空白とは、素晴らしいものである。
僕は、中学生の時に、いじめられていたことがある。あるグループから、 ハエ と言われ続けた。理由は、クラスの人気グループ達の周りで、まとわりつくハエみたいだから。
高校では、サッカー部だったのだが生徒会に入り、調子に乗ってると勘違いされ、 足を折るぞ と、学校帰りによく言われ、サッカー部を辞めた。
空白とは、素晴らしいものである。
心を空白にすれば良いのだ。
心が楽になる。何も考えなければいいんだ!
「いや、違うだろ」
一人で山に登り、僕は心を空白にする
1歩歩くのに辛く、1歩登るのに疲れる。そして、その1歩で少しずつ、嫌な心の色を消していく。
休憩の景色やお菓子で、心を洗って、真っ白なキャンバスを作っていく。
そして、頂上の景色を、空白の心のキャンバスに描く。
感動や、達成感、山友との出会いや知らない人との縁。
全てが、幸福色として、心に、空白に描かれる。
だから、山が好きなのだ。
だから僕は思う。
空白とは、素晴らしいものである。
だって、好きに、自由に、描けるのだから。
「僕は、台風が過ぎ去って、どことなく、空を見上げた」
天候に休日が左右される僕の仕事。
久々の休日に胸がときめいて、3日前からソワソワと部屋をうろつく。必要な道具は、愛車に全て乗っているのだが、本当に休めるのか?遊びに行けるのか、居ても立っても居られない。
何度も天気をスマホで確認し、晴れそうな方向を確かめていた。
台風は、僕にとって良いのか?悪いのか?
雨が降れば、予定通り休みだ。しかし、外遊びが出来なくなる。
部屋にあるたくさんの本と友達になっても良いのだが、久々に日光の下でもやしの様な体に栄養を与えたい。
当日、やはり台風さんがいらっしゃった。
休みは確定だ。中での遊びも確定だ。
いつものように、たまったアニメを見て、読んでない本を手に取る。
「ダメだ」
こうなったら集中できない。スマホ片手に、いつ過ぎるのか、またソワソワだ。もはや仕事と変わらない動きだ。
少し遠いが、台風さんが訪れない地域へ行こう!と、愛車に気合を入れ、僕は尾崎豊の「遠い空」を聞きながら、明るい方へ土砂降りの中、走り出した。
何回、リピートして、「遠い空」を聞いたのか、晴れ間が見え始め、今度は周囲の川を探索し始めた。
どこも濁っていて、釣りどころではない。
時間を忘れ、濁っていない川を探し、彷徨い続けた僕は、夕方近く、綺麗な川と出会った。
清らかな清流に、水位が上がったため、お魚さん達が活発に遊んでいる。「遠い空」には虹がかかっていた。
「僕は、台風が過ぎ去って、どことなく、空を見上げていた」
「さあ、帰るか」
どんな休日だったのか、困ったものだ。でも、この空と一緒で、僕の心も晴れていた。
人生とは、こんなものなのか?と夕方の黄昏時を、僕は、愛車に乗りながら、感じていた。
遅くに家に着いたら、台風がまだ、家にいた。
「おっそ!」
僕の人生は、こんなものなのだと、コンビニスイーツで機嫌を取る、僕がいた。
「この満天の星空を君に捧げる」
僕には、4人の親友がいる。いや、いたんだ。
今は3人になってしまった。
その内の一人のお話
田舎の高校を卒業して、都会の学校へ進学した僕は、その下宿先で彼と出会った。彼とはギターで仲良くなり、下宿の中で良くみんなに聞かせたものだ。
当時、尾崎豊を崇拝していた私は、「15の夜」が大好きで、洗脳する如く、当然、毎日彼に弾いて聞かせていた。
🎵盗んだバイクで走り出す 行き先もわからぬまま🎵
洗脳の結果か?彼はバイクを買った。
僕もバイクも買った。
