誰か
「誰か、助けて!」
みなさんは、誰かに助けを求める場面に遭遇したことは、ありますか?
注意ですが、このお話しは、命のやり取りは、ありませんが。
小学校の頃のお話です。
友達と外で遊んでから、家に帰る途中でした。昔は、沼みたいな柔らかい窪地があちこちにあり、今でこそ住宅とか建っているのですが、私達は沼と呼んでいました。
帰宅が遅くなり、怒られるのが嫌で、家に帰りたくありませんでした。
夏の夕方、日が傾き、あと1時間程で暗くなる時間です。
沼の横を通ってたとき、大きなカエルさんがいたので、捕まえたくて沼の端から頑張って手を伸ばしました。沼は中央に向かって下がっているので、当然、滑り落ちました。
ハマりました。
膝まで埋まり、靴どころかズボンもドロドロ、しかも両足がハマり、抜けません。泣き叫びました。当時、水曜スペシャル探検隊とかTVでやっていて
「ここ、底なし沼だ!どうしよう、もう出られない!」
「誰かー、助けて!」
泣きまくり、叫びまくり、その内に、少しずつ沈下していきました。
こうなっては、もうドロドロだろうがなんだろうが、命が大事です。寝そべって、這いつくばり、体をゴロゴロズリズリしながら、1時間かけて、脱出した記憶があります。
大人なら、もしかしたらなんともない出来事だったのでしょうが、小さい僕のプチ生死体験だったと思います。
そんなこと思い出しながら書いていたら、今、業者に呼ばれました。休日なのに…
「誰かー」
落ちですね。今から出撃します。皆さん、お疲れ様です。
遠い足音
朝、時刻通りに豆から粉となり、コーヒーが抽出される。
居間全体に香ばしい匂いが漂い、目覚めの1杯が出来上がる。
僕は2階からよぼよぼのおじいちゃんの様に階段を降り、玄関に出て背を伸ばす。まだ、新聞は来ていない。
朝食は、パンとコーヒーだ。ルーティンの一環だ。テレビをつけ、ニュース、天気を見ながら食事をする。毎日同じ様な仕事着に着替え、行く前に、弁当を詰め込む。
部屋に行き、ベッドの布団を治し、カーテンを開け、ゴミを集積し戸を閉める
「さぁ、今日も明日のために生きるか」
同じ日常が始まる。
ルーティンを少し変えたいなと思ったが、変えたら変えたで落ち着かなく、結局はいつもの日常だ。
何かを変えるには、それなりに勇気がいる。
勇気がないんだなと、実感する毎日だ。
仕事がいつも、自然と人相手なので、毎日内容が違う。
だから、余計なのか、せめて日常に平穏も求める。
車の窓を開け、自分に気合いをいれると、風が冷たいのがわかる。冬はもうすぐだ。
仕事には辛い日々が始まる。
今年の夏の強烈な暑さを思い出しながら、
じわじわ近づいてくる、冬の遠い足音を噛み締めて
今日も、とりあえず生きてみる。
秋の訪れ
秋が訪れると、冬が来る。
当たり前だが、仕事上、この時期から大変だ。
個人的には、秋は大好きだ。以前にも秋の事を沢山書いた位、秋にやりたい事は、目一杯ある。まあ、この時期、中々忙しい。
自然を相手にする仕事なので、冬将軍様が来る前に、大方終わらせなければならない。雪を避けながらの外作業は、心身共に辛い。そして、その準備に、また、仕事に追われる。
「山行きてー」と思っているが、予定がつかない。登山計画書の日にちもいつも空白だ。予定がわからない。
なので、隙間を狙い、この前の休みに栗拾いに行った。まぁ、気分転換にぶらぶらみたいな所だ。
実は、初めての栗拾いで、軍手に棘がささるささる。
胡桃もあったので胡桃も拾ってきた。
きのこも と思ったが、きのこに詳しくないのでやめた。昔、母に「いっぱいきのこ取ってきた!」と持っていったら、全部毒きのこだった。あぶないあぶない
そんなこんなで一応、秋の訪れを感じた。
家で初めての栗を蒸して、むいて、食べたが、味は「うーん」。
拾った栗がダメなのか、あんなものなのか、謎である。
秋が訪れると、冬である。
「山行きてー」
明日も朝が早い。部屋で叫んで、ビール飲んだら、昨夜は、床で死んでた僕であった。 だから、昼休みに作成中。
これが、僕の 秋の訪れ? である。
旅は続く
みなさんの旅の目的は、なんでしょうか?
