ミミッキュ

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12/7/2023, 2:37:23 PM

"部屋の片隅で"

 今日は患者が少なかったので、一日の殆どを書類整理に費やした。
 それは大半が座り仕事だったという事。
 その上今日の昼食は面倒臭がって、手近にあった栄養補助食のブロック二つのみ。
 なので整理を終わらせ立ち上がった時にはあちこちの筋肉が凝り固まっていて、油切れしたブリキの玩具を動かしたような音が節々から鳴った。
 殆ど診察室の片隅にいて、業務が終わって正面玄関を閉めて『終わったー』と思ったのと同時に、体中の痛みと空腹が一気に襲いかかってきた。
 今晩は、自分を労わってやった方がいいのか……?

12/6/2023, 3:48:19 PM

"逆さま"

 今日の昼過ぎ、宝条永夢が俺の署名が必要だという書類を持って医院の診察室に来た。
「ごめんなさい。お忙しいのに……」
 永夢から書類が入った茶封筒を手渡す。封を開け、書類を取り出して一通り目を通しながら答える。
「んや、構わねぇよ。そっちの方がもっと忙しいだろ。申し訳なく思うのはこっちの方だ。……ただ」
「『ただ』?」
 書類から一瞬目を離して、永夢に目を向ける。
「いくら忙しいからって、『書類』の『書』を『所』に誤字したまんま送ってくんな」
 昨夜、永夢から送られてきたメッセージを思い出す。
 日記を書き終えた後、今日の昼過ぎに来るというメッセージが来たのだが、そのメッセージが『書類』の『書』という字がどういう事か『所』と書かれており、『所類』という見た事のない単語を織り交ぜて送ってきた。
 そんな誤字をした本人は俺の言葉に「え?」という声を発する。
 呆れた声で手に取ったボールペンの先を差しながら「昨日俺に送ったメッセを見ろ」と確認するよう促す。それに反応して「は、はい……」とポケットからスマホを取り出す。
──この感じ、気付いてねぇな……。
 スマホを操作して数秒後、「あぁーっ!」と大きな声が室内に響いた。あまりの大きさに思わず耳を塞ぐ。
「す、すみません!気付いてませんでした……!本当に、すみません……!」
「やっぱり……」
──こいつのおっちょこちょいなとこ、ホント変わんねぇ……。いい加減ちょっとは《落ち着き》ってもんを身に付けてほしい……。
 いまだに転んだり、とちったりする元研修医──現在は小児科医──に呆れを込めてノック音を鳴らし、ボールペンの先を出す。
「俺だから良かったけどよ……、今度やったら覚えとけよ」
 少々、厳しめの言葉を放つ。「はい……」と弱々しい返事を聞いて、「分かればいい」とデスクに向かって書類の署名欄にボールペンの先を滑らせ、自身のフルネームを書く。
 すると横から「ん?」と小さな声が聞こえたかと思った瞬間、声をかけられた。
「あのぉ、大我さん。その書類……」
「なんだ?」
 首を動かし、永夢に向ける。署名を書き終えた後、一体どうしたのかとボールペンを書類の横に置いて次の言葉を待つ。
「上下、逆さまじゃ……」
 言葉の意味が分からず、反射で「は?」と返すがすぐに視線を書類に向ける。
「うあぁっ!?」
 先程自分が書いた名前と、その周辺の書類の文字を見る。
 自分の名前と、書類全体の文字と書いた名前の隣の『署名』という文字の向きが。
 一八〇度違っていた。
 書類の向きをちゃんと確認せずに署名してしまったのだ。
 驚きの声を出すと、そのまま口をあんぐりと開けたまま、思わず無言で首を動かし、永夢の顔を見る。
「だ、大丈夫ですっ。横に印鑑を押す欄があります。印鑑を正しい向きで押せば……。とりあえず、二重線引いて訂正印押して、その上に正しい向きの名前を書けば大丈夫かと……っ」
 あわあわと慌てふためきながら、焦る俺を落ち着かせようと言葉を紡いでいく。
──……自分以上の反応をする奴を見ると、一気に冷静になるの法則。
 俺以上に慌てふためく永夢を見て冷静になっていく。
「とりあえず、線で消して訂正印押して、その上に署名書くわ」
 そういうとまたデスクに向き、今度は書類の向きを確認して二重線を引いて、デスクの上の小さな箱の中から黒の朱肉と訂正印を取り出し、上から被せるように印を押す。
 元の箱の中に仕舞うと、一度置いたボールペンを手に取り、再びペン先を滑らせて自分のフルネームを書き記す。
 向きが合っている事を確認して、茶封筒の中に入れ封をする。
「ほれ」
「ありがとうございます!」
 そう答えて差し出した茶封筒を受け取ると、意味ありげな視線を送ってくる。
「……なんだよ」
「あ、いえ……。大我さんでも、とちる事があるんだなぁ、って」
 聞き返そうとすると「あ!そ、それだけです、すみませんっ」と腰を曲げて謝罪する。
──いや、俺何も言ってねぇ……。それじゃ、俺がパワハラ上司みてぇじゃねぇか……。
 「それでは」と背を向けて部屋を出ようとするが、その背中に「待て」と声をかける。俺に「何ですか?」と疑問を投げかけながら振り向くと、引き出しから出した、ラッピングされたクッキーを投げて渡す。慌てて両手でキャッチすると、小さく「ナイスキャッチ」と賞賛する。
「休憩時間に食え」
「は、はいっ、ありがとうございます!」
 「美味しそう……」と声を漏らしながら身を翻し、扉を開いて廊下に出る。
「ではっ」
「おう」
 短く返信をすると、扉がゆっくり閉まっていく。完全に閉まるのを見届ける。
「……」
──俺、疲れてるんかな……?今夜はちゃんと寝よ……。