夜になると、次の日の事も考えず、ただバイクを走らせていた。
夜の街、峠、海、彼と並んで一緒に走る。ただそれだけが楽しかった。
彼と必ず、晴れた夜にやったことがある。
バイクで街を流して、いつもの自販機の前にバイクを並べ、そこの温かい缶コーヒーを買って、乾杯し、空を見上げる事だ。
互いに違う場所で生まれ育ち、今、この場所で同じ空を見る。
何も語らなくてもいい。ただ共にいるだけで。
彼が、この世を去った今、僕の、何かがずーと欠けている。
もう一度だけ、あの夜に戻りたい。
不思議と今現在、あの時の街に僕は住んでいる。
あの時の自販機は今はもうない。
「僕は、今日も、ひとりきりだな」
ブラックコーヒー片手に、僕は空を見上げた
「この満天の星空を君に捧げる」
背中と背中で語った、あの時を懐かしみながら、
今日という日が、また、ひとつ、終わるのだった。
「もうそろそろ始まるな」
僕は、仕事中、背中を伸ばしながら遠くを見つめていた。
僕がその遠くと言う存在を綺麗と感じる様になったのは、小学生高学年だ。当時、サッカー少年の私は、ボールとゴールしか見ていなかった。ひょんなことから、親と仲のよかった近所のお兄さんから、
「君なら大丈夫だ、さあ、綺麗なトンネル、見たくない?」
と、あるところに誘われた。
深い緑、真っ青な曇りの無い青、そして深い緑の中で赤が映えている。
「さあ、行こう!」
小学生で初デビューの登山だ。しかも人があまりいない、でも有名らしい本格的な登山だ。登山靴が用意出来なかった私は、スノートレーという、ハイカットの冬履で登っていた。1000mちょい、大丈夫!
「何が大丈夫だ!」
でも、山道は続く、そこに山が、山頂があるからだ。
普段よりかなり遅いペースらしい、私に合わせてくれていた。
1歩、また1歩、そして小さな1山を超えた所で
「さあ、紅葉のトンネルの始まりだよ!」
上を、空を、樹を、何を見ていたんだろう
とにかく、周りが綺麗で、どこを見れば良いかわからない。
深緑の山の中で、雲ひとつない青空、そして、赤が綺麗な紅葉。
小学生の私には
「綺麗だなー」しか、出てこない。でもわかる。街では、決して見られない素晴らしい風景、その中に僕はいるんだ。
紅葉のトンネルは、頂上直下まで続き、途中の岩場で写真を撮ってもらった。
「もうそろそろ始まるな」
僕は仕事中、背中を伸ばしながら遠くの山を眺めていた。
赤、緑、青の風景を楽しみにしながら
あの時の写真は今も机の上に飾っている。
セピアに、紅葉しながら
「僕はいつまでフィルターが必要なのだろう」
昔、父からカメラをもらった
オリンパスのOM-10
何処へ行くにも一緒にいたものだ。いわゆる相棒。
自転車の旅、キャンプ、釣り、登山。
そして、僕は、その時しか見られない最高の1枚を求めて、レンズフィルターを購入した。
フィルターは、景色を輝かせ、彩りを素晴らしくする、感動を生む最高のツールだ。
仕事が忙しくなった頃、相棒が逝った。
同時に今度は、自分にフィルターをつけた。
希望と言うフィルターだ。
頑張ればなにかが見える
頑張ればなにかが開ける
でも、いつしか違うフィルターをつけていた。
安定、安寧、静観 ネガティブフィルターだ。
「僕はいつまでフィルターが必要なのだろう」
フィルターを外して、違う人生を見てみよう
フィルターを外して、広い世界を見てみよう
そして、今度は
真っ青な、広い青空の様な、どこまでも地平線が見渡せる
そんなフィルターをつけて人生を見てみたい。
さあ、目をつぶって、明日を迎えよう。
きっと、明日は何かがかわるから。