旅で、何を得られますか?
旅で、何を求めますか?
失恋、心身の痛み、出会い、自分を求めて
旅の目的は、人の数だけある。
どう転んだにしても、旅の最後には「いい旅だった」と、誰しも思う筈だ。
僕の旅は、山行、釣行、輪行、徒歩、自転車、バイク、電車、車と、若い時から一通り旅をした。
高校の図書局時代に、高文連の体験記コンクールの題材にもした、堀淳一氏の「鉄道跡を紀行する」、これが僕の1人旅の原点かも知れない。
僕は夏冬中、毎日古紙回収のアルバイトをし、やっとの思いで買ったミヤタのマウンテンバイクで、1年後旅に出た。
友達2人を無理やり誘い、6日間、自転車の旅だ。
テントに、ホワイトガソリンのストーブ、使わないのにナイフをぶら下げ、着替えに、パンク修理セット。そして、行く先々で炭焼き小屋の人達に分けてもらった炭とナタ。
自転車に積めないから登山リュックを背負って、頭にはバンダナとヘッドライト。大量の10円玉。もう笑える。
食べ物は現地のお店で買って、調理して食べる。当時はコンビニはまだなかった。夜は肉だか、虫だか肉だかわからずに「うまいうまい」と食べていた。キャンプ場とかも無いので、バス停や、野球場の脇、公園、農家?の畑の脇とか、ほんと笑える。
醍醐味は、人の温かさと、触れ合い。そして、新たな縁だ。
食べ物をくれて、果物を取らせてもらい、笑えるのは、「まだ、高校なんだから」と、心配で夜に来てくれた人もいた。ありがたい。
そして、途中で偶然に会った学校の先生にも感謝だった。
「黙っててやるから、怪我するなよ。でも始業式は、覚悟しておけよ笑」
このテーマを書きながら思った。
なんだかんだ、負の人生とか言いつつ、僕は、人に救われ、友に助けられ、悪く無い人生なんだと思う。
旅を終え、始業式の全校集会で、名前を伏せて僕らの事を校長が語った。当然、高校生でダメだよ的な内容だ。でも最後に
「当然、高校生だけでは絶対にやってはダメな事です。と、校長として言わなければなりませんが、今の時代にあって、彼らの純粋さ、ひたむきさ、何より、かけがえのない仲間との絆を、分かち合える喜びを知る事ができた彼らの行動には、個人としては嬉しく感じます」
気持ちをわかってくれたんだ。ありがとうございます
本から出た旅だ。かっこいい目的もなかった
でも、最後は、ちょっと、大人の涙を流すことができた。
「いい旅だった」
初めて、そう感じた時だった。
だから、僕は旅はやめない。死ぬまで、死の旅路も面白く「いい旅だった」と、天国で言おう。
だから、僕の旅は続く
途中会った、先生。あれから3ヶ月後に死んでしまった。あの先生が、学校に報告とフォローを、校長と学校全体にかけ合ってくれていた。
この場をお借りして、 先生、ありがとうございました。
僕は、つくづく、人に救われているんだとそう実感する。
このテーマにしていただき、本当にありがとうございました。
久々に、思い出しました。
みなさん、 良い旅を
モノクロ
世界を想像すると、僕はいつも闇を想像する
漆黒で、無で何もない
自分の精神世界か、自分がなりたいものなのか
華やかな世界は、僕には似つかない
心が騒々しく、 落ち着かない
光が無く、何も感じない そんな所に安寧を感じる
ネガティブ的なのは、わかっているが
僕には光が、眩しすぎるようだ
光は、いつも届きそうな、少し前にいる
でも、手を伸ばしても、触る事ができない
そして、いつも、自分の無力さを感じさせる
努力しても、頑張っても、光は、遠ざかっていく
疲れ果てて、立ち止まると、また、闇が僕を覆うのだ
人生には、光を追う人と、闇に生きる人が存在する
今の僕は、この闇のモノクロの人生、なのだろう
いつまで、闇に生きるのか?
今日も、闇に安寧を感じていた
いつか、その光に これから光の人生って奴に
出会わせてくれるのか、ぼくは知りたい
モノクロの闇の人生は、もう嫌だ