12/5/2023, 1:31:34 PM

"眠れないほど"

「ほーれ、ほれ〜」
「みゃう!うぅ〜……」
 お尻を突き上げ、跳躍の準備体制になる。
 寝間着に着替え日記を書き終えた後、猫じゃらしに飛びつく子猫の様に楽しくなりながら、持っている猫じゃらしを動かし続ける。
 殆どを居室に閉じ込めてしまっていて、医院だししょうがないと思いつつ、そのせいで体が鈍るんじゃないかと心配になってこの前から新たなルーティンとして、ベッドに入る前に猫じゃらしで遊んでやっている。
「みゃう!」
 一気に飛びかかって、猫じゃらしに前足で触れそうになる。
 が、既の所〖すんでのところ〗で猫じゃらしを動かして、子猫の狩猟本能を更に引き出す。
「ふふ、ここまで届くか〜?」
 先程よりも高い位置に猫じゃらしを持ち上げ、挑発するように手首のスナップを利かし猫じゃらしの先を揺らす。
 我ながら意地悪だ。
 子猫の為にと始めた事だが、途中から俺が子猫以上に楽しんでしまっている。
「うぅ〜……みゃあっ!」
「うおっ」
 再びお尻を突き上げて跳躍の準備をし、飛びかかってくる。慌てて猫じゃらしを逸らす。
──危ねぇ……今の、あと数mmってとこか……?
 以前までもだいぶ凄かったが、ここ毎日脚力が着実に増してきているのを実感する。
「……やべっ、早く寝ねぇと」
 ふと時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時刻を示していた。
 慌てて猫じゃらしを仕舞い、明かりを消してベッドに潜る。
「みゃあ……」
 ベッドに乗り上がり、『まだ遊び足りない』と言うような声色で鳴いてきた。
「ごめんな……、もう寝なきゃいけねぇ時間だから、また明日な……」
 子猫の頭を優しく撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らし、手に擦り寄ってくる。
──時間を忘れる程にやるなんて、本当にこいつ以上に楽しんでるじゃねぇか……。
 自分に呆れながら、ゆっくり瞼を閉じる。
「……眠れねぇ…」
 目が冴えてしまい、しばらくベッドの中をもぞもぞ動いていた。

12/4/2023, 12:22:03 PM

"夢と現実"

──〜…♪
 今日一日の業務を無事終わらせ、夕飯を済ませシャワーを浴び、寝間着に着替え歯磨きを終わらせた後、少し厚着をしてフルートを持って外に出て、再び《全ての人の魂の詩》を演奏する。
 前にこの曲を演奏した時のように、今日の夜空も綺麗。
 けどあの時と違うのは、空気が澄んでいて月の光が柔らかな糸のように伸びていて、刺すように冷たい空気の闇を照らしている。
──〜…♪
 やはり、前にこの場所で吹いた時と音が違う。
 要因は空気が乾燥して澄んでいるからだろう。音がストレートに空気を震わせている。
 ほんの少しの音の震えも逃さずに届きそうだ。
 空気がひりついているのは、寒さと空気の乾燥、それと《緊張》もあるのかもしれない。
 この場にいる人間は俺だけで、聞いているのは月と周りの植物なのに。
──〜…♪
 まぁ、そんな事はどうでもいい。
 いつも吹く時は一人なのだから。
 自分の満足のいく演奏をするだけ。
「……ふぅ」
 演奏を終え、一つ息を吐いて夜空を見上げる。頭上には曇りなき夜空が広がっていた。
──やっぱ、この曲を演奏すると、不思議と心が冷静になる。
 ゆっくりと顔を戻し、正面を向く。
「……ようこそ、ベルベットルームへ」
 ふいに、そんな言葉が口をついて出た。
「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所」
 これは、あのシリーズゲームに登場するキャラクターが発する台詞だ。
 その台詞を、普段では考えられない口調で発した。
 普段この喋り方は、患者達の前でしかした事がない。何故この言葉が口をついたのか、自分でも分からない。
「……っ」
 だから今、物凄く恥ずかしい。
 頬も耳も焼けるように熱い。
──誰かに見られる前に、早く中に戻ろう。
 急いでフルートを仕舞い、ケースを持って足早に中に戻った。

12/3/2023, 11:54:36 AM

"さよならは言わないで"

 《さよなら》は辛いし、
 悲しいし、
 寂しい。
 《さよなら》と言ってしまったら、今生の別れになってしまいそうで、余計辛い。
 別れる事は、次へと進む為の試練なのは分かってる。
 けど、《さよなら》を言うのは嫌だ。
 互いに背を向けて黙って離れるか、向き合いながら《さよなら》を《また》に変えて別れたい。

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