いと感じる自分もいる。
少しずつ、あいつらに毒されてるのかもしれない。
けれどこれは、俺が選んだ道。後悔なんてない。
自分自身が変わる事も、前へ進んでいる証。
"手を繋いで"
「ふあぁ〜っ」
「みゃう〜」
俺の欠伸を真似して鳴く。
ワクチン接種が終わり、外に出せるようになったので早速早朝の散歩に猫用のハーネスを付けて連れ出した。
ハーネスは前に玩具を買いに来た時に見つけて、里親にこいつを渡す時安全に渡せるかもと思って買った物だ。
──想像してた使い方と全然違うけど、よかった。
たるんだリードの先に繋がれた子猫を見る。
外の色々なものに興味津々みたいで、視線がずっとキョロキョロと忙しない。
足取りも、心做しか弾んでいるように見える。
「楽しいか?」
「みゃうん」
そう答えながらもまだキョロキョロとしている。すると歩みが止まり、道端に咲く花に鼻を近付けて匂いを嗅ぎ始める。
当分外への興味が尽きそうにない。
「はぁ……」
これからの気苦労を想像し、ため息を漏らす。
だが同時に、微笑ましさも込み上げてきて口角が上がる。
「ほれ、そろそろ帰るぞ」
まだ花の匂いを嗅いでいる子猫に声をかける。
「みゃんっ」
こちらを見あげたかと思うと、素早い動きで俺に駆け寄って足に飛びついてきた。
「うおっ、何だよ」
「みゃ」
驚いて一瞬動けずにいると、俺のズボンに爪を引っ掛けながら登ってきた。
「んだよ抱っこか?」
ズボンを登ってくる子猫を両手で捕まえて胸に抱き寄せると、手の中でゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
──こいつ本当に抱っこが好きだな。
ふと前足を手に取り、優しく押す。間から鋭い鉤爪が出てきた。
──後で爪研ぎ買ってこなきゃな。猫用の爪切りも買って、やり方は今度検診に行った時に聞こう。
身を翻して、ゆっくりと歩みを進める。
──……あ。俺が飼い主になったから、名前早く決めねぇと……。名前、どうすっか……。どんなのがいいんだ……?
とてつもなく重大な問題に、思わず人目を気にせず歩きながら「う〜……」と唸いた。
"ありがとう、ごめんね"
「……ふぅ」
動物病院から帰宅して、居室に入った瞬間一息吐く。スマホの画面をつけて時計を見ると【PM5:49】を示す。
「良かった……。今回も何も無くて……」
安堵の声を漏らしながら、キャリーを持ち上げて中を覗く。
「んみぃん……」
子猫が身を丸くして、弱々しい声で鳴く。
今日は最後のワクチン接種の日でもあった。
ワクチンは計三回。前の二回でも今のように疲弊していた。その姿を見る度に俺の心も疲弊し、同時に申し訳なさが押し寄せてきた。
まだ免疫力が付いていない子猫には計三回のワクチン接種は必須で、仕方がない事だ。ワクチンを接種しなければ、外からの病原菌を簡単にもらって病気になり最悪の場合、合併症を引き起こしてしまう。
けれど、それでも、見ていて辛いものは辛い。
もうこいつにこんな姿をさせなくて済む。
床にキャリーを置き、扉を開く。
「……ほら、帰ってきたぞ」
うずくまる背中に声をかける。俺の言葉に呼応するように小さく身を捩り「……みゃあ」と鳴いてみせた。
「……っ」
そんな子猫の姿に、胸に鋭いナイフで刺されたようにずきりと痛み、息が詰まる。
「……お腹、空いてないか?ご飯……食べられるか?」
そう聞くと、子猫の耳がぴくりと動いた。
「ご飯、用意するから……だから……出てきてくれ……」
すると、丸くしていた体をゆっくりと動かし、四本の足でしっかりと立ち上がり、こちらを向いてキャリーから出てくる。
「……んみゃあ!」
こちらを見上げて、大きな一声をあげた。
そんな子猫の様子に、思わず両手で持ち上げて潰さないように優しく、胸に抱き寄せる。
「んみぃー」
少々苦しそうに手の中で身を捩る。が、次第にゴロゴロと喉を鳴らす音が大きくなる。
この音を聞くと、不思議と暖かい気持ちになる。
──ごめん。……ごめん。
子猫を顔の前に持ち上げる。
「みゃう」
そう鳴くと、俺の口元を小さな舌で舐め始める。
拾った時のように、俺の口元を執拗にぺろぺろと舐め上げる。
あの時のように舐めてくる舌がザラザラとくすぐったくて、少し痛い。
けれど、とても落ち着く。
自然と口角が上がっていく。
「ふふ……、くすぐってぇよ」
そう言った時、ずっとモヤモヤとわだかまっていた霧が晴れ渡っていった。
ずっと先延ばしにしていた、里親探し。
どうしようかと考えていた。何をすれば良いのか考えていた。
けれどそれは、自分自身への言い訳で本当は《何か》がブレーキとなって、里親探しをする事を躊躇わせていた。
その《何か》が何か、ようやく分かった。
大きく息を吸って、その答えとなる言葉を紡ぐ。
「……これからも……俺と、一緒にいてくれるか?」
最初は自分がこいつの面倒を見るのを嫌がっていた。『できない』『無理だ』って。
けれどそれは、ここが医院だからという理由で思っていた事だ。実際にそれを口に出した事だってある。
《俺自身》の理由は、ずっと考えてこなかった。いや、考えようとしてこなかった。これまでずっとそうだったように。
──俺は、こいつとずっと一緒にいたい。こいつを見つけたのは俺だ。俺を選んで擦り寄ってきたのはこいつだ。だから……。
「俺はお前と、この先もずっと。一緒に暮らしたい。……俺と一緒にいてくれるか?」
子猫の顔を改めて見据えながら聞く。
「みぃ……」
一瞬少し驚いた顔を浮かべる。
──やっぱ、嫌、だよな……。
「みゃあ!」
「うおっ」
急に大きな声をあげる。
その声は、あの時のように、力強い声だった。
「……っ」
子猫を再び胸に抱き寄せる。嬉しくて、心がふわふわと暖かい。
「みぃーいーっ」
「あ、悪い……」
急に抗議の声があがったかと思ったら、強く抱き寄せてしまったようだ。先程より苦しそうに顔を歪ませる子猫がいた。慌てて緩めて謝罪をする。
「みぃん」
再びゴロゴロと喉を鳴らす。
暖かくて、落ち着く音。
「……大好き」